第7話 ゲッべルスの贈り物
◇◇◇
ヒルベルトは書斎で、パラパラと紙の束をめくっていた。何と言っていいものか、彼は眉間を揉みほぐした。
『貴方は《封印迷宮》の攻略に1ミリたりとも寄与していない。それどころか、《封印迷宮》の情報すらも満足に集められていない状況で、真実を語るとはどういったご了見なのでしょうか?』
壮大で、厚顔無恥なタイトルを目にしたヒルベルトはそのセリフが喉元まで出そうになった。しかし彼は瞬時に我に帰り、鋼の自制心によって何とか飲み込んだのだった。
タイトルを見て、中身をパラ見するだけでもその威力なのだ。その全容たるや常人には計り知れない威力であった。
「このゴミの束、本当にどうすっぺかなーー」
ヒルベルトは独りごちたのだった。
◇◇◇
勇者リューグーインは自分から『読んだか?』とは聞かない。彼のプライドが邪魔するからだ。
しかし彼はその代わりに「ヒルベルトよ、昨日は何をしてたんだ?」などといった普段は気にも留めないことを尋ねた。
馬鹿げたプライドだとヒルベルトは内心鼻で笑った。
「そう言えば勇者様、先日いただいた舞台の原稿、読ませていただきましたよ」
「ヒルベルトよ、どうだった?」
「素ぅ晴らしい出来でしたぁぁっ!!」
「あまり褒めてくれるな。まだ王都に行くまでに残された時間、ブラッシュアップする余地は残されてるからな」
手放しの称賛に、リューグーインが髪をかき上げた。
ただ、ヒルベルトには、勇者にはどうしても聞いておきたいことがあった。
彼は既に、ギルバートから、この先に起こることを伝えられていた。だから、本来であれば当たり障りなく扱えばそれでオシマイの関係であったが、少しくらい良いかと己の疑問を優先したのだった。
「この作品が広がれば、勇者様の輝かしい勇姿や、お仲間方との麗しくも美しい絆を誰しもが絶賛するでしょう! それほど素晴らしい作品でしたぁぁぁっ!!」
だろうだろう、と勇者が鼻を伸ばした。
「ただ、一つだけ、気掛かりな点がございまして───」
たったの一言……ヒルベルトのその一言だけでリューグーインの雰囲気は剣呑なものへと変化した。
「何? いいよ、言ってみろ」
しまったと思った。
けれど、もはや引き返せない。
「《封印迷宮》の攻略に、聖女ミカ様、賢者アンジェリカ様、剣聖エリス様が当たられたことは聞き及んでおりますが、その……」
「そこまで言ったんだ、気にせず最後まで言えよ」
「リューグーイン様は、こちらレモネの街にずっとおられたと存じ上げております、けれどこちらの作品では───ぐあっぐ!!」
リューグーインの投げたグラスがヒルベルトの額に直撃した。
「どうやら俺は、君を買い被っていたようだな。君は俺の友人として、もっと出来る子だと思ったんだけどなぁ! とんだ見込み違いだったよ!!」
割れた額から血がとめどなく流れ落ちた。
ヒルベルトはこの凡愚を前に気を抜き過ぎていた己を悔いた。
「勇者様ッッ!! この通りです!!」
いつ癇癪を起こすかわからない勇者だ。彼は放っておくと被害者を際限なく増やす。その手綱を握るなら、気を抜くべきではなかった。
もう、あのような被害者を出してはいけない。
ヒルベルトは、己を罰する意味も込め、五体投地の姿勢で痛む額を擦りつける勢いで地につけた。
「失礼を働いてしまい……申し訳ありませんでした」
自分の倍もの年月を生きるやり手と言われる商人が、ただ頭を下げるのみならず、地に流血する額を擦り付けているではないか。
リューグーインは溜飲を下げ「ふうぅん」と鼻息を荒げたのだった。
「君の気持ちはわかった。人には誰でもミスはある。だから僕は、君を許そう。けど、二回目はないよ?」
器の広さを演出しているようであったが、そもそも急に尋常ではないキレ方をしている時点で器の広さもクソもなかった。
「まあ、君になら僕の考えを話しても構わないか……。
そうだな……この作品と同様に、現実では僕の女達三人が参戦していた。《封印迷宮》だか何だかは知らないけど、彼女達は間違いなく僕と意見を共にする。有象無象の言葉より、僕と彼女達の言葉の方が重い。わかるかい? 僕があそこにいたと言えば僕はあそこにいたんだ。それが真実さ」
狂ってる。ヒルベルトは喉を鳴らした。
彼は目の前の勇者の気狂い振りを再確認したのだった。
「しかし、当然君のような人間が出てくる」
「は、」
「それも織り込み済みさ。だから、僕は舞台をやるのさ。アルカナ王国中で、僕による僕のための脚本の舞台をね。何度もするんだ。何度も何度も。それも出来る限り、様々な街で。一度、二度じゃ、何にもならないだろう。けれど、これを百回、二百回と続けてごらん。無知な民共は、この僕の言葉こそが、ひいては彼らの目にした舞台こそが真実なのだと認識するだろうね」
これはもうリューグーインによる一人舞台だった。
彼は高らかに説明を続ける。
「そのためには、選りすぐりの役者を何人も雇って、出来るだけ音も大きく、演出も派手にしなければならないね。なぁに、これまでの舞台でバカ共の反応は予想出来ている。彼らは見終わると、喜んで僕達の話をするだろうね。自分達の話こそが、真実を創り上げる一助になるとも知らず」
さすが勇者様ぁ!
「それにね! 万が一、いや億が一、上手くいかなかったとしても問題はないんだ! だってそれが駄目だったとしてもちょっと頑張れば───」
狂気に飲まれた表情の勇者───その瞳に隠しきれないほどの狡猾さが隠れていることにヒルベルトは気付いた。ヒルベルトは背筋が震えるのを止められなかった。
さすが勇者様ぁぁ!
さすが勇者様ぁぁぁ!
さすが勇者様ぁぁぁぁ!
それでも何とか絞り出すように彼は叫び続けたのだった。
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