タイトルの「悪魔」

森本 晃次

第1話 亡国「日本」

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和4年12月時点のものです。いつものことですが、似たような事件があっても、それはあくまでも、フィクションでしかありません、ただ、フィクションに対しての意見は、国民の総意に近いと思っています。


 最近、都市部での大きな問題というと、

「以前に開発した街の、それぞれの施設が、ほぼ同時期に老朽化してしまっている」

 ということであった。

 4,50年前くらいというと、ちょうど、昭和40年代後半から、50年代前半に掛けてくらいであろうか、首都圏や、国内有数の大都市であれば、別なのかも知れないが、それ以外の、地方中心的な都市などは、戦後復興の応急的な街から、やっと、近代的なビルに建て直す時期に差し掛かっていた時期ではないだろうか。

 そんな時期が、今では、懐かしいと言われる時代になり、実際に、昔の街並みを知っている人は、もう老人クラスになっていて、たまに、ビルなどで、

「街の半世紀」

 などといって、新聞社主催の、10年置きに開催される記念式典などで、写真が飾られているくらいであろう。

 もちろん、それ以降、時々、ビルが建て替わったり、中央から、企業が進出してきた李して、

「マイナーチェンジ」

 が行われることは、少なくはなかった。

 町並みは。もちろん、当時のブームなどに影響されたり、逆に法改正などによって、建て替えを余儀なくされたところもあっただろう。

 しかし、それだけではない。昭和の30年代くらいまでは、どうしても、

「戦後復興」

 というものが最優先であった。

 昭和30年代前半くらいから、

「もはや戦後ではない」

 ということで、街は地域ごとの色彩を前面に出す形で、

「定型化されない」

 というイメージも植え付ける街並みになっていった。

 たまには、当時としては、奇抜なデザインを求めて、著名な建築家に頼んで、ビルや街並みの彩を生かしているところもあり、中には、

「奇抜さを優先する」

 ということで、収支を度返しなどと思えるほどの店ができたりした。

 そんな街並みにおいて、

「とにかく、人が来てくれることが、一番の復興であり、経営目的でもある」

 ということで、今よりも、イベントなどが多かった。

 それも、どこかの室内の会場を借り切るというよりも、誰もが気軽に立ち寄れて、そこに模擬店のような形を設けることで、活性化と収入につなげるということであった。

 百貨店や専門店の前には、そのような催し会場が作られていたり、市役所や県庁の前でも、いつでも、イベントができるようにしていた。

 郊外にいっても、昔の城址公園であったり、花見の名所で有名な公園あたりでも、いつでも催しができるようになっていて、そんな街並みが溢れていたのであった。

 そんな街並みが次第に整備されるようになり、本当に人が活性化していた。

 それまでは、どうしても、

「まだまだ戦後」

 という印象が深く、遊んでいる暇などなく、仕事一筋という時代であった。

 ただ、バブル時期のような、

「人を人とも思わない」

 というような、

「誰もが企業戦士」

 という時代でもなく、今のように、

「コンプライアンスに縛られながら、そんな中でもブラック企業が存在する」

 というような、わけの分からない時代ではなく、結構まともな時代だったといってもいいだろう。

 定時というと、9時から夕方の6時というのは、ほぼ変わりがない時間であり、ほとんどのサラリーマンが、定時から定時までの、残業などがない時代だったのだ。

 さらに、定年というと、55歳から、年金も55歳からもらえるというもので、とにかく、今の人間から見れば、社会福祉は、完全ではなかったが、どんどん改正されていき、

「一番住みやすい時代だった」

 といえるのではないだろうか。

 この時代というと、例えば、世帯主、つまり、会社に勤める父親は、

「風邪を引いた」

 といって、病院に行くとすると、初診料だけで、2回目以降の治療費はただだったのだ。

 ただというのは、

「保険で全額賄える」

 ということで、初診料以外の治療時は、本人負担ではなかったのだ。

 家族でも3割負担とかいう時代で、普通に給与天引きによる、

「健康保険料」

 で、ほとんどが賄えるという、

「いい時代だった」

 のである。

 いや、この言い方はおかしい。

「あの時代がよかったのではなく、普通だったのであり、今のように、

「まるで暴利をむさぼっているのではないか?」

 と思えるほどの額を健康保険といって天引きされ、しかも、治療費は、

「本人も、家族も3割負担」

 である。

 昔であれば、

「初診料。100年ちょっとくらい」

 で、普通に保健が利いて、気楽にいけた時代だった。

 しかし、今はまったく逆で、初診料と、治療費で、2,000円を下らない、さらにそこに薬などを3日分でももらおうものなら、2,000円を超えるのだ。

 昔であれば、

「市販の薬を買うよりも、病院に行って診てもらって、薬を貰った方が、なんぼか安上りだ」

 と言われたものだった。

 しかし、今は、病院1回分で、薬が何日分をいくつ買えるというのか。これだと、病院に通う人が少ないのは当たり前というものであろう。

「そんな昔はいい時代だった」

 と、昔を知っている人はいうのだろうが、実はそうではない。

「今までの政治家たちが、こんな時代にしてしまった」

 ということなのだ。

 確かに復興の時代は、高度成長の時代であり、公共事業がどんどん進み、インフラが整備される。

 もちろん、オリンピック、万博などというイベントがあり、イベントを中心に急発展したおかげで、経済も潤ってきたのだろうが、実際には、

「富んでいる人は十分に金持ちとなり、貧しい人は、まだまだ戦後のバラックに毛の生えたほどの家に住んでいる」

 というのが、実情だった。

 そんな時代を知っている人も少なくなってきたが、当時の映画などでは、そういう社会を風刺した作品もあった。

 学校では、同和問題などの授業もあり、バラックなどに住んでいる人たちを、

「部落」

 などという言葉で差別をする時代でもあった。

 今のようなコンプライアンスなどという観念がない時代だったのかも知れないが、それも次第に、整備されていくようになる。

 ただ、政治家の中には、どうしても、私利私欲に走る人もいた。

 当時の総理大臣もそうだっただろう。

 しかし、それも今の時代のソーリたちとは違う。

 地元に潤いをもたらしたり、国家の発展にその成果を爪痕として残したりしていたではないか。

 今の政治家というと、

「私利私欲に走るだけで、国民は、騙せばいいんだ」

 というばかりに、好き勝手なことをやって、疑惑に塗れていたソーリだっていたではないか。

 死んだ人間を悪くいうのは、あまりいいことではないのだろうが、あの元ソーリだけは、

「人間の皮をかぶった悪魔だ」

 といってもいいだろう。

 そういう意味でも、少なくとも今から4,50年くらい前には、そんな、

「亡国の使者」

 のような男はいなかった。

 いや、

「いなかったように見えるだけかも知れない」

 それでも、時代がそんな男を望んだのか、

「どんなに、疑惑があっても、政治家としては、立派な人だ」

 というのが、ほとんどの人の意見であり、今でも、

「総理大臣といって、最初に出てくる人は?」

 なる質問で、この時の総理大臣の名前が出てくることが多いのだ。

 彼は、隣国との、

「国交正常化」

 など、それまで誰もできなかったことをたくさん成し遂げた。

 皆から、

「総理大臣と言えば」

 と言われて名前が出てくるのは、当たり前というものだろう。

 そんな頃も。

「ロクな政治家がいない」

 といっている人もいたが、今よりも何百倍もマシではないだろうか?

 ただ、それらの小さな塵が積もって、今の状況を築いているというのであれば話が別である。しかし、今の世の中、

「何とかしよう」

 というどころか、

「どうせ、どうにもならないのなら、自分が権力を握っている間に、私利私欲に走りまくってやろう」

 という連中ばかりなので、手に負えるわけはないというものだ。

 時代は昭和から平成に移り、それまでの昭和が、

「浮き沈み」

 という時代であったにも関わらず、平成からこっちは、バブルというものが弾けて、ずっと落ちる一方だった。

 諸外国も、バブル崩壊並みの不況があったにも関わらず、そんなにひどいことになっているわけではなく、物価は上がっても、その分、給料も上がってきたので、まだ、何とかなってきたが、日本の場合は、

「物価は上がるが、給料は上がらない。バブルが弾けて一気に下がった後、最後のベースにも戻っていない」

 というほどの体たらくである。

 その一つは企業の内部留保だと言われている。

 確かに、日本における、

「年功序列」

「終身雇用」

 と言われる部分が、根っこにあることで、

「社員を簡単に切れない」(と言いながら、平気でリストラは行いが)

 ということもあり、それを内部留保のおかげと言われれば、簡単に内部留保がまずいとはいえない。

 しかも、

「世界的なパンデミック」

 でさえ、内部留保のおかげで、会社が助かったというところも多かった。

 そうなると、ますます、企業に、

「吐き出せ」

 とは言えなくなってしまう。

 そうなると、

「内部留保というのは、必要悪ということになるのかも知れない」

 ということにしかならないだろう。

 ただ、今の日本が、

「失われた30年」

 と言われるのは、すべて、この内部留保のせいであり、しかも、それが溜まり溜まって、とんでもない額になっていることも、大きな社会問題であった。

 そこへもってきて、政治家は私利私欲に走り、さらに、ずさんな管理から、

「消えた年金問題」

 を引き起こしたりと、

「政治家の罪は、殺しても殺したりない」

 というくらいに重いものになっているといっても過言ではないだろう。

 今の、この令和の世の中とは、そんな政治家や企業のせいで。不況とインフレが一緒にくるという、

「悪い円安」

 になっているのだった。

 それでも、老朽化の波はやってくる。

 特に、鉄道など、謙虚なもので、毎日のように電車が遅延していて、その理由の半分は、

「車両故障」

 というのだから、たちが悪い。

 ちなみに、残りというのは、

「人身事故」

「踏切内点検」

 などが多いであろう、

 一見、鉄道会社に関係ないように思われるが、人身事故などは、ほとんどが自殺である。鉄道に飛び込むと、

「やくざ顔負けの取り立てと言われる賠償金」

 を取り立てられる。

 しかも、それは鉄道会社が潤うだけのもので、実際に迷惑を被った客に還元されることのないものである。本当に鉄道会社というものが、どれほど、あこぎな商売なのかということを、この理屈を知れば、皆怒り狂うであろうに、意外と知られていないのだろう。

 そんなことを考えると、本当にやり切れなくなる。

 ただ、車両故障などは、最初から分かっていたはずだ。特に、国鉄から民営化された時、新型車両に、一気に変えた経緯を考えると、一つが老朽化してくれば、皆同じように老朽化してくることくらい、子供にだって分かるというものだ。

 それなのに、何も対策を取っていないというのは、よほど今までの経営がひどくて、お金を使えないだけの企業がひどい状態なのか、まさか、

「予想していなかった」

 というほど、バカの集まりだというのか、本当にどっちだとしても、

「企業としては、許されることではない」

 といってもいいだろう。

 ただ、私鉄もしかりなのだろうが、元国鉄の場合は、

「利益を優先といいながら、やっていること、頭の中の構造は、いまだ国鉄を継承している」

 といってもいいだろう。

 国鉄というのが、どれほどのことをしていて、あれだけの累積赤字を作ってしまったのか、今となっては、知る人もほとんどいないだろうが、

「フリーパス」

 というものがあったくらいだから、どれほどひどかったのかということであろう。

「当時の国鉄では、国鉄社員の全員に、国鉄電車、ほとんどすべてがフリーパス」

 という券を支給されていた。

 今では考えられないことで、当時でも、少なからずの問題になった。

 今ではさすがにまずいのは分かっているだろうが、国鉄精神は残っているようで、電車が遅れても、

「数分くらいだったら、誤差の範囲」

 というくらいにしか思っていない。

 それを客が感じるのであれば、別にいいのだが、実際に金をとって、運営している会社がそれだけ、本末転倒もいいところである。

 それこそ、

「国鉄かたぎ」

 というべきか、

「まるで公務員か?」

 と言いたいくらいだったのだ。

 そういえば、昔、昭和の頃は、公務員というと、

「給料が安くて、やりがいがない仕事」

 などと言われていた時代があったが、今では、

「これほど安定したものはない」

 と言われる。

 それだけ、バブルの崩壊は大きかった。

 何しろ、

「銀行は絶対に潰れない」

 という、今ではありえない話を、当時は、ほぼ全員が神話として信じていたのだ。

 そういう意味では、今という時代は、

「何が起こってもビックリしない」

 と言われる時代で、天変地異だって同じこと。

「首都直下型地震」

「富士山の噴火」

 など、ありえないわけではないのだ。

 まあ、その前に、伝染病の流行で絶滅するか、毎年のように起こる水害、異常気象など、山積する問題もあれば、

「核戦争」

 による、世界滅亡というシナリオも考えられなくもない。

 日本のような島国など、異常気象が世界を襲えば、あっという間に、沈没してしまうに違いない。そんな物騒な時代に、自分たちは生きているのだ。

「少なくとも、今の政府にはどうすることもできない。下手をすると、政府にこの国を滅亡させられることになるかも知れない」

 ともいえる。

 ただ、それは、誰にも分からないが、若者を見ていると、正直この国の将来は、どう考えても浮かび上がってくることはないだろう。

 今、初老くらいまでの人は、後は死んでいくだけなので、その心配はほとんどしなくてもいいだろうが、若者には、そうはいかない。

 もっとも、自分たちで潰しているという自覚を持たない以上、それも、自業自得でしかない。

「まあ、この国の将来など、知ったことではないわ」

 というのが、本音の人も多いだろう。

 だから、少子高齢化などという問題も起こる。

「どうせ、生まれてきても、ロクな未来があるわけでもない。自分たちの老後をみてもらうどころか、若者は自分たちの生活だけで大変なんだろうから、俺たちが頑張って金を使って子供を育てて何になるというのか」

 と思っている人も少なくない。

 子供ができることで、自分たちが大変な目に遭うくらいなら、作らなければいいというのは、当たり前のことである。

 そんな国にしたのは、そもそも、政府であり、口では、子供のための子育て保証だとか何とか言っておきながら、

「待機児童問題」

 などという、子供を作ったせいもあって、共稼ぎをしなければいけなくなったのに、預かってくれる保育園が足りない。

 しかも、その保育園も一部ロクでもないところが問題となり、

「子供を虐待」

 しているところも多いという。

 もっといえば、認知症になった高齢者を入れる施設でも、相手が認知症というのをいいことに、こちらも、言葉にすることすら恐ろしいような虐待を繰り返しているところが多いという。

 社会体制がなっていないだけではなく、金を取って、預かっている連中が、そんな非人道的なことをしているのだから、本当にどうしようもないといってもいいだろう。

「この政府に、この社会あり」

 と言ったところであろうか?

 ちょっと思いついただけでも、これだけのことが出てくる今の国家、本当に将来などを夢見ていいのだろうか? 本当に、数十年後には、日本という国は、地図上から消えていて、歴史の授業などで、

「かつて、日本という国が存在していた」

 などと、過去の歴史として、教科書の一行に書かれるだけの時代が、すぐに訪れるに違いない。

 とりあえず、今の日本は、

「そんな時代だった」

 ということである。

 ただ、まだ、自治体は。国鉄などよりも、まだマシかも知れない。一応、老朽化のビルを何とかしようという意識があるようで、かつて繁栄していたビルの老朽化を最初から分かっていて、建て直し計画をちゃんと練っていて、いかにすればいいのかということを計画している分だけマシであろう。

 考えてみれば、

「昔はできたのに、今できないというのであれば、それは、本当の平和ボケ」

 といってもいいかも知れない。

 だから、今、全国主要都市では、結構、工事中のビルであったりが多くなっていて、

「いい悪いは別にして」

 将来に向けた都市計画が進行しているようだった。

 老朽化の波が襲ってくる中で、さすがに、一気にすべてのビルを壊すということなどできるはずもなく、それぞれの一角ごとに開発を進めていき、1,2年ごとに取り壊しをする地域をずらしていって。そのうちに最初の計画となった場所が、きれいに生まれ変わるというものであった。

 虫食い状態になってしまうが、それも仕方のないことなのかも知れない。

 ただ、苦言を呈するとすれば、

「街が新しくなるにつれえ、人が離れていっているような気がするが、気のせいであろうか?」

 と、感じている人も少なくはない。

 特に、鉄道の都市部の駅などにいえることだが、

「整備新幹線」

 というものが、大きな禍となっているように思える。

 確かに、

「新幹線を作る」

 というのは、悪いことではないし、

「街の活性化」

 という意味で、いいことなのだという発想もあるが、それは内情を知らない人の考えることであった。

 新幹線を作るということはどういうことなのかというと、

「新幹線というのは、在来線とは別のルートになる」

 ということなので、在来線のかつてのルートに点在していた観光地に、人が立ち寄ることはなくなるので、後は、ゴーストタウンと化すだけだ。

 という問題であった。

 もう一つは、駅を綺麗にするのはいいが、駅ビルと言えど、

「何でも揃う」

 という商店街のようなところがあったが、時代の流れか、商店街に当然のようにあった店が、ほとんど消えてしまっている。それも、客が一定数集まるところだ。

 たとえば、本屋やCDショップなどがそうである。いくら主流が紙やディスクのような媒体から、ネット配信や、ネット書籍などで手に入るので、店舗の売り上げが減ったのかも知れないが、あればあるで、人が寄ってくる。今の駅ビルの閑散とした雰囲気は、お土産を見たりするくらいで、前ほどの活気はまったくなくなっている。ビル内のカフェや、食堂街のようなところでも、一番の稼ぎ時の夕方など、あまりいないではないか。さすがに昼休みは一定数いるだろうが、それほど、店の前で待っているという姿を見る頃もない。それhど、ひどいものであった。

「目先のことだけに囚われて、先のことが見えないんだろうな」

 と思っているのは、客だけだろうか?

 さらに新幹線を通すということは、

「金がかかるわけである」

 しかも、維持費というものも必要となり、それを、自治体から徴収しようというのだから、とんでもない話だ。

 せっかく地道にでもやってきた温泉街や、観光地を潰されて、しかも、新幹線のために、金まで出さなければいけないのか? さすがに不満のある県や自治体だってあるはずだ。

 さらにいえば、新幹線で、あっという間についてしまえば、旅行気分などまったくない。

 今までは、6時間近くの移動であれば、十分、旅行気分であったが、それが、3時間もかからないのだ。下手をすれば日帰りができるくらいで、旅行気分もあったものではない。

 だから、わざわざお土産を買うということもなくなるし、駅ビルに人もあまりこない。

「まだ昔の特急の停車駅という方が、売り上げはあった」

 という駅も多かったことだろう。

 それを思うと、

「新幹線なんか必要ない」

 と思う人がもっとたくさんいてもよさそうではないか?

「閑散とした街を活性化させるために」

 ということで作った施設が、閑古鳥が鳴いていて、

「史上最大の贅沢」

 と言われ、そのために、たくさん税金を取られた庶民だってたくさんいた。

「365日、24時間。駐車場がタダ」

 という触れ込みだったのに、客がまったくといっていいほど、来ない空港。

「それはそうだろう、特急で、数十分行ったところの隣の県に、大きな国際空港があるのだから、後続バスでちょっと行けば、いいだけなので、そっちを利用する」

 という人がたくさんいるのだから、閑古鳥が鳴くのは当たり前のことである。

 そんなことを考えていると、

「新たに作り替えるのも、しっかりと計画しなければ、今までの維持どころか、ゴーストタウンになってしまう」

 ということもありえる。

 ターミナル駅というと、もっと賑やかなものというイメージが、

「ただの、終着駅」

 というだけになってしまっては、お金の無駄遣いであり、

「社会悪でしかない」

 といってもいいだろう。

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