第4話 Days Before The Catastrophe④

◇◇◇



 アンジェリカが泣き止むにはしばしの時間を要した。イチローは何があったのか聞かなかった。彼女が涙を流した理由を知っていたからだ。彼も、彼女と過ごすこの時間に、ややもすると胸を突くような、どこか郷愁の念にも似た懐かしさに鼻の奥がツンとするのを堪えた。

 彼にできることは己を律し、アンジェリカの気持ちが休まるのを待つことだけだった。

 しばらくして彼女が落ち着いたのを見計らい、イチローが切り出した。


「俺はこれから竜宮院と戦う。だからアンジェにも手を貸して欲しい」


 彼女に断るという選択肢はなかった。


「……当たり前じゃない。プルさんから多少は聞いてるわ。逆に頼まれなかったらどうしようと思ってたところよ」


 目を赤くして未だ濡れる瞳のまま、彼女は了承した。


 イチローは徹頭徹尾『誰のためでなく俺が俺のために戦う』という姿勢を貫いた。アンジェリカは彼のことを知っている。けれど、彼女も彼のそれに対して、何かを言い募ることはしなかった。


 やがてイチローが「どこから話そうか」と切り出すと、様々な事情を斟酌しつつ、アノンとの話によって導かれた竜宮院の能力について言及し始めた。




◇◇◇




「───というわけでアノンは、竜宮院の持つ二つの能力を、"他人に偽の記憶を植え付けるような能力"と"魅了の様な力で他人を操る能力"と推測していた。彼はそれぞれを仮に《能力α》と《能力β》と名付けた」


「……」


 イチローの説明にアンジェリカはのどを鳴らした。言葉を返せない。恐らく、彼の言葉は正しい・・・



 怖かった。

 怖くてどうしようもなかった。

 けれど今───封じていた記憶を紐解く。


 思い出すあの日々。


 そうだ。

 どうしてだろうか……勇者に対する気持ちは抗えないほどに強烈なものであった。それに……いつしか───


 勇者が落ちこぼれの私を導いた。

 二人の日々は、いつの間にか勇者との思い出となり……は、最初から最後まで救世の邪魔をし、平和のために日々身を粉にする勇者の足を引っ張り続けた───



 あのときの私は、それが正しいものなのだと、少したりとも疑わなかった。勇者に対するあの感情は───


「アンジェ、大丈夫か?」


「───」


 大丈夫。

 今の私はちゃんと私だ。


「何でも……ないわ。それよりも、アノンとはそれほど面識があるわけではないのだけれど……ちょっとすごいわね」


 えっ? という表情をイチローが浮かべた。


《能力α》───"他人に偽の記憶を植え付けるような能力"と《能力β》───"魅了の様な力で他人を操る能力"……勇者がそれを持っていたことは疑いようのない事実だ。


「私にもあの男・・・の能力が何なのか、はっきりとはわからないの……けどあのときを振り返ってみると、アノンの推測は多分当たってる」




◇◇◇




 彼女がアノンの推測を認めた。


「当たってるって……どういう」


「アイツの能力下にあった私から見ても……思い当たる節しかないってこと」


「そっか……まあ、アノンの推理だから疑っちゃいなかったけどな」


「なんでイチローが得意気に鼻の下を擦ってるのよ」


 何か腹立つわねと、アンジェリカが頬をぷくーっとふくらませた。


「何だよそれ」


 くはっと彼が笑い、つられるようにアンジェリカもふふっと笑った。



◇◇◇



 

「んで、アノンが隠蔽スキルを持ってんじゃねーかって言うんだ」


「あー、だとしたらややこしいわね」


「だろ?」


「隠蔽スキルにも位があるだろうし……もしアイツが隠蔽スキルを持ってたとして、位の高いものなら面倒ね」


「それに『原始の魔呪プリミティブカース』の可能性もあるって」


 ああ、確かにと彼女は頷いた。


「なるほどね、見えてきたわ。貴方達が何を考えているのか。正体不明の能力を正体不明のまま対処するつもりなのね。だから、色々な可能性を考えて全ての穴を潰そうとしている」


 アンジェリカは「でしょ?」と尋ねた。


「さっすがアンジェ!」


 イチローが指を鳴らした。

 あまり似合ってないその仕草に、懐かしさを覚えた。


「だから今日は魔法、魔術、魔力に精通したアンジェにも、竜宮院の能力が何に由来するものかを考えて欲しいんだ」



 それが契機だったのだろう。

 どこか控え目だった二人の会話が弾みだした。


「───てのはどうだ?」


「けど、それじゃあ説明がつかない」


「どこがだよ? ちょっくら詳しく教えてくれ」


「えー、だからね、そういうアイテムがあるとすれば───」


 冷蔵箱から取り出したハチミツ酒を、イチローが彼女の空いたグラスに注いだ。


「可能性の話だけど、《憑依》ってのはあるかもね。死霊使いネクロマンサーなんかが霊を召喚させて、取り憑かせたりする術なんだけどね」


「じゃあ竜宮院は、意のまま動く霊を、憑依させることで他人を意のままに操る力を持つってことか?」


「あくまで一つの可能性の話ね。これはなるべくあり得そうな可能性を提示する場だから」


「わ、わかってるゾイ!」


「ゾイ?」


 イチロー赤面。


「恥ずかしくないわ。大丈夫、大丈夫だから」


「そういう風に言われると余計恥ずかしいんだが……」



◇◇◇



 時が過ぎるのは一瞬だった。

 ややもすると、あの頃に戻ったかのように錯覚しそうになった。

 イチローがいて、私がいる。

 それが私の世界だった。

 それが私の幸せだった。


「氷頼めるか?」


「任せて」


「グラスに直で頼む。冷やしたの飲んでたけど、絶対に氷があった方が美味い」


「あー、ねー」


 と答えている間に、カランカランとグラスに氷が落とされた。イチローがおかわりを注いだ。


「それにしても、これ美味しいわね」


 アンジェリカがグラスを掲げた。


「だろ? ボルダフの南に接したライオネル皇国から持ってきたもんだとよ。ちょっと前に知り合いの商人が『赤字で死にそうやねん。助けてくれ』って泣きながら土下座するから、持ってる分を全買いしてやったんだ。たくさんあるからアンジェも持ってけよ」


「いいの?」


「おう」


「けど、やっぱりいい……」


「何でだよ? 遠慮すんなよ」


「遠慮じゃなくて……」


「何さ?」


「持って帰るより、また一緒に飲みたいから……」


 一瞬きょとんとしたものの、イチローは微笑んで返した。


「いつでも連絡くれよ。待ってるから」







◇◇◇





 アンジェリカは彼のその笑顔だけでこれからも生きていけるような気がした。

 だから大丈夫───






◇◇◇



 その日以降、アンジェリカが、イチローに連絡することはなかった。


 限られた時間の中、イチローも毎日忙しなく動き回っていたから、二人が会えないことも、確かにやむを得ないことではあった。


 アンジェリカは心に誓っていた。

 自分に出来ることをやり遂げるのだと。


 勇者の能力は、『魅了』、『洗脳』、『催眠』、『操心』、『操身』のような特殊な"力"だろう。それがスキルやアイテムによるものか、『魔眼』や『魔口』といった『原始の魔呪プリミティブカース』の類かは未だに不明であるが、もしそれが前述の力ではなく、特殊な魔法や魔力によるものという可能性も考えられる。魔法や魔力は超常を実現する。脳や心に作用するそれらがあっても不思議ではない。


 それなら私でも力になれるはずだ。


 一つの方針を得た彼女はボルダフにて、招集の日に向けて、休むことなくひたすらに己の知識と技術を磨き続けた。







──────

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