第3話 教会③(全力で駆けのぼる)

◇◇◇


 その人物は人懐こい笑みを浮かべて竜宮院に近付くと、すぐさまに彼の両手を握り締めた。


「一刻も早くお会いしたかったですぞ〜〜!! 勇者様〜〜! お元気にされていらっしゃいましたか〜〜!」


 そのやりとりに満更でもなかったのか、リューグーインは頬を緩めて笑みを浮かべた。


「ヒルベルト! よく来てくれたな! ちょうど良かった! これからお前のところに顔を出そうと思ってた所さ!」


「おお〜!! でしたら私と勇者様は相思相愛!! きっと運命の糸で結ばれてるんですよ〜!」


 シエスタが見たところ、ヒルベルトという男は好々爺───とまではいかないが年は五十前後であろう───人の懐に飛び込むのが得意そうな人物であった。

 そして彼女の予想は正しく、リューグーインはヒルベルトにはある程度心を許しているように伺えた。

 

「やめてくれたまえ。キミみたいなハゲて太ったオッサンと結ばれてるだなんて、たとえ冗談だとしても気持ち悪いからさ。ハゲと加齢臭が感染うつるじゃないか」


 ただその物言いは辛辣であった。

 見る者が見れば分かった。

 ひとえに、この関係はヒルベルトの我慢の上で成り立った関係なのだ。


「もう〜! 勇者様は照れ屋なんだからぁ〜!!」


 シエスタは見ていると頭痛を覚えたのだった。


◇◇◇



 シエスタは急いで花瓶と絨毯の交換を済ませると部屋を出た。彼女は待たせたままにしていたレモネギルドのマスターであるバレンと、《大者タイクーン》のリーダーであるレオパルドに頭を下げて勇者の非礼を詫びた。


 バレンは勇者の人柄を理解していたのでシエスタに向けて「こうなると思ってましたよ」と軽く笑った。

 けれど《大者タイクーン》のレオパルドは若さゆえか、シエスタが低頭平身謝罪を重ねても中々引き下がらなかった。最後は何とかバレンがフォローしてくれたから引き下がってくれたものの、シエスタは申し訳なさとやるせなさで胸がいっぱいであった。


 彼女は一息くと、勇者の警護を続けるために部屋へと戻った。再び勇者の相手をしなければならないことが憂鬱であったが、幸いなことに勇者は既にシエスタへの興味を失い、ヒルベルトとの楽しいお喋りに興じていた。


「勇者様、前回お連れした御令嬢方はいかがでしたか?」


 折を見てヒルベルトが尋ねた。


「どいつもこいつも良かったよ。

 本当にまいったね! まさか十人以上連れてきてハズレ無しとは恐れいった!」


 待ってましたとばかりに、竜宮院は大仰な身振りを交えて語り始めた。


「やっぱり貴族の女は良いねぇ!

 うんうん。彼女達の奉仕からは『彼女達が僕を全力で求めている』というのが感じられたよ。そうだね。言うならば、彼女達からは『OMOTENASHIオ・モ・テ・ナ・シ』の精神を感じたとでも言おうか」


 女性達との行為を思い出し竜宮院はだらしなく頬を緩めた。

 

「それに彼女達には場末の娼婦にはない気品があるよね。気品───案外これが勇者といった一見輝やかしいけれど、その実は気苦労の耐えない職業に就いている僕のような苦労人に必要だったりするんだ」


 彼らの話は聞くに耐えない下卑たものであった。しかも女性であるシエスタが室内にいても構わずに続けられるのだ。彼に気品なぞ一ミリも存在しなかった。


「それに未経験や経験の少ない娘しかいなかったのもグッドだよ。君は他の使えない奴とは違って、その辺りの需要をしっかりと押さえてるよね」


 竜宮院のお褒めの言葉に、ヒルベルトも負けじと相手を絶賛した。


「いえ、勇者様。確かに私は、見目麗しく優秀な女性を揃えました。けれどそれは勇者様が彼女達が上質であることを見抜き、その様に扱ったからこそ、彼女達は本来の輝きを発揮できたのですよぉ!」


 世辞が酷過ぎて、会話の内容は支離滅裂であった。しかし、竜宮院にはそれで十分であった。彼に必要なのは己が気持ち良くなることだけであった。

 二人の話から下卑た箇所を除くと、徹底してヒルベルトが竜宮院をヨイショし、竜宮院がそれを肯定し、『そうだ、俺は凄いんだぞ』と、いかに己が有能であるかを誇るといったものである。


 二人の話が最高潮に盛り上がり、此度こたび、更に新しい女性を用意したというヒルベルトの後について、穢らわしい笑みを浮かべた竜宮院が部屋を出ようとした。


「何だ、まだいたのか?」


 彼はちょうどそのときは、片付けを終えて壁際で侍っていたシエスタのことを思い出した。


「私には、一刻のこととはいえ、聖女ミカより引き継いだ『勇者様をお護りする』という義務がありますので……」


 シエスタの返答にリューグーインは「ああ」と軽く呟き「今日はもう結構。護衛ならヒルベルトが連れてきた者に任せる」と、【ヒルベルトが連れてきた者】という部分を強調して告げた。


 シエスタは精一杯の皮肉を込めて目を伏せて「御心のままに」と応じた。


 けれどリューグーインはシエスタの皮肉に気付かない。


「そうそうそれだよ。その調子だよ」


 彼はニコニコと破顔し、シエスタの頭を優しく、優しく、撫でた。


「普段からそれくらいの奥ゆかしさがあれば、いくら可愛げのない君であっても少し位は相手してやってもいいんだけどね。

 まあ、次に僕と会うときまでには君も、【モテる淑女】というやつを勉強しておきたまえ」


 そう言い残し、竜宮院はヒルベルトと共に出掛けたのであった。




◇◇◇




 教会に併設された施設の部屋で一人、シエスタは様々なことに想いを馳せていた。

 彼女にはその日、枢機卿と連絡を取るという予定があったが、その時刻まではしばらく猶予があった。


 今回の勇者の対応に屈辱を感じなかったといえば嘘になる。それも非常識で不躾で非礼な扱いをされたのだから、当然のことであった。


 シエスタの同僚シスターは彼女が怒ったところを見たことがない。それくらい普段から何をされても笑って許してきたシエスタであったが、非常に珍しいことに、彼女の胸中は言葉にならぬ気持ちでいっぱいだった。


 怒りや羞恥心といった感情はもちろんあったが、何よりもシエスタは悲しかったのだ。


 彼女は目を閉じて思い返す。


 先程の彼とのやりとり。


 レモネに訪れてからのこの一週間。


 そして、が王都で過ごした一月ひとつきの間のことであった。



◇◇◇



 宰相や、パフィ姫達は最初から召喚に反対であった。シエスタにしてもそうだ。彼女は召喚によって背負わねばならない罪の重さを考えるだけで恐れ慄いて、胸を痛めた。とてもではないが召喚をした方が良いとは口にはできなかった。


 召喚が行われた当初、に抱いていたシエスタの感情は罪悪感であった。


 モンスターの一匹すら殺したことのない少年を、全くの見知らぬ土地に呼び、あまつさえこれから、一欠片の義理もないこの世界を救えというのだ。まさに鬼畜のごとき所業ではないか。この世界の人間であるということは、自動的にその片棒を担いでいるも同然であった。


 召喚の場には、教会の人員も居合わせた。

 聖女ミカ、教皇、古参の枢機卿の中でも特に有力者である数人であった。

 シエスタも責任感から同席を申し出たが、それが叶うことはなかった。



◇◇◇



 召喚された少年との初顔合わせは彼の訓練の初日であった。


 シエスタは、己の内に秘められたあのときの鮮烈な記憶を今一度思い返す。


 

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