第2話 第一の殺人事件

 東京からでも新幹線で、5時間はかかる地方都市、ここも、今、中心部は、ビルの建て替えが進んでいる。

 完成予想図のようなものも公開されたが、それを見て、

「おお、すごい。これぞ未来都市」

 などということを感じた愚か者がどれほどいただろう。

 よほどの平和ボケか、発想がお花畑なのかも知れない。

「お金はすべて自治体が出して、一般市民には、負担はかけません」

 と言われたとしても、納得のいくもので会ないだろう。

「こんなもの、時代の逆行でもなければ、誰が嬉しいと思って、やってくるのかね?」

 という雰囲気であった、

 特に最近の街づくりというと、やけに、

「広い空間」

 というものを求めているような気がする。

 実際に、完成図というと、本当の未来予想図というように、かなり加工されて作っている。

「広い空間」

 がまるで、後光が差したかのようなきれいに表現されているから騙されるのだが、実際にできた空間は、ただの蛍光灯で、表の光が差し込んでくるようなものでもなんでもなかった。

 却って、出来上がったものに幻滅するのだが、それでも、作る方は関係ないのだ。

「作ってしまえば、こっちのもの」

 とでも思っているのだろう。

 人によっては、

「次の選挙に影響する」

 とは思わないのだろうか?

 もし、そうだとすれば、その政治家は、

「どうせ、対抗馬は誰もいない。まだまだ少々のことをやっても、俺の天下が終わることはない」

 と思っていることだろう。

 それは、ある意味恐ろしいことだ。

「将来を託すことのできる人が誰もいない」

 ということだからである。

 今の世の中、確かに、政府も、

「一党独裁」

 の時代だ。

 しかも、かつて、

「消えた年金問題」

 に業を煮やした国民が、ちょうど勢いのあった野党に政権を託してみたが、やってみれば、さらに亡国の連中ばかりだったことで、元々の政権に戻った。今の与党の作戦勝ちだったのかも知れない。

 要するに、

「徳川慶喜には、ならなかった」

 ということである。

「大政奉還が失敗した」

 と言えばいいだろうか?

 もっとも、それがさらに亡国への道を確定させたということであり、いつになるか分からないが、

「この国の滅亡の青写真ができてきた」

 ということになるといっても過言ではないだろう。

 普通に物語を続けたいという意思がありながら、どうしても、政府や自治体、国鉄などの、

「悪行」

 を考えると、こんな書き方しかできない自分が、

「勧善懲悪」

 のせいではないか?

 と、考えてしまうのであった。

 そんな今の令和の時代、今まで一番の駅前として賑やかだった場所を中心として、そこから、この土地は、ビルの取り壊しを始めた。今であれば、まだ、他にいっぱい遊ぶところが残っていて、このビルが完成する前に、次々に取り壊して工事に入っていくので、街のほとんどが取り壊された中で、やっと、最初の中心部が完成することになり、それを旗印にようにして、どんどん建ち並んでいくということである。

 だから、最初に取り壊したところが建て替わるまでだけが、一番きつい、遊べるところは、一番駅から遠い当たりということになるので、きっと街に遊びにくる人が一気に減っているに違いない。

 普通に考えれば、

「他がないから、今まで他に行っていた客がそっちに流れるだろうから、一人勝ちじゃないか?」

 などと思っている人がいるとすれば、

「なんと浅はかなのだろう?」

 といえる。

 まさか、当の店の人間がそれを思っているとすれば、それこそ、

「お花畑的な発想

 であり、そんな経営者であれば、どんなに地の利がいいところに店を構えても。その有利さを味方にできないに違いない・

 と言われることであろう。

 それを思うと、

「店主やオーナーがそんなだから、結局儲からない」

 といえるだろう。

「店員を鼓舞するため」

 というのであれば、言い訳としては、しょうがないところなのかも知れないが、結局はその程度の鼓舞の仕方しかできないのであれば、先が見えている。

 要するに、それだけ、

「うちの店員であれば、騙して働かせられる」

 ということである。

 自分の部下を信じていないということだし、、よほどバカだということか、さすがに、ここに至って、店に見切りをつけて辞めていく人も多いかも知れない。

 それくらいのことを言っているのと同じだからである。

 浅はかだというのは、この時期、確かに辞めていく人は多い。実際に、まわりがなくなって、本当に集客できないということは、

「結局、それだけの店でしかないし、客寄せのための努力も企画を考える頭もないということで、気力、知力、体力、すべてにおいて、最悪であり、何よりも、何かをしようとするだけの度胸のない、根性なしだ」

 ということになるのだろう。

 それを思うと、人が減っていかないとすれば、店員も同罪であり、結局店もろとも、崩れ落ちても、そこから這い上がろうとして、他の店に面接に行っても、入れてくれることはないだろう。

 他の店の経営者だって、その店のことを注目していたはずだ、

「潰れるなら、どのようにして潰れていくか」

 ということを見て、

「反面教師」

 として勉強しておかないと、結局、

「明日は我が身」

 だからである。

 となると、まわりの冷静な目で見れば。

「辞めようと思えばいつでもやめられたはず。店側も危機感がなかったから、何の手も打たなかっただろうから」

 と思っている。

 確かに、

「お花畑思想」

 のために、何もしなかったのか、それとも、

「分かってはいるが、何をどうしていいのか分からない」

 という、参謀にも優秀な人間がいないということが、まわりから見て和かった。

 その時点で、

「ああ、あの店にいた人間は、どこに行っても通用しない」

 というレッテルが貼られたに違いない。

 幹部であれば、特にその通りで、いまさら、そんなやつらを雇うようなことはしないだろう。

 平であっても、同じこと、

「うちに来たとしても、うちのやり方に馴染めるわけがない。どうせすぐに辞めていくさ」

 ということになるだろう。

 きっと彼らは。

「こんなに失業するのは、自分たちのせいではなく、最初の会社がつぶれたことで、そんな会社の人間を雇わないという偏見から来ているのだろう」

 ということで、完全に、被害妄想になっていることだろう。

 だが、実際にそうではない。

 そもそも、被害妄想自体が悪いということを分かっていない以上、絶対にどこも雇ってくれるはずもないだろう。

 考えてみれば、店に客が来る来ないという半分以上の責任は、現場の店員にあるのではないか?

 客に、その店の経営方針がどうのというのは、さほど関係がない。

 その店に来る時の基準として、一番は、いうまでもなく、

「品質がいい」

 ということが一番だ。

 だからと言って、すべて品質が一番を目指すわけではない。確かに、品質がいいといっても、高額であれば、買おうとは思わないだろう。

 普通の商品で、他の店と争うのなら、まずは、立地条件が必須。

「駅から近い」

 あるいは、

「駅から少々遠くても、他にいろいろな自分の好きな店が密集している、行動範囲となる場所の中にその店が存在している」

 などということが、一番の理由となるだろう。

 それを思うと、

「確かに、このあたりは、化粧品にしても、女性小物にしても、手軽ないいものが揃っている」

 ということで、若い女性に人気のエリアだったりする。

 一種の

「若者の街」

 ということで、結構賑やかなところで、夜になると、隣接した居酒屋やバーなど、若者が集うという

「夜の街」

 にも変貌するのだった。

 合コン、オフ会、マッチングアプリなどで知り合った相手との初対面の場所としても、結構ありがたがられる場所として、君臨していた。

 そんな場所がありがたく、昼も夜も賑やかだった。

 だから、このあたりがあることで、最後に残った地域も、人通りはさほど悪くはなかった。

 しかし、経営は、店によってさまざま、本当に、中心が全滅の状態で、こっちに来る人が劇的に減ったわけではない。しかし、だからと言って、人の数だけ売り上げがあるかというと、そんなに甘いものでもない。

 それを考えると、言い方を変えると、

「このあたりは貧富の差が激しかったんだ」

 ということになるのだ。

 今でも客が満遍なく入っているところは、

「生き残る店」

 であり、今の状態でも客が激減したところは、

「やっと化けの皮が剥がれた」

 というところであろう。

 その化けの皮は、店全体の雰囲気が一番大きいのだろうが、

「主犯は、経営陣か、それとも、現場の店員か?」

 ということを探ってみれば、それこそ、

「反面教師だ」

 といえるのではないだろうか?

 実際に、そんな店が、潰れていくのを見ていると、今度は、最初に取り潰した店の開店が、そろそろ待たれる時期になった。

「まもなく、新規ビルが開店する」

 ということになったのだが、それが、最初に開発に入るということで、ここを取り潰して、5年後のことであった。

 それが、いよいよ3か月後に迫った頃であった。第二次として、再開発予定となったビル、つまりは、来年くらいに、新しい店が次々にオープンすることになっている一帯が、いよいよ騒がしくなってきた。

「このあたりも、来年か」

 と、工事現場で働く人たちも、ある程度の山は越えたと思っているので、ある程度安心していた。

 季節は、初冬に差し掛かった頃の11月だっただろうか。

「今年は、暖冬なのか?」

 というほど、まだ寒さはなかった。

 もっとも、10月くらいまでは、普通に最高気温が30度を超えるという夏日があったくらいだ。

 そんなことを考えていると、まだまだ気分的には、

「夏の延長でしかなかった」

 といえるだろう。

 暑さが一段落して、少々寒さを感じる時もある。ただ例年は、この、

「三寒四温」

 と呼ばれる時期は、

「寒いのが当たり前で、暑さを感じると、植物が狂い咲きをするのではないか?」

 と思えていたのだが、逆に今年の場合は、

「いやいや、暑いのが当たり前で、寒い方が溜まらない」

 という気持ちにさせられた。

 ただ、少し考えてみれば、

「三寒四温」

 という時期がおかしいのであって、後者の方が普通に感じられるのは、それだけ、

「三寒四温というのが、おかしな時期なのではないか?」

 と思わせるということであろう。

 そんなことを考えていると、三寒四温の寒さが身に染みると、

「冬のおいしいものが恋しいな」

 と感じるようになっていた。

 確かに、駅前の屋台であったり、ちょっと入ったところの、飲み屋横丁。

 このあたりは、実は一番最初に、改築が行われた地域だった。

 あくまでも、昼の街ということでは、今度の半年後の開店が一番乗りということになるのだろうが、実際には、飲み屋街が一番だった。

 飲み屋街は、一度建て替えるからといって、客がいなくなっても、出来上がってしまうと、前きていた客が来なくなるということはない。それだけ、店員と客。客同士のつながりが深い。

「酒が結ぶ仲」

 というものは、それだけ親密なもので、皆が来てくれるのは、ありがたいことだったのである。

 飲み屋街のすぐそばのビルは、歯抜けになっているので、

「今までの圧迫感がないからいいよな」

 と、客は好き勝手言っていた。

 しかし、それも事実であり、店の人も笑いながら聴いている。

「でも、数年したら、また建つのよ?」

 と女の店員にいわれると、

「それはそれでいいのさ。どうせ俺たちは、日陰の夜中に出没するコウモリのような存在だからな」

 と一人がいうと、

「あら? コウモリってすごいのよ、目が見えない代わりに、超音波で回りが分かるんだっていうじゃない」

 と女の子がいう。

「そうだな。コウモリは、イソップ物語にあるような、卑怯なコウモリの話に代表されるように、ある意味したたかなのかも知れないな」

 というと、一人が、

「したたかではないだろう?」

 と言い始めた。

 店の女の子は、

「えっ、何々? どういうお話」

 といって興味を示す。

 酒に酔っている連中は、うんちくよろしく、

「ここはひとつ、私が講談してあげよう」

 と、講談が始まるのだった。

 その人は、うんちくが好きなようで、特に、酒が入ると饒舌になる。普段から話をするのが好きな人ではあったが、話始めると止まらないのは、やはりアルコールの影響が大きいのだろう。

「このお話は、鳥と獣が戦争をしているところから始まるんだけど、鳥に対しては、自分には羽根が生えているので、鳥だといって、そして獣に対しては、自分には、身体中に毛が生えているので獣だといって、逃げ回ったり、うまくその場を逃れたりしていたんだそうだ」

 というと、聞き手もそれなりの体勢で話を聴いている。

「だけど、戦争というのは、そのうちに終わるだろう? そうなると、そのコウモリのことが話題になるんだよ」

 と。いうと、

「確かにそうだね。平和になると、関係のないことまで巻き込んだりするしね」

 と一人がいうと、その横から、

「それもそうなんだけど、どうしても、戦争を辞める時って、何かの大義名分がないとやめられないじゃないか。ひょっとすると、ここはコウモリのせいにして、コウモリを生贄にでもしようと、誰かが企んだんじゃないか?」

 という意見も飛び出した。

 さすがにこれには、話し手も興味を示したようで、

「確かにそうかも知れない。それは確かに面白い説だね」

 といって、さらに、そこでいったん話をまとめて、先を続けた。

「要するに、その時に、コウモリというのは、卑怯者で、俺たちとは合わないというようなことになったんだろうな。だから、コウモリは、誰の目にも止まらないように、暗くて陰湿な洞窟の中で、暮らすようになったというんだ。だから、明るさを必要としないので、目はあっても、視力が退化して、目が見えなくなってしまった。だけど、それだけ暮らしていけないので、超音波を出して、その反射で、物体を感じるという方法になったんだね。それが、いずれは、レーダーの基礎になったり、ドップラー効果との関係性を示したりとかで、人間にも、深い関係になったということだろうね」

 というと、

「なるほど、コウモリの話を聴いていると、意外と、コウモリほど人間臭い動物はいないという感じがしてくるね」

 と一人がいうと、

「そうだね。だけど、もっといえば、コウモリ以外の他の登場人物いや、動物皆が、人間臭いといえないかい? 戦をするのだってそうだし、戦を辞める大義名分だって、いかにも人間らしいといえないだろうか?」

 ともう一人がいうと、それを聞いた話し手が、

「そうそう、確かに、獣が戦争とするという発想自体が、本当は間違っているんだよ。そもそも、人間以外の動物は、自然の摂理のような、食物連鎖でなければ、殺生はしないだろう。私利私欲のために、同族であっても殺し合うというのは、人間だけであって、それだけ智慧があるということなのか、それとも、神に近いということなのか」

 というと、聞き手の一人は、

「そうそうその通り、神の世界としての、ギリシャ神話に出てくる、オリンポスの神々というのは、それこそ、人間臭いことはないじゃないか。嫉妬深いし、自分の不倫をごまかすために、人間社会の一つの国を、簡単に滅ぼすくらいだからね。要するに、力があるものに、嫉妬心などを与えると、下等動物は、どうなってもいいという発想になる。それこそ、人間の発想なんじゃないか?」

 というのだった。

「だけど、そのオリンポスの神を創造したのは、人間なんだよな。本当にいるとは思えないので、そう思うと、あの話も、結局は、人間社会の権力者に逆らったりすると、どうなるか分からないということを、人間の創造主とされる神になぞらえることで、自分たちの支配を絶対的なものにしようと考えたのだと思えば、分からなくもないね」

 という。

 すると、さらにもう一人の聞き手が、

「なるほど、まるで、合わせ鏡のようだ。鏡に写った自分が、また反対側の鏡に写る。それが永遠に続いて、決してなくなることはないという発想に近いような気がするんだけど、どうなんだろうね?」

 というのだった。

「これは、あくまでも、人間社会においての、身分制度の正当化が一番の目的だろうが、逆に、主君というものは、何をするか分からない。もっといえば、何をしても許されるということになるのかも知れないな」

 と、いうのだった。

 そんな話をしてから、ある程度の時間になったので、3人は、そこでお開きになった。今日の話で一番だったのは、この

「卑怯なコウモリ」

 という話で、結構盛り上がってきたので、その後も結構話したのだろうが、いかんせん、酔いが回って、どんな話をしたのか、皆曖昧な様子だったのだ。

 ただ、この3人は、それぞれ同じ仲間というわけではなく、たまたまこの店で知り合ったという仲間だった。

「世界的なパンデミック」

 が起こってからしばらくは、

「おうち時間」

 と言われたり、

「宅飲み」

 などということもあり、それぞれ、会うこともなかったが、ある程度緩和されるようになってから、またこの店で会い、前のように会話が弾むようになるまでに、そんなに時間が掛かるわけではなかったのだ。

 だから、皆家もそれぞれバラバラで、店を出た瞬間から、方向が皆バラバラということであったのだ。

 一人は、そのまま、私鉄の駅に向かい、もう一人はバスセンターから、そして、もう一人は地下鉄の駅に向かうという感じだったのだが、いつもは地下鉄ですぐに帰るはずなのだが、

「久しぶりにいい酒って感じだな」

 と、普段に比べて、飲んでもいたし、ほろ酔い気分になってしまったこともあって、

「すぐに帰るのももったいないな」

 と思い、ただ、その後はどうしようかと思い、一度、横丁にある、小さな祠にまずお参りすることにした。

 そこは、戎神社の一種の、

「分家」

 のようなものだと聞いたことがあった。

 その証拠に、お供えは笹の葉だった。

「商売繁盛、笹持ってこい」

 という歌があるように、商売繁盛の神様である、いわゆる、

「えべっさん」

 といえば、笹の葉がよく似合うというものだ。

 そして、その奥はというと、ちょうど、第二次の建設計画として、ちょうど、今建設が始まって、外観だけは、だいぶ出来上がって状態になっているところだったのだ。

 普段だったら、

「こんなところに迷い込んだら。怖いよな」

 ということで怖い思いをするのが嫌で、それこそ、

「一目散に逃げ出す」

 といってもいいところであった。

 しかし、

「えべっさんにお参りしたんだから、怖いはずなどないよな」

 と自分に言い聞かせて、何かに誘われるように、フラフラと迷い込んでいたのだ。

「このあたりには、何があったんだっけ?」

 と、すっかり、様相を変えてしまった街並みから、昔のイメージを思い出すのは、酔った頭では、かなりの困難さを呈していた。

「まあ、いいか、とりあえず行ってみよう」

 とばかりに、廃墟を巡っているというよりも、廃城後の、昔城があった城址が公園になったというイメージを抱いて、そのあたりに入り込んだのだった。

 入ってみると、想像以上に真っ暗だった。

 正直、先ほどまでのほろ酔い気分は、ほとんど冷めてきているような気がした。

 しかし、今年は、例年になく、温かいので、少々の風が吹いてきても、

「寒い」

 という感じになるわけでもなかった。

 ゆっくり歩いていかないと、足元がおぼつかないのは、いつでも同じで、途中に立ち入り禁止のひもが掛けてあったりしても、気付かなかったら、そのままひっくり返ってしまうということで、気を付けなければいけないところだったのだ。

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