第6話 竜宮院王子④
◇◇◇
扉を開けて『手伝いに来たよ』とでも言い、彼女達二人に話し掛ければ良かった。ヤカン一つ持つだけで好感度を稼げるのなら安いものだ。
しかし彼はそうしなかった。給湯室の中から五木紗希が自分の名を呼ぶのが聞こえたからだ。
学年でも一目置かれ、自分が今一番狙っている女が、彼がいない空間で彼のことを話題にしている。聞き逃す手はなかった。彼女からどのように称賛されるのか……彼は一瞬で妄想の世界に羽ばたいた。
しかしそもそもの話だ。
己が否定されるという可能性だってあるはずなのに、彼の頭からその可能性だけがすっぽりと抜け落ちていた。これまで女性関係で手痛い失敗をしたことのない竜宮院はそこに思い至らなかったのだ。
その結果───
『私、バカは嫌いなの』
『竜宮院くんは度しがたいバカ』
『結局、彼は物事が自分中心に回ってると思ってるのよ』
『彼は物事の全てが自分の掌の中にあると思ってるのよ』
『彼からは、自分が動かずとも、楽しようとも、自分が人を動かせばそれは自分の手柄になる───そう考えてることが透けて見えるのよ』
『労いの言葉にしてもそう。自分に被害や損害が及ばないなら、言葉くらい安いものでしょうね』
『言葉ひとつで、みんな───特に女子は喜んで動いてくれる』
『わかっててやってるのよ』
彼女が言葉を発する度に、暑くもないのに、額にはいくつもの珠のような汗が浮かび、寒くもないのに、身体の奥底から震えた。
けど───それだけなら、バカ女の戯言として聞き流すことができた。
アイツは何を見当はずれなことを言っているのだと。人気者であり成功者たる僕を僻んでいるのだと。カーストにも所属できない勉強だけが取り柄の根暗女が、取るに足らない繰り言をほざいているのだと。寝言は寝てから言えと。
一度スイッチが入ればいくらでも言い訳を並べることができた。
無意識的にではあるが、これまでもそうやって彼は生きてきた。今回もそれで終わるはずだった。それなのに、
『好きな人とかいんの?』
茂手木が彼女にくだらない質問をしてしまった。聞いていた竜宮院は咄嗟のことで身体を硬直させた。けれど彼の頭の片隅では『それでもやっぱり僕だろうな』という確信があった。
しかし───
『私の好きな人は……2組の山田くん』
誰だそれ?
青天の霹靂とはまさにこのことであった。
そもそも山田なんて奴、見たことも聞いたこともない。粒は概ねチェック済みだ。チェックから漏れているということは利用価値のない単なるモブに違いない。なのに自分を差し置いて……そう思ったとき、竜宮院は困惑すると共に、血管が沸騰しそうな感覚を覚えた。
顔が紅潮と蒼白をかき混ぜた土気色となった竜宮院を他所に、女は馬鹿げた繰り言を続けた。
やれ『怖い人からナンパされて困ってたところを"マタセタカナ? ゴメンコイツオレノカノジョ"ってカレシの振りして助けに来てくれた』だとか、『ロボットかと思った』とか、『そのあと追い掛けられたけど二人で逃げた』だとか、『ありがとうって伝えたら、ぶっきらぼうを装いながら"気にすんな"って言われた』だとか、『あれは照れ隠しだと思うの』だとか、『それからどこに行っても気がついたら彼の姿を探してて……』だとか、『見返りを求めない』だとか、『さりげない優しさが良い』だとか、『正義感があって』だとか……クソの役にも立たないエピソードが延々と続いた。
脳内お話畑の頭がパープリンなバカ女に相応しい惚気話だった。
竜宮院は
その日できた彼の心の傷は本人が思うよりもずっと深いものであった。
わざわざ気にかけてやっていた女が自分を裏切ると同時に、恩知らずにも後ろ足で砂をかけるが如く、彼を散々っぱらにこき下ろした。さらにその女は"彼"ではなく、"取るに足らないモブ雑魚"を選んだ。
あの日の事実を、竜宮院はどうしても認めたくなかった。
だからそれは無意識からの強い働き掛けもあっただろう。竜宮院は、仲の良い女子達からちやほやされると、数日も経たぬ内にその日の出来事を気にすることもなくなった。
しかし、竜宮院の頭の中の無意識の領域から五木紗希の名前は消去され、山田一郎の名前が強烈に刻み込まれた。
◇◇◇
竜宮院は目を覚ました。
ほとんど思い出すことのなかったあの日の一幕を夢にみた。悪夢だった。
身体がぐっしょりと濡れていた。
「どけっ!」
横で寝息を立てている女に気遣うことなくどかせてベッドから降りた。渇いた喉を潤わせるためにも水差しからコップに注ぐと、一気にそれを煽った。
「ヤマダァ」
死してなお、俺の邪魔をするか。
思えば山田は生前から俺の邪魔ばかりする人間であった。何の才能もなく、取り柄もない凡愚がこの俺の邪魔を……。
思えば、あの日もそうだった。
給湯室の前に佇む己を思い出した。
惨めだった。
だからこそ、苦しそうな山田の顔は見ものであった。彼と共に旅をした時間は、生まれてこの方味わったことのない最高のエンターテイメントであった。
山田は大事なものを奪われると顔を紅潮させた。
山田は大事にしていたものを見せつけられると顔を蒼白にさせた。
お前の大事にしていたものは俺のものなのだと、お前の下には二度と戻らぬのだと知らしめてやると、山田は涙を流した。
その都度、その都度、その都度、その都度、竜宮院は己の心象世界において、山田に勝ち、山田を下し、山田を踏みつけ、山田を虐げ、山田の上に立った気になっていた。
だからこそ、全てを奪われた彼の絶望の表情は最高傑作であった。とそこで、山田の鬼気迫った表情が脳裏に過った。
「ヒッッ!!」
竜宮院は急いで首に手を当てた。大丈夫、傷跡一つ残っていない。
「クソ……ヤマダァ」
低く唸るような声だった。
あの日、山田から全てを奪ってやった。
絶望に打ちひしがれた山田は、負け犬の様にみっともなくパーティから逃げ出した。
あの絶望の表情から鑑みるに、山田はもはやこの世を生きてはいないだろう。
生きる意志を持たぬ山田が、獣に食い殺されたか、餓死したかは、それとも野盗に殺されたかは知らない。
万が一何とか生き延びていたとしても、この世論の中では、もはや何も変わりはしない。
山田のこれまでの悪評は国中に広めたし、普通に食事を手に入れることすら困難なはずだ。それなりに時間が経ったし、彼の死はより確実なものとなっているだろう。
死に瀕して呼吸器に繋がれた人の、僅かに残された生存可能性を、ゼロにすべく電源を落とした───《刃の迷宮》から戻ってきた彼がやったこととはまさにそういうことであった。
「なのに───死んでもまだ夢に出るのか」
竜宮院が手元をグラスを握りしめた。
「死んでもまだ俺の邪魔をするのか」
それを目一杯、壁に叩きつけた。
けたたましい音が部屋に響いた。
寝ていた女性達は目を覚まし、悲鳴を上げた。もはやそんなことはどうでもよく、竜宮院はどうしても、彼に対する怒りを抑えられそうになかった。
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本話も推敲が足りてないかもしれませんが許して……多分修正します。
それからコミカライズ最新話がマンガBANG様にて無料開放されております。
今回はオルフェが登場します!めっちゃスタイリッシュで可愛いんですよね……結婚してくれ!オルフェ!
それはそうと皆様も是非ご確認ください。
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