第2話 BLOWIN’

○○○



 プルミー・エン・ダイナスト。

 グリンアイズ───俺が《鏡の迷宮》を踏破せんと一番最初に拠点とした街───にてギルドマスターを務めていたエルフの女性だ。

 知らないわけがなかった。


「今宵はあやつと話をするからの」とセンセイがのたまった。

 その表情はどこか懐かしげであり、久方振り(正確にはどれくらいだろう?)の友人とのお喋りに胸を踊らせているようであった。

 

 その一方で俺は、彼女の名前がセンセイの口から出たことにびくりとしてしまった。


 それは何も、俺が彼女を恐れているからとか、嫌悪しているからではない。

 むしろ、その逆であった。

 俺は彼女の気高い人間性と、その内側に隠れがちな彼女の本質たる優しさを尊敬し、彼女という人間を信頼していたのだ。


 だってそうだろう?

 俺に剣を叩き込んだのは騎士団長であり、共同開発であったとはいえここまでの魔法を授けてくれたのはアンジェであった。

 それと同じ様に、探索者の経験がゼロの俺に迷宮を探索するためのいろはを伝授すべく奔走してくれたのは彼女───プルミーさんに他ならなかった。



 彼女との思い出を振り返る。

 まずもって、彼女は俺が元いた世界ではついぞお目にかかることのないほどの超絶美形の女性であった。


 当時の俺は知る由もないが、そもそも美形しか存在しないとされるエルフの中でも彼女は特に容姿端麗なのだそうだ。


 グリンアイズに到着した当初なぞは、特に女性に対する免疫がなかった俺は、彼女を前にすると何となく照れてしまい、目を合わせることすら困難であった。


 今考えると、精神的にも俺より遥かに大人である彼女は、そんな俺の様子を察してくれていたのだろう。

 だから彼女の方からそれとなく距離を詰めてくれたのだった。


 例えば通常では考えられないそうであるが、俺が彼女から教えを請う際は、大体が彼女の執務部屋───つまりギルマスに与えられた部屋で習うのがお決まりであった。



◯◯◯



 その日は探索者に必要な道具に関する彼女のレクチャーの日であった。

 執務部屋に着くや彼女からぽんと資料を手渡された。


「それに目を通しながらでいい。項目ごとに一つずつ説明するから。ちゃんと覚えておけよ」


 どこか蓮っ葉はすっぱでクールな物言いである。

 彼女を知らない人が見れば、クールさとその美貌が相乗効果を起こし、触れることすらも許されない美の化身のような存在だと思うだろう。


 俺は渡された資料をパラパラとめくった。

 召喚された際に、《異世界翻訳能力》という能力を得ていた。だから会話だけでなく文字すらも理解が出来た。資料の中身の把握に努めていると気づいた。資料に書かれた文字がやけに丸みを帯びているではないか。それはそれは誠に可愛らしい文字なのだった。しかもこれまたページを繰ると、愛くるしい手描きのイラストが描かれているのだった。


 今思えば、内容にしても初心者に分かりやすいように簡潔に、なおかつ全部覚えたら素人を卒業出来るレベルのものだった。


 そこにその資料を作成した人物の途方も無い労力を感じた。


 隣にいたミカと「このイラスト見てください」「へー、めっちゃ上手!」「はい、特にこのスライムなど」などと語らっていると、プルミーさんの耳が赤いことに気付いた。


 確かに可愛らしいイラストなのだ。

 資料にはフラスコや薬草などの道具などだけでなく、可愛らしくデフォルメしてあるが特徴をしっかり捉えているモンスターのイラストなど数多くが納められていた。

 ミカなどは琴線に触れたのか「いいですね、これいいですね」としきりに称賛していた。


 謎のテン上げで称賛コメを続けるミカ。

 相槌を打つ俺。

 それに比例して顔を赤くするプルミーさん。


「褒めるのはいいがそれくらいにしておけ。ページを最初に戻せ。そろそろレクチャーに入る」


 彼女の赤面した表情に気付いた俺はそこでようやく資料は彼女が手づからこさえた物なのだと知ったのだった。


 プルミーさんに抱いていたイメージとは到底結びつかず、まさか彼女自身による手作りとは夢にも思わなかった。


 クールな彼女がこんなにも可愛らしいイラストを自らの手で描くだなんて普通なら思い至らないだろう。


 何よりも、ただでさえギルマスの仕事に忙殺されているというのに、通常の業務に加えて俺達の資料作りまで自分でするだなんて……。

 俺達のことは部下に任せるなり、外部に委託するなりすれば良かったのだ。手を抜こうと思えば幾らでも抜けたろうに。


 プルミーさんは万事に渡ってこの調子であった。俺の教育という面倒ごとにも手を抜かずなるべく彼女自身が携わってくれた。


 クールで遠慮の無い物言いであるが、その実は彼女はいつだって誠実で、思慮深く、思い遣りのある女性であった。




◯◯◯




 そうだ。

 一年に満たない期間ではあったが、俺は彼女には非常にお世話になったのだ。

 恩を感じていないわけがなかった。


 ならどうしてプルミーさんの名を聞いたとき俺がびくりとしてしまったか───


 それはやはり、プルミーさんは俺にとって頼り甲斐のある女性であると同時に、今では賢者と称されている魔法使い───アンジェの保護者であったからだ。



○○○



 記憶を辿る。

《光の迷宮》でボスモンスターである《天使》との壮絶な死闘を乗り切ったあの後だ。


 その頃の俺は拭いがたい虚脱感に支配されていた。

 薄氷を踏むかのような生死をかけた闘いを終え、『ようやく街に帰ることができた……』と気を抜いた直後に、好き合っていると思っていたパートナーが目の前で別の男性の胸へと飛び込んだのだ。

 その衝撃は計り知れないものであった。


 そもそもの話だ。

 プルミーさんがアンジェを俺の所に連れてきたとき───それはミカが俺から離れた直後であり、俺はひきこもりも同然の生活を送っていた。

 前回同様パートナーがいなくなった俺は、茫然自失として、再びひきこもりになるという選択肢を採ろうとして……いや、違う。

 それすらも無理だった。

 どちらの街も彼女達との思い出が多過ぎた。


 忘れようにも、気持ちを圧し殺そうにも、街中のそこらかしこに彼女達との思い出があった。街を歩くだけで、否が応にも楽しかった頃の記憶が呼び覚まされた。それは耐え難い苦痛だった。自然と己の孤独を自覚させられた。


 そう思うと居ても立っても居られなくなった。

 もはやそこにはいられなかった。

 その感情は虚脱感すら凌駕した。


 すぐさまギルマスに次の迷宮と街についての相談を持ち掛けた。

 それから三日後に、俺は転がるように街を発った。 

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