第29話 アンジェリカ・オネスト③

○○○



 どうにも引き下がりそうにないオルフェに、俺は仕方なくグラムコピーを抜いた。その瞬間、オルフェが双剣を抜き、飛び掛かってきた。


「いきなりかよ!」


「別にこれくらいあなたにとっては何てことないでしょう?」


 俺も彼女も本気ではなかったが、剣を交わすこと数分───俺には彼女の技量のスゴさがはっきりとわかったし、彼女にいたっては、


「イチロー、わたし、今日からあなたと住むから」


 などと言い出した。

 全くわけがわからない。

 理解及ばずまごついてる俺を放ったらかして、彼女のテンションは進行形でうなぎのぼり。彼女は勢いのまま畳み掛けるように話を続けた。


「決めたから。わたしはこれからギルドに戻って手紙を書いてくる」


「何のだよ?」


「そんなの決まってるじゃない。《七番目の青セブンスブルー》を辞めるのよ」


 ヒェッ! 何このスピード感!!

 やべーよ! やべーよ!

 何だかわからないけど取り返しがつかなくなる気がするッ!!

 どんどんと外堀が埋められていくのを感じるッ!!


「オルフェ、盛り上がってるところ悪いけど、すまん! 話がまったく見えないんだわ」


 オルフェが頬を紅に染めて、「んー」と両腕を組んで、しばし宙へと視線を向けた。


「イチローはエリス・グラディウスの師匠でしょ。えっ『何で知ってるのか』って? 大丈夫大丈夫、わたしにはそれくらい分かってるから。んー、だからそこで本題よ。貴方が彼女の師匠なら、別に私を弟子に取ったとしても何も問題はないはずでしょ?」


 要するに、俺の弟子にしてくれということだった。

 そのために、名門クランを辞めて、ここ(俺の家)に移り住むことを決めたのだという。

 いやいや、そんなのどう考えても無理だろ!

 俺が『一緒に住むことは無理だ』と言葉にしようとしたのを察知したのか、


「わかった。一緒に住むのはやめとく」


「ふう、わかってくれたか……」


「だったらボルダフに家を買うわ」


「違う違う! そうじゃない!」


 いやいやいや、やばいって!

 いきなりそんなこと言われましても……というかこのはどうして会話のキャッチボールに、相手の捕れないような豪球をバンバン放り込むような真似をするの?


「そういうわけで『師匠』とお呼びすればいい?」


「……もう、好きにしてくれ」


 疲れたのだ、俺も色々と。《封印迷宮》に入ってからは連戦につぐ戦線であった。再びガッツポッ! な彼女を尻目に、俺は大きく溜息をいたのだった。





○○○





《封印迷宮》は俺達の記憶や感情を読み取るのではないか、そしてそれをなすだけの意識があるのではないか───俺はそれを知っていたはずだった。





◯◯◯




 オルフェも脳筋気味ではあるが、信頼出来る奴だってことを知れたし、これから一層騒がしくなりそうだ───などと俺は、呑気なことを考えていた。


 しかし、相手はただの《迷宮》ではなく、かつてセンセイやプルさんが手を焼いた《封印迷宮》であった。

《封印迷宮》に意識がある、ということは、彼(便宜上こう呼ぶ)にとっての勢力圏を拡大する行為は、まさに人間との生存競争であったと言える。

 人類と《封印迷宮》は互いに、譲歩不可の存在である。

 ならばこそ俺は、最後の最後まで油断するべきではなかった。





◇◇◇





 アンジェリカはイチロー達から離れて、育ての親であるプルミーの元へと足を運んだ。


 プルミーの周りには数多くの人が押し寄せ、わいのわいのと勝利の歓声を上げ続けていた。誠実な人柄を持つプルミーは、その一人一人の名前を呼び、それぞれの頑張りを認め、彼らをねぎらっていた。

《封印迷宮》を消滅させるという目的は果たしたので、もはや時間なんて考えなくとも良い。プルミーが全員を労い終えるまで、それなりの時間が掛かるだろう。

 アンジェリカは騒がしさから逃れるためにも、少し彼らから距離をとった。






◇◇◇




 プルミーは、娘が喧騒の輪から距離を取ったことに気付いた。

 彼女の目元が赤くなってることにも気付いていた。


 アンジェから話を聞かなければな。

 そうだ、私達は親子なんだから。


 プルミーはそう考えて、適当なところで労いを切り上げて彼女との時間を取ろうと考えた───ちょうどそのときであった。


「アンジェッ───」


 アンジェリカの立った地面が急激に湿り気を帯びた。滲み出た液体はあっという間に液体龍人ドラゴニュートの姿をとった。彼女の背後に現れた襲撃者の鎌は容赦なく振り上げられた。



○○○




 プルさんの声で俺はようやく事態に気付いた。


 もはや《超光速戦闘形態アウト・ストラーダー・デル・ソーレ》を発動するだけの時間は残されていなかった。


 万事休す。

 凶刃に届かないことはわかっていた。

 けれど手を伸ばさずにはいられなかった。




◇◇◇




 プルミーの身体を動かしたのは紛れもない愛だった。

 そしてまた、彼女のみが、その場で唯一アンジェリカに届き得る人物であった。精神的にも肉体的にもくたくたであったことなど忘れて、彼女は走った。そして───




◇◇◇




 アンジェリカが認識したのは、凶刃が振るわれた後であった。

 声を出すことも出来なかった彼女は───己と液体龍人ドラゴニュートとの間に割り込む影を見た。

 そして───液体龍人ドラゴニュートの鎌は、その影の首筋を切り裂き───柔軟性に富んだ切っ先は鎧に潜り込み───心臓を完全に破壊していた。





○○○



「プルさんっ!!」


 オルフェは液体龍人ドラゴニュートを双剣を振るい消滅させた。

 俺は力無く倒れた彼女へと駆け寄り、彼女の名を呼んだ。

 しかし、その身体からはもはや《気》が感じられなかった。

 アンジェが震える手で、必死にプルさんの傷口にポーションをかけた。涙と汗でぐちゃぐちゃになった彼女は何度も「プルさん」「プルさん」「嘘だ」「こんなの嘘だ」と繰り返した。彼女は嗚咽をこらえて、切り裂かれた首筋を、流血を少しでも抑えるために、布を当てて押さえた。


「イチロー、どうしよう。プルさんが───」


 不思議な話ではあった。

 何故かこうなるような気がしていた。

 だから、俺は、以前彼女と連絡を取った後日、彼女へと、お守り・・・を渡していた───その中には、死者すらも蘇らせる効果が最後の一回だけ残された《蘇生の宝珠》を入れて。




○○○




 彼女───プルミーさんのポケットからおびただしいほどの光が発せられた。

 それは、俺や、あのときの彼女や、クロアを救った温かな光だった。




○○○




 プルさんを包む、優しい温かな光を感じた。



 ───我は反対じゃな



 神聖とも言える光を見つめ「おおぉーー!!」なんて驚きの声が誰かから上がった。



 ───ぬしソレ・・を、最後まで使こうてしまったときどのようなことが起こるか、我にも予想出来ん



 どうしてか、あの日のセンセイの言葉が脳裏に蘇った。



 ───強力な力の行使には、強力な代償を伴う



 その記憶は、俺の心にシミのような不安を残した。


 


○○○




 徐々に光は消え、血にまみれていたはずのプルさんが目を開けた。


「わ、私は……?」


 プルさんが、自分の身体をペタペタと触った。一瞬、事態に理解の及ばなかったアンジェが、「わあぁ!」と感極まって彼女へと、抱きつき、声を上げて泣いた。


 当初は「こら」とか「ほら泣きやむんだ」とか「みんな見てるぞ」と言っていたプルさんも、「はぁ」と一息くと、諦めたのか、「仕方ない、落ち着くまで好きにしてくれ」と告げ、娘であるアンジェを、慈しむように抱き締め、優しく撫でた。




 それは、まさに親子の美しい光景であった。

 けれど、



 ───何も代償がないとどうして安心出来る?



 センセイの言葉に間違いはない。

 実際に、その通りなのだ。

 俺は、正体不明のアイテムを何も知らないままに使用しているに過ぎない。



 そこで肌を刺すような感覚を覚えた。

 やはりとも言うべきか、不安は的中したのだ。

 それも最悪な形で。

 莫大な負の魔力が発生し急速に場を満たした。


「いったいなにが───」


 強烈な負の魔力は、プルさんのポケット───にあった蘇生可能回数を使い切った《蘇生の宝珠》から放出されていた。

 そいつはプルさんのポケットから飛び出すと、俺達が見上げる位置に浮遊し、耐え難い肉の腐った臭いと共に、おびただしい邪気をばら撒き始めた。


「口元を布で覆いなさいッッッ!!」


 叫んだのは一足先に我に返ったオルフェだった。

 けど、彼女にもわかっていたはずだった。

 無駄だ。全ては無駄なのだ。


 背後で、魔力耐性の弱い戦士達が、倒れ始めた。

 おぞましいほどの邪気は、布一枚でどうこうなるものではなかった。センセイの諫言があった。だからそれを為せたのは俺だけだった。邪気に怯まず、浮遊する《蘇生の宝珠》を叩き切るなり、何らかの手段をもって消滅させれば良かったのに───既に全ては、


「───今度は何が」



◇◇◇








☆《死を阿る死デッドリリースデッド》☆


《蘇生の宝珠》に封印されし怪物。

 四人分の、生への渇望と絶望にまみれた死そのものを喰らうことで成長し、封印を破って現出を果たした。





◇◇◇





 遥か地下に隠れていた液体龍人ドラゴニュートの正真正銘最後の一匹が、まん丸の液体状となって地面から飛び出した。


「なっ!!」


 禍々しい邪気を吐き出し続けるソレを包み込み───喰った。

 と同時に、邪気の放出が徐々に収まり、俺達は完全に視界を取り戻した。



「あー、こりゃあかん」



 一目見て理解した。

 そこにいたのは───かつて俺が滅ぼした、幾度となく蘇り、俺を一度は死に追いやった───《廻天屍人リバースデッド》であった。


 けれど、その認識が正しいことも、間違えていることも、俺にはもう、理解できていた。

 眼の前の屍人は、あのときの《廻天屍人リバースデッド》とは、次元が違う存在であった。


 まさに死の具現だ。

 眼の前の存在にオルフェすら言葉を失った。



「俺は、どうする、べきか」



廻天屍人リバースデッド》からは、強大な力強さのみならず、この世界の全生命を消滅せんとする邪悪なる絶対意志を感じた。



「グウオオオオオオオオォォォォォォォッッッ!!!」



廻天屍人リバースデッド》が叫ぶと、ぶわぁと先程とは桁違いの、俺達の視界を完全に遮断するほどの強烈な邪気が放たれた。背後では、魔法使いであろうが戦士であろうが関係なく、生命力の弱い者からばたりばたりと意識を失い倒れた。彼は何もしていない。ただ叫んだだけだ。




○○○




 時間なんてものはいくらでもある。

 だから伝えたいことがあっても、今度伝えれば良い。

 それこそが大きな間違いだと、俺はこれまでに嫌というほど理解してきた。



○○○




 辺りを覆い尽くしていた邪気が、まるで時間を巻き戻したかのように《廻天屍人リバースデッド》の頭上へと集まった。


 集められた邪気は、全てを飲み込む夜の闇のように暗く、暗く、暗い漆黒の塊となり、急激にその体積を膨れさせた。やがてそれは、直径十メートルを遥かに超えるだろう巨大な、暗黒の球体となった。

 



○○○




 人生は有限で、何かが起こってからでは遅い。

 


 

○○○




「逃げろッッ!! 意識のあるやつは、倒れてるやつを背負って逃げろッッ!!」


 俺は力の限り叫んだ。

 プルさんも、アンジェも、オルフェも、俺へと絶望の顔を向けた。


「オルフェ、ごめん。訓練は戻ったらやろう。いつやれるかはわからないけど、何とかするからよ」


 漆黒の球体が、さらにその濃さを増した。


「プルさん、約束しましたからね。ここを乗り越えたらエルフの里に連れてってください」


 生命の存在を許さない───人類を滅ぼすという絶対意思の具現たる存在から、漆黒の塊がついに、放たれた。



「《光忘却オブリビオン》」



 それは対象を別の次元へとぶっ飛ばす俺の大技である極大光魔法の一つだ。

 俺から放たれた光が、漆黒の塊と接触し、押し合った。

 


「アンジェ、前言をほんの少しだけ撤回する。今から俺は、お前の謝罪を受け入れようと思う。だからよ、あんまり泣かないでくれよ。お前に泣かれたら、俺も泣きそうになる。だから、だから、俺が戻ったら前みたいに、魔法の研究でもやろうぜ」


「イチロー、何を……?」


 拮抗していた光と闇が、互いに譲り合わず、ピキリピキリと悲鳴を上げた。



「あー、すまん。それと最後に一つ。セナとセンセイに伝えてくれ。『愛してる』って」



 光と闇の衝突が、莫大なエネルギーの奔流を起こし、


 ───パッキィィィィーーーーーーン!!


 空間に亀裂が入った。

 そのとき対峙した《廻天屍人リバースデッド》の腹から、頭から、背から、肩から、大量の黒い腕が伸びた。回避不可。そいつは、俺を捕まえると、空間の亀裂を完全に破り去り、ぽっかり空いたうろへと飛び込んだ。



「いやだぁぁっっ! イチロォォォォォォォォォォ!!!」



 アンジェの呼ぶ声が聞こえた。

 そこで、俺の意識は途絶えた。





○○○




 大切な人がいるのなら、俺達は、いつか消えてしまう前に、気持ちを相手に伝えなければならない。


 

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