第4話 教会④(背後から崩落している)

◇◇◇


 今回竜宮院の元へシエスタを遣わせたのは教会───アルカナ王国を総本山とするクラーテル教の枢機卿の一人であった。


 教会といえど組織である。当然として権力抗争は存在したが、上層部が圧倒的な実力と名声を誇る者で固められていたため、今現在の教会権力のパワーバランスは非常に安定していると言えた。


 そういった状況で、教会上層部の者達の中に、これまでの勇者の行動に対し疑問に思い、ひいては否定的になった者が現れ、それが教会の総意になったとしても、何も不思議なことではなかった。


 要するに、今回のシエスタのお役目はクラーテル教会のとある枢機卿の名代みょうだいであった。


 もちろん、強大な権力を持つのみならず、優秀な人員を備えたクラーテル教が、勇者の醜聞を知らない訳はない。


 だからそれを踏まえた上で、シエスタには、直接勇者と過ごし見極めてくるようにといった命を与え、勇者の元へと送り出したのであった。


 同僚のみならず上層部の誰からも一目置かれ、清廉潔白を旨とするシエスタの目から見た勇者は、そして何よりも聖女ミカが心酔していると言われる勇者は、果たしてどのような人物であるのか───


 つまり彼女が今回下す判断が、教会のこれからの動きに大きく影響を及ぼすことになり、言い換えればシエスタは、勇者にとっての裁定者と言えた。



◇◇◇



 枢機卿との連絡まで時間は幾許いくばくもなく、彼女が最終決断を下すまでに多くの時間は残されていなかった。

 彼女の心の内で、今回の勇者に関する報告とその判断はおよそ定まっていた。


 けれど彼女には迷いがあった。

 それは小さなものであったが、白い布に飛び散った墨のように決して無視は出来ないものであった。

 気付かない振りはどうしても出来なかった。


 彼女の最終的な判断を妨げているのは、かつての彼に関する記憶であった。


 シエスタは枢機卿からの連絡の前に、今一度、己を見つめ直す必要があることを自覚した。

 


◇◇◇



 シエスタは清廉潔白であり、いつでも笑みを絶やさず決して怒らず、何人なんぴとに対しても寛容であるため、聖職者のかがみだと評されていた。


 けれど彼女だって人間だ。

 当然感情だってある。


 ちょうど、勇者召喚が行われた頃、シエスタは聖女ミカと己の力を比べて、無力さに打ちひしがれていたのだった。

 嫉妬を知らない彼女であるから、己は無力なのだと、ひたすらに自らを責め続けていた。



◇◇◇



 彼は、魔法が使えないどころか、剣すらも握ったことがないという。


 彼は礼儀も正しく、その会話からは確かな知性を感じさせたが、それと同じくらい頼りげがなかった。

  

 彼をこの世界に召喚したことに対し強い罪悪感があったが、それとは別に、本当に彼のような少年が、数多の屈強な戦士や名の通った魔法使い達を次々と飲み込んできた不倒の迷宮に挑戦しなければならないのかという心配と、そして本当に踏破出来るのかという疑問が強く残った。


 けれど、その心配が杞憂であったことはすぐさま明らかとなった。



◇◇◇



 シエスタは聖女ミカと共に、二人の少年のための用意された回復職達の中でも、リーダー的な役割を任されていた。だから異世界の少年の訓練を一番身近に、そして一番長く見届けたのも彼女達二人であった。

 

 訓練初日は基礎的な訓練であった。

 剣の握り方といった基礎的なことから、素振りの仕方などといった初歩の初歩からのスタートであった。

 開始から間もない頃は多くの者が「召喚されし者を教えるにしては通常の新人訓練と何ら変わらないじゃないか」と感じた。


 けれどその考えは間違いであった。

 忘れがちであるが、そもそも彼らは素人であった。

 彼らにとっては木刀すら重く、素振りだって百回もすれば腕がパンパンになるのだ。

 十五分も素振りをすれば握力は失われ、木刀を握ることさえ困難となった。


 その頃には、共に召喚されたもう一人の少年は訓練場から姿を消し去り、これ以降彼の姿を見ることはなかったが、一方、残った少年の瞳には必ず成し遂げなければならないという強靭な意思が伺えた。


 その後、彼は騎士団長と話し合い、訓練を厳しくすることを了承し、回復魔法により怪我を治すだけでなく、訓練での疲労を癒やすことで延々と訓練を続けることになった。


 それに伴い聖女ミカやシエスタをはじめとする教会から集められた回復職のシスターがフル稼働することとなった。


 彼は、動けなるまで訓練をし回復、さらに動けなくなるまで訓練をし回復───を幾度となく繰り返した結果、初日から十時間を超える訓練をぶっ続けでこなしたのだった。


 驚異的な努力を続けた彼は、数日で実践的な訓練へと移行することとなった。

 それからは彼の訓練風景は目を覆いたくなるようなより凄惨なものとなった。



◇◇◇

 


 訓練を施す騎士にも当然手加減はあったろう。

 けれども数日前には、剣の握り方すらを知らなかった少年が相手だ。こうなること・・・・・・は火を見るより明らかだった。

 

 シエスタの目の前には疲労と打撲や傷によってボロ雑巾のように倒れた少年がいた。興味本意で訓練所を覗き込む侍女達があまりの惨状に甲高い悲鳴を上げた。


 けれど、回復魔法を施されるや、彼は「まだまだやれるぞ!!」と威勢よく飛び出したのだった。


 シエスタはそれから何故か気が付けば彼を目で追っており、どうしてか彼から目が離せなかった。



◇◇◇



 時と共に訓練はますます過酷なものとなり、シエスタや聖女ミカの出番は必然的に多くなった。


 剣の握り方も知らなかった少年は、数日でとある騎士と木刀を一合交わすことを可能とした。かと思えば本気を出したその騎士に散々打ち据えられた末にズタ袋の様に転がり、新米シスターなどはその光景に泡を吹いて倒れた。


 そうした翌日の早朝には、くだんの騎士と五分の打ち合いを果たし、昼頃にはこの騎士を下した。


 まさに不撓不屈の精神であった。


 日々の過酷な訓練を着々と、そして文字通り休むことなく延々とこなすことで、少年の相手は徐々に格上となっていき、ついには騎士団長が彼の相手となった。



◇◇◇



 何度も繰り返される回復には膨大な魔力が必要であり、シエスタや聖女ミカが休息を取っている際には、多人数のシスターでカバーし合う必要があるほどの厳しい勤めとなった。


 聖職者とは言え、少年の訓練が始まった頃は、あまりの過酷な勤務に一部のシスターは気怠げな表情を浮かべていたものだった。


 シスター達は年若く、数少ない娯楽として身近な噂話を好んだ。それがクリティカルに他者の誹謗ひぼうでない限りは聖女ミカもシエスタも目を瞑った。 

 訓練の初日などは「本当に彼らで大丈夫なのかしら?」「あんなに華奢で剣すらまっすぐに振れないのに凶悪なモンスターを本当に倒せる様になるのかしら?」「そう言えばもう一人のお方はどこにいかれたのかしら?」などと少年に対して懐疑的な声が多く挙がった。


 そんな彼女達にはシエスタも「慎みを持ちなさい」と何度か注意したのだった。


 けれど日を追うことに徐々にではあるが、彼を陰ながら応援するシスターも現れるようになった。


 曰く「諦めない姿が尊いのです」

 曰く「回復を施したときに『ありがとう』と微笑んでくださいました。私、頬が熱くなりましたの」

 曰く「もっと話してみたいわ」


 などと彼女達の噂も概ね、彼に対して好意的なものとなり、そうして訓練後半ともなると、彼の訓練に同行するお役目に多くの者が立候補することとなった。


 聖女ミカはもちろん、王都に在住しているシスター達のまとめ役であるシエスタは常に同行することとなったけれど、彼女ももちろん、その役目を重荷であるとは全く感じることはなかった。


 それどころかシエスタも、いつのまにか少年の訓練時に周りで声援を上げるシスターと同様、「はしたないかしら」とは思いつつも、内心では彼の活躍の一つ一つに喜んだのだった。


 そしてそんなある日のこと。

 決定的な瞬間が訪れた。



◇◇◇




「やるね」


 そのセリフは騎士団長のものであった。

 少年の剣が彼の首元にぴたりと触れた。

 彼が王国最強の剣士と名高いグラディウス騎士団長を下した瞬間であった。 

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