第12話 顕現

○○○


 天候はいっこうに回復する気配を見せなかった。

 市中の人々の間では、このまま雨が振り続けたら作物が全滅してしまうという心配や、土砂崩れが起こるんじゃないかという話で持ち切りだった。


 彼らの不安に呼応するように、フォグは増加を続け、俺達の負担はより苛酷なものとなった。

 それは徐々にではあるが、しかしながら確実な状況の悪化で、フォグ討伐に携わる誰しもが、まるで真綿で首を絞められるような危機感を覚えていた。



 そしてこの日もまた、情報共有の場にてアノンより告げられたのは、悪い知らせであった。


「ついにアロガンスやバーチャスにも《液状生命体フォグスライム》が出現した。もちろん、その性質を持った屍人グール達を引き連れてね」


 これまでの経験から言えば、こちらで起こったことはワンテンポ遅れて向こうでも起こる、ということか。


「出現回数が増え続けていることに加えて、討伐難度が上がったことで、みんなに負担を強いることになっている。けれどここを乗り切れば迷宮が姿を現すだろう。だからそれまで何とか耐えしのいで欲しい」


 アノンは迷宮の出現が間近であると言い切ったが、今はもう、他に言いようがなかったのだろう。



 乗数的、とまでは言わずとも今のフォグの出現速度は異常であった。それに加えてセンセイの記憶にもない変異種の出現だ。


益荒男傭兵団ベルセルガ》、《旧都ビエネッタ》、領主の私設兵に、後に人員追加された多数の冒険者パーティのいずれもが、疲弊していた。


 すぐに戦線が崩れるということはない。けれど裏を返せばそれは、このままいけば、遠くない内にその時が訪れる、ということでもあった。



 アノンは一貫して努めて暗くならないようにし、報告を終えたのだった。



○○○



 アノンが俺の部屋のソファにぐったりと背を預けた。

 いくらタフなアノンであっても疲れの色は隠せなかった。だからこそここでくらいゆっくりと気を抜いて欲しい。


「イチロー、ついに計算上で最終的に討伐する予定であった数のフォグの討伐数を超えたよ」


 何でも、それは、今回の件でこれくらいの数の魔物を退治するだろうという、センセイの話や言い伝えから導き出された予測数値であったそうだ。

 その数を超えてもなお、衰える気配を見せないのだから今回の《封印領域》が如何にヤバイかわかるというものだ。

 俺にとっても、いつどこで現れるか分からない敵が無数に攻めてくるというのは、下手すると《新造最難関迷宮》のボス以上にやりにくい相手だ。


 無数のフォグより強敵が一体現れた方がどれだけマシだろうかと、俺は溜め息をいた。


 そして俺の視線の先にはセンセイ───彼女は俺のベッドに寝転んでいた。


「んんーーーーー!」


 のびーと身体を反らすほどに伸ばし、つま先をぴんと張る姿はリラックスした猫を思わせた。

 これは内緒ではあるが、彼女の着物がはだけそうで俺は内心ハラハラしていた。


「《封印迷宮》も成長しとるのかもしれん」


 そんな彼女であるが、アノンの言を受け眉をしかめていた。

 

「センセイ……」


 前回を踏まえたこちらの対応に対し、さらに上回るようにイレギュラーを発生させる迷宮。もし、そこに何らかの意思があったとしたら?


 それは───最悪な想像と言えた。


「とはいえ、こちらも初動が速かったから、『最悪の事態』は回避出来ておる。それに前回は、運も悪かったからの」


「運?」


 俺が尋ねるとよっこいせと腰を起こし、枕をかき抱いた。


「そう。前に封印領域が発現したときには、穀物の不作からくる飢饉や流行り病で、死はその辺に溢れておった。そんな中だったから、戦うために必要な物資を掻き集め、充分な人員を呼ぶのは、たいそう骨が折れることであった。いや、実際には不可能であったの」


 センセイがいたのにそんなに苦労したの? と疑問を抱いたけど、まあ、けど、センセイがそう言うのならそれはそれで間違いないのだろう(盲目)

 けどなるほど。確かに、それは納得のいく話でもあった。その時代に存在したセンセイを含めた実力者や為政者は《封印迷宮》の踏破を諦めその時代の賢者によって、封印し、無力化する方法を選んでいる。

 


「ワタシも資料で見たよ。そもそも国自体が酷い状況にあったそうだね」


 おいせと、アノンも背筋を伸ばした。


「前回は封印領域が悪さをしだす前から、もう墓の数もバカにならんでの。そこにきてわけのわからぬモンスターの大軍じゃ。墓に入れることも叶わずに燃やされた死体もごまんとあった」


 その土地は辺り一面が墓で埋め尽くされていた。痩せこけた人々が涙し、死者の数が多過ぎて埋葬することすら叶わなかった遺体に火を焚べた。「すまない」「すまない」と失われた人々に対し謝罪し、嘆き悲しんでいる彼らの足元から、数え切れないほどの腐敗した腕が伸びる。手は追い縋るように逃げ惑う人々の足を掴み、地の底へ引きずり込む───そんな情景が自ずと想い起こされ、俺は背筋がぶるりと震えるのを感じた。


 今このときは、英気を養うための憩いの一時ひとときであったが、一度浮かんだイメージは、俺の頭の片隅に残り続け、消えることはなかった。



○○○



 翌日も翌々日も俺らは悪条件での討伐を余儀なくされた。

 

 俺達の焦りを知ってか知らずか、フォグ達の増殖スピードはやはり天井知らずであった。そしてそれはついにきた。

 その日フォグの増殖速度は俺達のギリギリの討伐速度へと到達した。


 ここから先、俺達は削られる一方であることが確定した。それだけでなく、何か一つの失敗を切っ掛けに状況はシーソーの様に一気に傾いてしまう───そんな実感だけはひしひしと感じられる。


益荒男傭兵団ベルセルガ》や《旧都ビエネッタ》の団員はさすがにを口にはしなかったが、彼らからも疲労の色がありありと伺える。

 彼ら歴戦の猛者達ですらこうなのだ、領主によって追加された一般探索者の人員ならなおさらだろう。

 にも関わらず、一般探索者達が逃げ出さずに何とか持ちこたえてくれていることに、俺は感謝の念に耐えなかった。



○○○



 そしてその三日後。


 雨が───ようやくやんだ。


 空は青く、雲一つない晴れ模様であった。

 それは俺達が、ほっと一息いた日の夜のことだった。


 俺達が眠りに就こうとしたそのとき、大気が震えた。


 立つことも困難なほどの地鳴りと共に、ついに《封印迷宮》がその姿を現したのだった。






─────────

アンジェリカ過去話②の加筆修正版をサポ限定近況ノートで更新してますので、サポーターの方はよろしければ一読お願いします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る