第10話 エンゼルエコー


○○○



 雨は強く、何日も続いた。

 一向にやむ気配を見せない雨と、陽の光を遮る雨雲にうんざりだった。


 けれど俺達の事情なぞお構いなしにフォグは現れ続けた。


 叩きつける雨が容赦なく俺達の体温を奪った。さらには視界の悪い中での退治は、俺達の肉体と精神を確実に疲弊させた。


 早くやんでくれという俺達の願いは叶うことなく、雨はいっこうにやむ気配を見せない。


 畢竟、フォグ討伐にあたっている人員の負担は非常に大きいものとなった。



○○○



 雨の中ビショビショに濡れながらの討伐は辛く憂鬱であった。

 特に俺達の役割が、決まった位置のフォグを討伐するというよりも、別動隊の討ち漏らしを殲滅していく遊撃的なものであったため他部隊よりも負担が大きかった。



 そんな中、今日も今日とて討伐を終えた俺達三人は館へと帰還した。その日の討伐開始時にはそれなりに会話を交わしていたミロとディーテであったが、後半に差し掛かるにつれ口数は減り、帰還する頃になると完全に無口になる。


「到着。それじゃ今日も一日お疲れ様でした。これで本日は解散するけど、明日に備えて身体を休めておいてくれな。夜更かしは禁止だからな」


 二人は「はーい」と子供みたいな返事をして館へと駆けていった。気持ちはわかる。


 俺達は早速風呂や食事を終わらせ、各々の自由時間に洒落込んだ。といっても飲むか、駄弁るか、カードゲームをするかという選択肢しかないけれど……いや、それでも十分か。


「ロウ、少しいいかい?」


 館内を散歩する俺の前方から現れたのはフードの奇人アノンだった。


「おう、どったん?」


「雨の中、ロウ達のパーティにはしんどい役をやらせてしまってる。そのことについて」


「それは仕方のないことだろ」


「そう言ってくれると助かる。

 けど話はそれだけじゃない。オーミさんも待ってる。とりあえずワタシの部屋に行こう」


 何だか今日は強引じゃないの───などと考えてると彼は俺の腕を掴んでセンセイの待つ部屋へと急いだのだった。



○○○



 優雅にコーヒーを楽しむセンセイ。

 俺が部屋に入ると、彼女は軽く手を振った。

 彼女は手づから俺とアノンにコーヒーを淹れてくれるや、「よっこいせ」と椅子に腰を落とし、早速本題に入った。


 以前から聞いていた通り、予定より封印領域の進行が早い。これから先、進行速度が今以上に上がる可能性もある。そうなれば迷宮の現出も予想より大幅に早くなるかもしれない。

 センセイの話は要するにこのようになる。

 

「もはや《封印迷宮》はいつ顕現したとしても不思議ではない。それこそ一週間以内かもしれんし、一月ひとつき以内かもしれん。

 だからイチローよ、そろそろ気を引き締めんといけんぞ」


 センセイが俺に告げた。


「我の話はこれでしまい。次はアノンからじゃ」



○○○



 そしてアノンの話はこうだ。

 イレギュラー(今回は長期的な雨)が起こった場合に必要となる討伐の人員がどう考えても足りなかった。

 たとえ人員に都合がついたとしても、それに伴う食料などの物資の消費量増加も考慮しなければいけない。


 人員と物資の追加について、当初から領主や、近隣の様々な商会について交渉を行っていたけれど、それまでに派遣された私兵団、傭兵団、探索者などと、彼らのための物資で既に莫大な支出となっていたために、これ以上は難しいと渋られていたのだ。


 アノンはそれに対しても交渉材料を用意していた。

 彼はまず、センセイの話と、これまでにフォグを倒すことで得た魔石量から、最終的な魔石の獲得量を推定した。それを元に、こちらの要望に費やした支出を考慮しても十分にペイ出来、それどころか大きな利益を上げることが出来ると結論付けた。

 これらを交渉材料に、アノンはボルダフ領主や近隣の都市部の商会などと交渉を重ねていたのだった。


 けれど交渉相手は、アノンから儲けを出せると言われたものの、その根拠は薄いと中々首を縦に振らなかった。


 本音としては、自分以外の誰かがやればいいというところと、もしくは封印領域の問題が終わったあとに、復興が必要になった場合のことも考えると余計な支出はなるべく抑えたかったというところだろう。


 こうした領主や商会達の言い分に一定の理解を示したアノンは、それでも諦めることなくひたすら粘り強く交渉を重ねていた。


「つか、アノンが現場を取り仕切ってるんだな。本来なら領主様の方からこっちに頭を下げて協力を願い出てもおかしくない状況なのにな」


「まあ、彼はそういう人だよ。この辺境に愛はあるけど、堅実堅固な性格でさ。堅実であることも、堅固であることも、通常であれば全く悪いことではないんだけど、突発的な異常事態には頭の硬さが裏目に出やすい。まさに今回がいい例だよ」


「領主様のことよく知ってるな」


 アノンは「ああ、それなりにね」答えたのだった。


「話を戻すよ。ワタシはこの辺境最大手であるゴア商会を始めとした、近隣の都市部の五つの商会を相手に、大量の物資を購入するから予算で何とかならないかと相談してたんだけどね……正直かなりしんどかったよ」


 彼が長い溜め息をいた。

 一個人を相手にした値引き交渉ですら出来ない俺は、想像しただけでストレスでマッハであった。


 平凡な高校生が異世界転移するウェブ小説で、主人公の高校生が百戦錬磨の古狸おじさんなんかを相手に交渉し、彼らをスカッと負かせる描写があったりする。

 よく考えて欲しい。

 文化も違う、常識も違う、何もかもが違う世界の中に放り出され、アウェイというハンデを背負ってなお、単なる平凡な高校生が現地の知識人を相手取って交渉で勝つだなんて、土台無理な話だ。


「お疲れ様。アノンには本当に苦労を掛けるな」


 頭を使う場面は全て人に放り投げているので、本当に申し訳なく思うのだ。


「本来なら、アノンがそこまで頑張る必要はないはずだろ」


 俺の言葉に、彼が心外そうに答えた。


「何を言ってるんだい? キミが言ったんだろ」


 何を───とは尋ねなかった。


「困ってる人がいたら助けてやってくれって。

 それこそが私達の人生だろ?

 私達の頑張りが、いつか人から人へと巡り巡っていくと考えたら、頑張るだけの甲斐はあるってものさ」


 あー、

 あー、あー、言葉にならん。

 俺の表情を見たセンセイが口の端を上げたのだった。



○○○



 これまでの彼の話を聞いて、どうすればいいのか話し合うのが今回集められた趣旨───だと思っていたのだけれど、


「違うよ」


 それはどうも見当違いであった。


「その件は先日クリア出来たのさ。今回はその報告で呼んだんだ。ようやくみんな少し楽になるかもしれない」


 何でも先日、辺境伯とゴア商会から話し合いの申し出が行われたのだそうだ。


「辺境伯やゴア商会も、以前とは違って、交渉に前向きでね。出会うや『資料を欲しい』と望まれた」


 それからはあっという間さ、とアノンは締めくくった。


「どうしてそんなにいきなり……?」


 一呼吸置きアノンが答えた。


「ワタシも不思議に思って急な心変わりの理由を尋ねたよ」


 そしたらね、とアノンは声に喜色を滲ませた。


「二人とも『娘に諭された』と答えたよ」


「娘……?」


「そう。ボルダフ領主にも、ゴア商会会長のハインツ・ゴアにも娘がいる。彼女達がどういった理由や経緯で、どういった説得をおこなったかはわからない」


 けど、とアノンは続け、


「単なるバカ親と、ただの親バカじゃなかったみたいだね」と何かを滲ませたように呟いたのだった。

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