第10章 最後の藁

第1話 教会①(階段をのぼる)

◇◇◇



 彼には万人からの尊敬の眼差しが向けられた。


 想像してみて欲しい。

 この国の事情を知る上流階級の人間のみならず、無知蒙昧な市井しせいの民ですら彼を目にすると瞳を輝かせるのだ。

 

 それもそのはず。

 彼は、召喚されてからたったの数年足らずで、これまで未踏破であった《新造最難関迷宮ネクスビー迷宮》を七つも攻略したのだから───


 それに比べて自分が現れるまでの長い期間この世界の馬鹿共は一体何をしていた?

 いや、何をしていたかは重要ではない。結果として何もできていないではないか。

 失笑するほど無能しかいない。


 しかも、しかもだ。

《新造最難関迷宮》をクリアするというお手本を見せてもらったにも関わらず、未だにこの世界の者達自身の手で《新造最難関迷宮ネクスビー迷宮》をたったの一つすら攻略出来ていないというではないか。これはいかに猿共が無能であるかのエビデンスであろう。


 何が言いたいのかというと、己の功績はまさに超然絶後であり、前人未到であり、僅有絶無であり、空前絶後のものであった。


 しかしそれでも、彼を語るにはその評価だけでは全くの不十分であろう。


 彼には常々抱いていたポリシーがあった。

 優秀な男に必要なものは、金と地位と実力───そして何よりもそれらを彩る美しきトロフィーなのだ。


 例えば有象無象の凡百のアクセサリ───その辺に蔓延る女性を百人、いや千人連れてきて彼の隣に並べたところで、それらは全く意味をなさない。

 ガラス玉を幾ら集めた所で、本物の宝石には敵いやしないのだ。


 だからこそ彼女英雄の少女達を侍らせることに意義がある。


 三人はトロフィーであった。

 それも彼の自尊心を最大限に満たすのに最適で完璧なトロフィーだ。

 

 全ての教会関係者が聖女に頭を下げた。

 全ての魔法使いが賢者へと羨望の眼差しを向けた。

 全ての騎士や剣士が剣聖に畏敬の念を示した。


 それら全ての称賛は、トロフィーを所持する己に向けられたものも同然なのだ。


 いつだって思い返すだけで脳内から何らかの脳内物質が放出され、じんわりと身体を縛るような強い陶酔に浸ることができた。


 そして彼は、その都度再確認するのだ。

 人類全てから尊敬される三人(+一人)を束ね、そして人類史上初の難関迷宮を踏破した己───竜宮院王子こそが、この世界で最も崇め奉られるべき人間なのだ、と。



◇◇◇



「入ります」と彼女は言った。


 部屋から返事はないが、それはいつものことであったのでそのまま彼女は部屋へと入った。


 失礼だとは全く思わなかった。

 彼女───シエスタは年の頃は二十代前半のシスターであった。


 彼女は部屋に入ると立ち込めた淫臭に顔をしかめた。こればかりはどうしても慣れることが出来なかった。


 毛布から見える金髪が「……水」とだけ告げた。

 シエスタは金髪の主に水を与えると、まずは手始めに窓を開け、テキパキと部屋の清掃を始めた。


 本来であれば彼女はそのような下女の様な仕事をする地位の者ではなかった。けれど仕方がなかった。彼の身支度は普段は聖女であるミカが行っていた仕事であった。シエスタは出立したミカの代わりに寄越されたのだった。


 元々シエスタは面倒見の良い性格で、みんなが嫌がるような仕事でも率先して行うたちであったので、掃除をすることには忌避感は微塵もなかった。

 けれど、今もベッドの中から彼女の身体を舐め回すように向けられた彼───勇者リューグーインの視線だけはどうしても慣れることが出来なかった。


「勇者様、シーツを代えますので」


 のそりとベッドより這い出たリューグーイン。シエスタは複数人の体液の染み付いたシーツを鼻をつまめるものならつまみたいと内心で嘆きながら素早くカゴに詰めた。その間も常に彼の視線を感じていた。


「本日は、二人の方にお越しいただいております」


 シエスタは構わずに、アームチェアにどかりと腰を下ろした勇者リューグーインへと伝えた。


「二人の方だと?」


 彼は一晩かけた複数人と行った夜の行為での疲れと、過剰飲酒による二日酔いとで明らかに不機嫌に聞き返した。


「はい。一人目はAランク探索者パーティ《大者タイクーン》のリーダーであるレオパルド様です。私がここに到着してから一週間ほどが経過しましたが、勇者様が『最近訓練に相応しい相手がいなくて困っている』と仰っておりましたので、勇者様の訓練相手にとお越しいただきました」


 目を閉じて背中を背もたれに預け、何も言葉を発しない勇者リューグーインにシエスタは続けた。


「二人目は、勇者様にも認識のある人物です。このレモネの街のギルドマスターであるバレン氏です」


 アームチェアがギイと音をたてた。


「バレン氏は先日──」


 説明を続けたシエスタにリューグーインが顔を向けた。


「もういい。話をやめろ。君は一体どういった了見で僕の貴重な時間を取らせようというんだい?」


 シエスタは律儀にも「それは先日───」と経緯を話そうとした。それがリューグーインには気に入らなかった。


「僕は『話をやめろ』と言ったよね?」


 確かに言った。けれど『どういった了見で』と説明を求めたのも彼であった。矛盾に矛盾を重ねても道理が通じないのが彼───勇者リューグーインであった。


「そもそも君は、勇者の時間がどれほど貴重なものなのかわかっていない」


 勇者が大袈裟に脚を組んだ。


向こうの世界日本では、『一時間で一億円を稼ぐ』と豪語していた著名人がいた。そしてこちらの世界で言うならば、僕の立場は向こうにいる彼よりも上だろう。となればわかるだろう?」


 シエスタには何もわからなかった。

 そもそも彼女は回復術のみならず、枢機卿と共に諸外国を巡るべく様々な分野に精通している才女でもあった。

 そんな彼女をしても彼の言ってることが───ひいては彼のことがわからなかったのだ。


 一体愚かなのはどちらであるのか?

 シエスタは心中で己へと問い掛けた。







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みんなお待ちかねの竜宮院さん回です。


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