第21話 ■忌■■■
◇◇◇
下級貴族であるアナベル・マキャベリの娘であるメリッサは、深窓の令嬢として社交界では有名であった。
楚々とした、可愛らしくも美しい笑顔は、見る者達に「守ってやりたい」と思わせるものであり、事実、舞踏会などで彼女を目撃した多くの者が「彼女をうちにどうか?」と即座に打診するほどであった。
そもそもマキャベリ家は下級貴族と言えども、経済的にはそれなりに潤っている家であった。だから政治的な理由で急いで娘の輿入れをせねばならぬ、といった必要は全くなく、多くの申し出を丁重に断っていた。
また、メリッサ自身も、そういったことには興味が薄く、彼女にとっては、たまに親しい者達とお茶会を開いて、家で大好きな家族とゆっくりと過ごす時間こそが何より大切だった。
メリッサは十四にもなるのに「おかあさまー!」と母親に抱きつき甘えたり、「おとうさまー!」と父親の背中から抱きついておぶさったりと、彼女は未だに子供であった。
けれどマキャベリ夫妻にはそれで良かった。
無理なことだとはわかっているけれど、いつまでもこんな日が続けばいいのにと、二人は心から願っていた。
◇◇◇
悩みに頭を抱えていたアナベル・マキャベリが友人に誘われて出向いた店は、かなり上等な店であった。アナベルからしても、普段から何度も利用できる場所ではなく、友人が彼を励ますためにお酒を奢るから来い、と何度も誘ってくれたので仕方なく出向いたのであった。
そこは、豪華というよりは、上品な店であった。騒いで飲むよりはしずしずと飲み語らう場所であった。にも関わらずに、彼らが店に足を踏み入れると、場の雰囲気にそぐわず、一際騒がしい集団がいた。
店側もその扱いに苦慮しているようで、その常識のない
平謝りする支配人を前に、二人はそこに座るか店を出るかを選ばないといけなかった。
アナベルは友人がせっかく誘ってくれたのだからと、苦笑しながら問題のテーブルに腰を下ろすこととなった。
人生に、別れ道というものがあるのなら、アナベルにとってのそれは、まさにこの瞬間であった。
◇◇◇
正直な話、アナベルは席などどうでもよかった。
彼の頭の中は娘のことで占められていたからだ。けれど、わざわざ誘ってくれた友人の手前、彼は仕方なしに席に腰を下ろすと、ちびりちびりと酒を口にしたのだった。
しかし
メリッサは、まるで
メリッサはマキャベリの家にとって宝であった。
しかしメリッサは、病に冒された。
彼女は日を追うごとに体調を悪くし、ついにはベッドから起き上がれなくなってしまった。
父であるアナベルは、彼女の回復を願い、毎日の様に屋敷を離れ、ほうぼうを駆け回った。けれど成果は芳しくなく、彼は己の無力を痛感したのだった。四六時中、どうしたって娘のことが頭から離れない。いくつもの眠れぬ夜を越えてきたアナベルの顔には、死相にも似た何かが浮かんでいた。
「なぜ、私の娘だけがこんな目に合わなければいけないのか」
アナベルは涙を流し、肩を震わせたのだった。
「代われるものなら私が……」
彼の古くからの友人は、黙って相槌を打ち、肩を叩き、話を聞き続けた。そうして時間もそこそこに過ぎた頃、目の前で泣きじゃくるアナベルを前にし、困ったように苦笑しながら、そろそろお開きかと席を立とうとした。
そのときであった。
「うん、話は聞かせてもらったよ」
この場に似つかわしくない明るく朗らなイケボが店内に響いた。
これこそがアナベル・マキャベリと竜宮院王子との出会いであった。
◇◇◇
彼───竜宮院王子は、召喚先のアルカナ王国を完全に未開の地であり、国民も全く啓けていない非文化人ばかりだと常々嘆いていた。
己に比べて文化文明の相当劣る───どころか、同じ土俵にすら立てていない彼らを、気が向いたときだけでも啓蒙してやり、導いてやるのも優れた者の義務か、と内心で呆れながら溜め息を
竜宮院はそういった認識の人物であったので、当然ながら己の知識には絶対的な自信があった。と同時に、たとえ間違えていたとしても大した問題じゃないだろうという、この世界の人間を蔑視しているからこそ生じる傲りがあった。その二つは大きな矛盾であるが、彼はそんなことには構いやしなかった。
召喚されて以降、竜宮院は数え切れないほどにやらかし、周囲に悲劇をもたらしてきた。
これまでに語られたのは、その中にあるエピソードの内のほんのいくつかに過ぎない。
彼の起こした悲劇には共通点がある。
全ての原因は、彼の性質に由来するのだ。
彼は異常なまでに自分本位であった。そして彼の承認欲求は病的なまでに肥大化していた。
だから恥じたり臆することなく、中途半端な知識を披露し
彼は当然のように、結果に責任持つこともないし、それどころか罪悪感すら一欠片すらも感じない。
感情云々を抜きにしたところで、本来であれば───知識は正確でなくてはならない。
万が一正確でなくとも、間違えているかもしれないという認識こそが必要なのだ。
中途半端な知識は富をもたらすどころか大きな害を及ぼしてしまう───竜宮院にもそういったことを学ぶ機会は何度もあったはずであった。あったはずだったのだ。
◇◇◇
アナベルは、勇者からの「僕が何とかしてやろう」という申し出を断った。
まさに英断であった。
しかし、竜宮院は『勇者の名声』と己の背後をちらつかせた。
実際にそれが機能するかどうかは置いておいて、竜宮院は王家と親しく、教会の聖女と懇意にしており、また、オネスト公爵家の娘ともただならぬ関係だというではないか。
アナベルは既に、内心冷や汗だらけであった。
彼の頭の中は、どうすればマキャベリ家が、そして娘が生き延びることができるかでいっぱいであった。
勇者竜宮院はそんな彼に追い打ちをかけた。
「僕にはそんなつもりはないんだけどね、勇者たる僕に恥をかかせたんだ。もちろん僕にはそんなつもりはないけどね、それでもさ、僕のシンパ達が何をするか僕には予想がつかない」
「それはどういう……?」
「僕のシンパ達がさ、勇者にこの様な辱めを与えた君の様な下級貴族を許すだろうか? 君もこれからは飲みに行ってる場合じゃない。夜道を歩くときは是非とも気をつけたまえ。それにだ、最近は空気が乾燥しているからね。家が燃える……なんてことがあるかもしれないね」
竜宮院のセリフは脅迫そのものであった。
しかし、話は終わらない。
「これは、君にはもう関係のない話なんだけどさ、異世界から来た僕には、この世界の既存の医療技術を超える知識がある。この世界では不治の病とされている病気でも、地球では普通に治療されていたからね」
完全なる飴と鞭であった。
しかしこれくらいのやり取りならば、貴族であるアナベルであれば、竜宮院の意図に気づくはずであった。しかし娘のことで揺さぶられ平常心を失ったアナベルにそれは難しかった。
◇◇◇
そうして、アナベルは娘の病状を竜宮院へと話してしまった。
メリッサは『過剰魔力生産性臓器不全疾患』という病に掛かっていた。
この病について簡単に説明すると、臓器が、本来作られるはずの魔力を超過する魔力を作るようになり、その分通常そこで行われるはずの正常な働きをしなくなるという病気であった。
初めは、一つの細胞の変異から起こる病気であり、隣の細胞にその異常性質を
またこの病気には、他とは違う扱いにくさがあって───
「なるほど、転移……ね。地球で言うところの癌みたいなものかな?」
話を聞いた竜宮院はもったいぶった表情で呟いたのだった。
「なら、治療法は一択だ。僕に任せたまえ!!」
竜宮院はイケメンスマイルを浮かべ、イケボを発した。
◇◇◇
この度の竜宮院の愚行が、彼らを巻き込むだけに終わっていれば、枢機卿たるギルバート・ラフスムスにこれほどまでに、目をつけられることはなかったはずであった。
だからといって竜宮院は不運ではなかった。
それは単に、彼の日頃のおこないが己に返っただけの話であった。
竜宮院の自己承認欲求を満たすために、彼が施すとされた現代医療───メリッサ・マキャベリの治療に、無理矢理に関わらされた者達がいた。
一人目は、クラーテル教の敬虔なシスターの少女であった。彼女の朗らかで、思いやりのある性格は誰からも愛されていた。彼女の名を、ハロという。
そして、もう一人、レモネの街で施術士という職業を営んでいるリクという青年がいた。
マキャベリのみならず、彼ら二人こそが竜宮院により引き起こされる悲劇に巻き込まれた者達であった。
──────
英雄のお話は次で終わります
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