第3話 Days Before The Catastrophe③

◇◇◇




「───というわけで、昼過ぎにはここを発つから準備しておくんだぞ」


 翌朝、プルミーから昨夜の話を聞かされたアンジェリカはいてもたってもいられず、急いでボルダフに向かう準備に取り掛かった。

 彼のためには何を持っていけばいいかしら……これもいる? それならあれもいる? ならばそれも? ということはこれもいる?───そんな調子で彼女はバタバタとあれやそれやをマジックバッグに詰め込んで回った。


 アンジェリカは知っている。

 かつて彼女がイチローに謝罪したときに口にした通り、イチローは金や名誉を気にする人間ではないことを。ならばなぜそんな彼が、王国からの招集に応じ、勇者に立ち向かうのか───


「イチロー……」


 彼は不器用で、甘く、どこまでも優しい。

 だから今回も、彼は誰かのために招集に応じるたのだ。それは……自意識過剰でなければ、私達のためかもしれなかった。


 彼の優しさに胸が温かくなるのを感じたが、それと同時に、彼が白い少女へと思いを告げ、口づけを交わした場面が想い起こされた。


 違う……そうじゃない。

 彼女は、ぶんぶんと頭を二度ほど振った。

 イチローが意識を失っていたあの時期、グリンアイズに戻る前に、少しだけミカと話をした。

 彼女も言っていたではないか。

 見返りを求めずに心のままに償うのだと───そうだ、私がこれからすべきことは彼の力になること……ただそれだけだ。

 彼女は己を強く戒めたのだった。



◇◇◇



 彼が借りているギルドの一室にて、二人は再会した。プルミーはオーミ達と話があるからと、先にアンジェリカ一人で彼の下に向かわせた。イチローは部屋の扉を叩いた彼女を、部屋へと招き入れた。


「おっす」


「久し振り」


 そうして彼らは久し振りに互いに挨拶を交わした。何気ない挨拶であったが、アンジェリカは口から心臓が出るほどに緊張していた。しかし彼女は気付いていなかったがイチローも緊張していた。互いがそれぞれ己の気持ちを隠し、かつての様に振る舞った。しかしそれでも、アンジェリカは彼にもう一度伝えなければならない言葉があった。


「ごめんね、イチロー」


 アンジェリカが再び謝罪した。


「いいって言ったろ。少し前に謝罪は受け取った」


「そう……だったわね。でも必要だと思ったから」


「そっか。必要と思ったんなら仕方ねーな」


 イチローが優しく微笑んだ。

 その瞬間、アンジェリカは強烈に胸を締め付けられる感覚を覚えた。


「イチローが元気になって良かったわ」


 言葉少なに何とかその一言を発した。

 貴方が暗闇に飲み込まれてから私は気が気じゃなかった───とは伝えなかった。

 それを口にすることはどこか烏滸がましいことのように思えたからだ。


「おう、この通りだ」


 彼がわざとらしくニカッと歯を見せ、力こぶを作ってみせた。アンジェリカは思わず「ぷっ」と噴き出した。


「そんな……暑苦しい表情、したことないじゃない。全然似合ってないわ」


 アンジェリカは知っている。

 おどけて見せるのは彼の優しさだ。


「似合ってるだろ。ナイスガイだろ」


 二人の間に穏やかな空気が流れた。

 失礼な奴だな、などと嘯きながら「とりあえず座ってくれよ」とアンジェリカに促すと、自身は何やらテキパキと動き出した。テーブルにサラダや、チーズやバゲットを次々に並べると、


「まだ真っ昼間だけど、たまには良いよな」


 コトリ。彼が向かい合って座った彼女に一つ、自分に一つとグラスを置いた。


「これは……?」


 グラスには琥珀色の液体が入っていた。

 彼がニヤリと笑い「いいからいいから」とそれを持ち上げた。アンジェリカもそれに倣ってグラスを持ち上げた。やがて彼に導かれるように二人がグラスを合わせると、ガラスの澄んだ音が響いた。


「「乾杯」」


 二人の声が重なった。

 グラスに口をつけた。琥珀の液体の正体はハチミツ酒だった。

 ハチミツ酒のどこかフルーティな香りが鼻腔をくすぐり、濃厚な甘みが口内を満たした。

 彼が果物のジュースで私はハチミツ酒───あの頃の二人の定番であった。


「今日は俺もアンジェと同じ」


 彼が琥珀色のグラスを掲げてみせた。

 その瞬間、アンジェリカは自分でも分からない感情に襲われ、気がつくと涙を流していた。



 


 




 

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