第27話 アンジェリカ・オネスト①

○○○



 俺が勝ちを告げると喝采が上がった。

 まさに俺達全員の勝利だった。誰が欠けてもなし得なかった。


「ああ、イチローくん、私達はやり遂げたんだ」

「イチロー、約束は守りなさいよ!」

「───イチロー」


 プルさん、オルフェ、アンジェリカと全員が勝ちに沸き、三人がそれぞれ、俺へとしがみついて、思い思いに告げたのだった。


 いつもはクールなプルさんであったが、彼女がぎゅっと俺の右腕を抱き締めた。


「君のお陰だ。今度こそ本当に……。これまでに戦ってきた多くの者達に、ようやく終わったと伝えられる。それもこれも、ここにいるみんな、そしてなにより君のお陰だ。イチローくん、本当にありがとう」


 それにね、と彼女が続けた。


「君がいなければ、多分私は生き残れなかっただろう」


 彼女が上目遣いで言った。

 エルフの中でも美しいとされる彼女の表情に、俺の胸が高鳴るのをどうしても抑えきれなかった。トゥンク。トゥトゥンク。


「それからオルフェ、アンジェ。君達がいてくれて良かった。君達の内の一人でもいなければ、この勝利はなし得なかったはずだ」


 さすがのプルさんも、感極まったのか涙を浮かべた。


「っと───、私ばかりが君を独り占めしてちゃ駄目だったね。若人わこうど二人にも、君に対して、胸の中で溢れる思いがあるだろうし。それに、私がここにいない方が彼女達も話しやすいだろう」


 プルさんはとびっきりの笑顔を浮かべ、


「私は今から、みんなをねぎらってくるよ」と、勝ちに沸くみんなの元へと足早に去った。


 彼女を見送って視線を戻すと、アンジェリカとオルフェが互いの顔を見つめ合っていた。しばらくすると、オルフェが俺の左腕を離し、肩をすくめた。彼女がアンジェリカに先を譲った形となった。

 なにこれ? モテ期かな?



「イチロー」



 アンジェリカが、俺の名を呼んだ。

 それ・・は俺がかつて抱いていた、決して叶わない願いであった。

 俺を『イチロー』と呼んでいた彼女は、あの日・・・以降、俺のことを完全なる他人として、『ヤマダ』『ヤマダ様』『聖騎士様』と呼ぶようになった。

 名前を呼ばれる───たったそれだけのことなのに、俺の心は未だに揺さぶられる。


「アンジェ、リカ」


 かつてのように呼ぶべきかどうか、俺にはわからない。


「イチロー、ごめんなさい」


 彼女は帽子を取って頭を下げた。

 その意図がわからず、俺は次の言葉を待った。


「貴方を裏切ってごめんなさい」


 頭を上げたとき彼女の瞳が見えた。

 美しい深紅のアーモンドアイだった。

 それはかつて二人で過ごしたとき、俺の隣にあったものだった。


「貴方を、一人にさせてごめんなさい」


 まるでせき止めていたダムが、


「傷つけて、ごめんなさい」


 決壊したかのように、


「蔑ろにしてごめんなさい」


 彼女は俺へと、


「貴方との間にあった大事なものを、放り捨ててしまってごめんなさい」


 あの日々を、


「約束を破ってごめんなさい」


 そして、


「つらい目に合わせてごめんなさい」


 それからの日々を思い出し、


「貴方にあんな目をさせてしまって、ごめんなさい」


 俺へと幾度となく謝罪を重ねた。

 

「もうやめろ」


 放っておいたらいつまでも続きそうな彼女の気配に、俺は待ったをかけた。


「やめない。全部、全部、全部、私が悪かった」


 彼女の瞳から大粒の涙が、こぼれた。

 嗚咽を堪えて、彼女は続けた。


「私が、悪かった。イチロー、ごめんね。ごめんね」


 俺は正直、彼女達が憎かった。

 裏切り───という言葉を彼女は使った。けれど、俺達の関係は、書類どころか、口約束の恋人ですらない。

 そんなことわかっていた。だから俺は、これは心変わりだと、人というのはこういう離れ方もあるのだと、自分を無理やりに納得させ、傷口を何とか塞いで縫い留めた。


「私には、どうやって貴方に謝罪して、償えばいいのか、わからない」


 恐らく、アンジェリカの心変わりや記憶の変容も、プルさんやエリス達と同様に竜宮院の仕業に違いなかった。


「お金、地位、名誉───賢者と呼ばれる今の私なら、全てを貴方に譲ることが出来る。けど───」


 俺は、賢さや聡明さといった単なる才能や能力的なものでない、彼女本来の優しさや思いやりの深さを知っている。


「貴方は、そんなものをありがたがったりはしない」


 彼女はこんなにも、俺のことをわかってくれていた。


「ねぇ、イチロー、私はどうすれば、いい? どうすれば、償えるの?」


 言葉を途切れさせながらも、彼女は続けた。

 俺は必死に言葉を紡いだ。


「謝罪も償いも、いらない」


 俺の言葉に、アンジェリカが目を見開き、大きく息を呑んだ。


「イチロー、そんなこと、そんなこと、言わないで───」


 彼女が、俺の腕を痛いほどに抱き締めた。


「貴方との関係が、これで、終わりだなんて、私には耐えられない」


 いつだって、俺は人の泣き顔が嫌いだ。

 それが、かつての想い人ならなおさらだ。


「俺は───アンジェリカ達のことを恨んでないと言えば嘘になる」


 どうしても、俺は、彼女達のことになると、自分の気持ちを言語化出来ない。竜宮院のせいだったという事実を前にして、それでもあのときの記憶や感情が、どうしても、俺の心を苛むのだ。


 だけど、目の前のアンジェリカが───かつて俺の横にいた彼女が切実なる声をあげ、涙している、その姿に俺は───


「けどよ、そうだとしてもよ、俺はどうやったって、お前達のことを、嫌いには、なり切れれないんだ」


 あのときと今。

 全ては大きく変わってしまった。

 俺の瞳からも、自然と涙がこぼれて、視界が不明瞭なものとなった。


「だから、もう謝らなくていいし、償わなくていい。それにいくら償われたところで、あれからもう時間が経ち過ぎた。だから俺達の関係が元に戻ることはない」


 俺の言葉に、アンジェリカが膝をついた。

 涙で顔が濡れ、砂埃が張り付いた。

 どうしてもそれを、拭いてやりたかった。

 それこそが何よりも難しかった。

 だから俺は、言葉にならぬ言葉を必死に紡いだ。



「アンジェ、だけどよ、それでも───」



 全てが元に戻るなんてことはない。それでも、だ。



「俺達を繋ぐ、信頼はなくなって、それどころか、お前の謝罪を認めることにすら時間が掛かる有様だ。それでも───」



 もう一度、たとえそれが恐る恐るでも、互いが互いを思いやり、相手の世界へと、一歩ずつ踏み出すことが出来たなら、



「それでも、俺とお前の新しい関係をイチから築き上げることが、できるんじゃないか───」



 俺の声は、掠れていた。



「───俺はそう思うんだ」



 みっともなくとも、ダサくとも、俺は自分の気持ちを、こうやって伝えることしかできない。


 俺は、地に伏せて涙する彼女───アンジェリカ・オネストへと手を差し出したのだった。

 

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