第39話 夜明けのBEAT

 突然、この辛気臭い部屋に響いた、澄み切ったように清々しい男の声。俺はこの声を知っている。遠い昔、何度も聞いた声。俺の心から、離れなかった声。


 そして、俺がヤマトで最後に聞いた声。


「お前……なんでここに」


 声の主は、唯一無二の存在であり、俺が戦う理由になっていた男、マサトシだった。


「まぁ、地続きの土地に両者とも飛ばされてたってことだ。ヒロトの支配が及んでない、こことかなり離れた土地ではあったがな」


 マサトシはひょうひょうとした顔で言った。


「お前の噂、遠く彼方、俺の所まで届いてたぞ。自由を求め戦ってる、面白い連中がいるって。そんなこと聞かされたら、な。俺もクソ野郎どもの土地から脱走して、ここまで遠路はるばる来たってわけだ」


 まさか、こんなところで会えるなんて。かつての親友と。長年待ち望んだ瞬間が、今目の前で起こっている。


 だが、今の俺は……マサトシに会うべき男ではない。


「でも、いざ来てみればこのザマだ。はぁ……期待して損した。話に聞く名将が、こんな体たらくとは。ヤマトにいた時より劣化してんじゃないのか?」


 クソが。マサトシ、お前も俺を貶めるのかよ。俺が悪いのだと分かっているのにも関わらず、怒りで血が煮えたぎってしまう。マサトシに対する憎悪が芽生えてしまう。


「てめぇに……ぽっと来たばっかのてめぇに……何がわかる! 大体てめぇは」


「分かるんだよ、俺には。何せ、お前の親友だからな」


「っ!」


 親友。何気ないその言葉が、冷徹な針となって俺の心を貫いた。


「で、でも」


「でもじゃない。お前逃げてるだけだよ。責任から、恐怖から。現実から。殺しから」


 俺にとっては、マサトシの言葉の1片1片が凶器そのもの。何気ない言葉さえ、俺の精神を削るのに十分だった。


「あの金髪ハーフから聞いたぞ。お前が戦えなくなった原因。そして、さっきの子供とのやり取りも、聞いた。軽くだがな」


 ユードラとも話しているのか。じゃあ、俺の情報筒抜けじゃねぇか


「なぁ、ヒロト。お前の決心は、お前の戦いは、そんな小さなことで消えてしまうほど、弱いものなのか。違うだろう。お前は、そんな男じゃない」

 

「い、や、俺は、救世主で……みんな、みんな助けなきゃ……みんなを助けることが、俺の至上命題なん」




「やかましい!!!」


 マサトシが叫んだ。今までに聞いたことの無いほど、大きな声で。彼と過ごした17年。その中で、最も力強い響き。ルーブ人どもに連れ去られた時よりも、約束をした時よりも、ずっとずっと、想いがこもったもの。


「鬱陶しいんぞ! なーにがみんな救うだ! そんなん無理に決まってる! そんなことも知らず、何が救世主だ! まずはお前の頭を救世しろ!」


「え」


 理解が追いつかない程の速さで、口から放たれる弾丸。それは、留まることを知らない。


「あいつらは敵じゃない? どう考えても敵だろ! 俺らの所に攻めてきてる時点で、もう奴らはルーブ帝国のゴミ共と一緒だ! その気になれば、俺らみたいに脱走しちまえばいいんだからな!」


「そ、それはリスクが……」


「リスク? 知るかよ! その程度の覚悟すらないなら、殺されてもしゃあないだろ!」


「け、けど……」


「お前はそう言って言い訳をして、また殺しから逃げるのか? また仲間を見捨てるのか? お前は優しい訳でも何でもない! ただ、嫌なことから逃げ、現実から顔を背けている雑魚だ! そんなの、分かっているだろう!」


「あ、あ」


 そう、分かっている。分かっているんだ。でも、でも、逃げてしまっている。俺が、弱いから。


「いいか、お前がどんな選択をしようが俺は構わない。だが、これだけは言っておくぞ」


 マサトシはその鋭い眼光を一心に向け、心臓から溢れ出す熱き炎を滾らせながら、ゆっくりと、そして大きく口を開いた。


「命は生まれながらにして平等ではない。価値のある命、無い命。これらは、存在してしまう。綺麗事でも何でもない事実として、ある。だからこそ、俺たちは選ばなければならない。では、何を基準にして選ぶか。それは――」


 マサトシの蒼眼が煌めく。まるで、太陽に当てられているかのように。


「自分自身の意思だ」


 俺の、意思。


「この世に絶対的なものなどない。ならなにを信じるか。自分しかいない。そうだろ? お前の意思、欲望、願い。自分自身に従って、選ぶしかないんだ」

 

 俺の、願い。


「それだけじゃない。死んで行った奴らの分もだ。お前は仲間の命を何回も何回も奪ってきた。統治者として、それは仕方の無いこと。だが!」


 マサトシはその眼に闘志の灯火を宿しながら、言葉を続ける。


「言葉を失った彼らの願いを叶える義務が、お前にはある! 今も死にゆく彼らが宿す、崇高なる願いを!」


 あいつらの、願い。


「ヒロト! お前は弱い! どうしようもなくな! でも、みんなから受け取った願い。そして、夢へと向かう命の鼓動! これらがあれば……お前は、いや、俺たちは最強になれる!」


 願い。夢。そして、命の鼓動。数々の言葉が俺の身体を駆け巡り、囁く。戦えと。


「思い出せ! ヒロト! お前が戦う、本当の理由を!」


「俺の、戦う、理由」


 そうだ、理由。どうして、俺はこんなに頑張ってるのか。マサトシと約束したからとか、そんなものじゃない。そんな、一時の行動に左右されるものじゃない。


 それを超えた、根源的な野望。俺の胸に宿る、本当の願い。


「ひ、ろ」


 突如、俺の耳に届く掠れた声。今に途切れてしまいそうな、小さな命。


「シゲミツ……」


 彼は、そこから何も発さなかった。いくら力があろうと、この状態からの復活は出来ない。ただ、最後に1つだけ。残った僅かな力を使って、1つだけ。


 シゲミツは、風が吹き込む窓を指さした。




 その瞬間、俺の心がビートを刻んだ。


 そして、雷が落ちたかのような衝撃と共に、視界がぼやけ、明るくなった。まるで夜明けのように、何かが生まれた。


「あ」


 そうだ、そうだよ! こういうことだ! やっと、やっと、やっとわかった! どうして今まで気づかなかったんだろう!


 小難しい理論なんていらない! 誰かからの命令なんかじゃない! ただ、俺の自由意志! 俺が、最も望むこと! 俺が、マサトシの約束に引かれた理由!


「そうだ、俺の夢は」


 みんなと一緒に笑える世界を作りたかったんだ。戦いなんて無い、不自由だけど自由な、そんな世界を。


 ようやく、気づけた。こんなに時間がかかっちゃったけど、何とか。普通の人には、自分の夢に気づくなんて、大したことじゃないのかもしれない。でも、これは俺にとって、大きすぎる一歩だ。


「みんな、ごめん。長い時間、迷惑を、かけた」


 俺のせいで死んで行った人達、ごめんなさい。そして、ありがとう。俺に、力をくれて。俺に、夢を思い出させてくれて。


 いま、弱い俺とケジメを付けます。


「うぉぉぉぉぉ!」


 この世の全てをたたっ切れるような、全身全霊の力。そんな力で、俺は自分の頬を叩いた。これが、俺なりのケジメの付け方。


 じゃあな、昔の弱い俺。そして、こんにちは! 最強の俺!


「……っふぅ〜! 迷惑かけちまったなぁ!?」


 清々しい、いい気分だ。痛みなど、気にならない。俺の心が鼓動を刻む。仲間を救えと騒ぎ回る。敵を穿うがてとバクバク鳴ってる!


「行こうぜ、マサトシ! お前の親友、完全復活だ!」


「ふん。待たせおって。こっちの準備はとっくに出来てるよ」


「よっしゃ! 俺に着いてこい!」


 憂鬱からの出口みたいにぽっかり空いた窓を飛び抜け、俺は戦場へと向かう。待ってろ、みんな!

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