第2話 教会②(踏み締めてのぼる)

◇◇◇


「はぁ、こんな簡単なことがわからないのかい?」


 竜宮院が「やれやれ」と肩をすくめた。


「まあ仕方ないか。異世界の蒙昧もうまいともがらには、少しばかり難しかったみたいだね」


 彼はこれみよがしな溜め息をいた。


「つまりね。僕の言いたいことは『この僕の一時間は一億円を超える』ということだよ」


 肘掛けに肘を付け、超ド級のドドヤ顔浮かべ、その前で両手を組んだ。

 思わせぶりなだけで、空っぽな彼の仕草、言動、表情、その中身に、シエスタの胸の内にふいに苦い何かが込み上げてきた。


 それは強烈な悔恨であり、疑問であった。 

 彼女はそれをおくびにも出さず、告げなければいけないことを淡々と告げた。


「勇者様のお時間が貴重であることは重々承知です。けれどこちらからお呼びした手前彼らを無下むげにすることは───」


 シエスタの顔の横を花瓶が通過した。

 ガチャーンと陶器の割れる音がけたたましく響いた。

 彼の顔が怒りで異常なほどに紅潮していた。


「俺に何度も同じことを言わせるなッッ!! このノータリンがッッ!!」


 彼は激昂し声を荒げた。


「今すぐに帰らせろッ!!」


 彼は再び椅子に腰を下ろし「いや、ちょっと待て」と何故か待ったをかけた。


「そうだな。いい、そのまま待たせとけ。いくら待たせても構わない。むしろ待たせておけ。忠誠心があれば喜んでいくらでも待つはずだ。

 だからまずは花瓶を片付けろ。濡れた絨毯も新しい物に替えておけ」


 どこまでも身勝手な彼に対し、シエスタはこんな馬鹿げた仕事をするのは自分だけで十分だと思った。


 だから彼女は「かしこまりました」とだけ返事し、まずは割れた陶器の大きな破片から自分一人で片付け始めた。

 竜宮院は自分の命令通りに動く彼女を気分良く眺めた。


 そうそう、コレこそがコレなんだよ。

 コレコレ。コレだよ。

 みんな俺の命に従えば良いんだ!

 ああ、ああ、嗚呼!

 何よりだ! 何よりなんだ!!


 再び彼は脳から脳内麻薬が分泌される感覚を覚えた。とその時、掃除すべく屈んだ彼女の豊かな臀部が目に入った。


 確かシエスタといったか。

 地味な格好であるため気にも留めなかったがよくよく見てみると、ウィンプルから覗くルックスだけでもわかる。その辺の貴族令嬢とは比べ物にならないほど素晴らしいじゃないか。


 それに何て肉感的なスタイルなんだ。

 あの野暮ったいシスター服の上からでもわかるほどに胸も尻も強調されてるじゃないか。


 ごくりと喉が鳴った。

 リューグーインは一度それが欲しくなると思い留まることを知らない。


「シエスタ。一度手を止めてこちらへ来たまえ」


 彼は、それまで怠惰が原因で重かった腰が、急に軽くなるのを感じた。


 立ち上がり、命令に応じて近くへ寄った彼女のウィンプルへと手を伸ばし、取り外すとまるでゴミでも捨てるように、床にポイと投げ捨てた。

 シエスタは聖女とはまた違った、きめ細やかな金の髪の肉感的で美しい女性だった。

 彼は手櫛で彼女の髪を一度二度と撫で上げ、シエスタのぽってりした唇に指を伸ばして荒くなぞった。


「君、良いねぇ」


 我慢という我慢なぞこの世界に来てからしたことのない勇者であったが、厚かましくも『もう我慢の限界だ』と感じた。


「本当にぃ、良いよぉ」


 シエスタは、心を無にした。

 無遠慮に人の肌や髪の毛に振れる無神経さに、興奮を隠せない荒い呼吸。これまでの彼の不躾な仕草に、物言いに、彼という人格と、それを形作るその全てに対して、彼女は己の心の内にある甘さと、一時ひととき淡い想い出・・・・・を捨て去ることを心に決めたのだった。


「君に相応しいもっと良い所があるんだよ。良い所さ! 行こう! ああ、そうだ! 今から君も僕のものになってよ! 勇者である僕のものになれるだなんてこれ以上に栄誉なことはないだろ!!」


 更にもう一度彼女の髪へと手を伸ばし、それを一房鼻の前に持っていくと大きく息を吸い込んだ。竜宮院はまさにガンギマリ状態の恍惚とした表情を浮かべた。


「ああ、良いねぇ! 良いねぇ! ああ、ああ、ああ、ああ、ああぁぁぁぁ」


 言葉にならない言葉を繰り返すと、彼女の腕を掴み部屋から連れ出そうとした。


「僭越ながら宜しいでしょうか勇者様」


 シエスタだ。感情のない声音であった。

 その場で立ち止まりリューグーインの返事を待たずにシエスタは続けた。その氷のような表情にリューグーインは戸惑った。


「私がこちらへと寄越されたのは聖女ミカの代わりにございます。その役割は勇者様である貴方の身の周りの世話と───警護にございます」


「警護?」


「その通りです。聖女ミカは貴方の身が何人なんぴとからもおびやかされぬよう、堅牢な結界を四六時中張り巡らせておりました。これは枢機卿様からも御証言がございます。

 であるならば、私は貴方との逢瀬を楽しむよりも、これまで聖女ミカが長年に渡って努めてまいりました『勇者様を護る』という使命に殉じたいと存じます」


「そんなの、別に結界を張りながらでも出来るだろう? 簡単な話だよ」


 する意思があるかどうかはこの際置いておいて、簡単なわけがなかった。

 自分には簡単なことだから簡単なことだと思っているのか、それとも無知ゆえに減らず口を叩いているのか。

 相応に時間を共にしたシエスタには、もはや考えるまでもなかった。


「それだけではございません。勇者様のお気持ちは非常にありがたいのですが、お気持ちに沿うことは出来かねます」


「互いに了承してるんだ! 別に構わないだろう!」


 了承などしていませんが───

 シエスタは心の中で呟いた。


「これまでに何度も私達クラーテルの者からお話させていただいたことと存じますが、僭越ながらもう一度心を鎮めてお聴きくださいませ。

 そもそも私達聖職者は、己の心だけでなく、己の身も含めた全てを神に捧げております。

 ですので、勇者様の御期待されるような行為を行った時点で、私達は私達の信ずる神から、全ての加護や能力を剥奪されるのです」


 リューグーインは「くッッッ!!」と呻いた。

 快楽と己の安全とを天秤に掛けていることは自明の表情であった。そもそも天秤に掛けて良いものでない。

 シエスタはダメ押しが必要かと内心で眉をしかめた。


「私の能力は聖女ミカには及びませんが、それに次ぐものです。

 聡明な勇者様に改めて説くには失礼かと存じますが、これからますます激しくなる勇者様の迷宮探索におきまして、もし万が一聖女ミカを喪われた際のことを考えますと、彼女のスペアとなりうる私を温存しておくに超したことはないでしょう」


 リューグーインが「チッ!」と吐き捨て、シエスタをぞんざいに突き飛ばした。勢いのまま床に倒れ込んだ彼女は、割れた陶器の一部で掌を切った。


「君、モテないだろ?」


 持てない? 保てない? もてない? モテナイ?


 シエスタには彼が言ってることが理解出来なかった。


「君は口が達者な女性だよ本当に。

 モテる女ってのは、有能であったとしても、それを感じさせずに、それとなく男性を立てる女性だよ」


 穏やかな口調であった。

 しかし次の瞬間、彼の表情は悪鬼の様に変化した。 


「ああッ! 嫌なことを思い出させるッッ!!

 思えば俺に気に入られているからと、あの馬鹿女・・・もそうだった! いっつも空気を読めずにしたり顔で物事に口を挟む!!」


 いきなり激昂した彼が「ふゥー! ふゥー!」と荒い息を繰り返した。シエスタはそれを冷ややかな目で眺めた。やがて彼は───


「君のそれは何? 有能アピールなのかな? バカバカしい! 

 積極的に男の前へしゃしゃり出る女性は僕の好みじゃないんだ」


 竜宮院は真っ赤な顔をしゃくり上げて『どうだ、悔しいだろ』と言わんばかりに告げた。


「だから君は不合格」


 ああ、『モテない』でしたか。

 シエスタは己の心がさらに冷えていくような感覚に陥った。

 リューグーインがシッシッと彼女を追い払う仕草で部屋から追い出そうとした───ちょうどその時、


「失礼しますねぇ!!」


 中年のダミ声がドアの向こうから聞こえた。

 声の主は失礼なことに返事も聞かずにドアを開けたのだった。





 

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