第14話 【じゅ】と【はふり】と【生】と【死】と

○○○



《不死の迷宮》にて《廻天屍人リバースデッド》の刃は確かに俺の両腕を切り飛ばし、心の臓を貫いた。

 あのとき、確かに俺という存在は死んだのだ。

 身体機能は完全に停止し、意識は完全に消滅した。


 だから、それ・・が起こるまでに正確にどれ位の時間を要したかは俺にはわからない。


 一度は完全にブラックアウトした意識の中。

 不思議なことに、閉ざしたまぶたを貫くような激しい光と全身を駆け巡る強烈な熱を感じた。


 目を開き上体を起こすと、目前には灰色の肌の全身が鎧のような筋肉で覆われた巨人───《廻天屍人リバースデッド》がたたずみ、こちらの様子を窺っていた。


 身体を確認するも痛みはもちろんのこと全ての怪我が完治していた。

 そして、魔力、体力は共に全快に───いや、それどころかこれまでに感じたことのない力が全身にみなぎるのを感じた。


 とどめをささんと《廻天屍人リバースデッド》が渾身の一撃を上段から剣を振り下ろした。


 何の冗談かと思った。

 のボスモンスターの剣速が遅すぎたのだ。

 未だ起き上がることなく腰を地に着けたまま、届いた切っ先を余裕を持って素手で掴んだ。

 切っ先をくるりと跳ねさせ、柄を奪ってまずは一振り───剣を握っていた手を切り飛ばし、返す刀でもう一振り───残る手を切り落とした。


 これまで感情らしい感情を全く示さなかった《廻天屍人リバースデッド》が後ずさった。


 それは完全なる隙だ。

 俺は手の力でその巨体の足下へと滑り込み、度重なる再生で強化された丸太のように太い足を掴んで、ドラゴンスクリューを食らわせて捻り転がした。俺はすぐさま起き上がり、背中を地に着けた《廻天屍人リバースデッド》へと剣を突き立てたのだった。


 ようやく───これが決め手となった。

 幾度となく超再生を続けた《廻天屍人リバースデッド》は遂に事切れ、再生することなく、光を発し、消滅することとなった。



 長きに渡る《廻天屍人リバースデッド》との対峙は千八十をもってようやく幕切れとなったのだった。




◯◯◯




《不死の迷宮》から帰還し、ギルドへの報告を終え、宿屋で戦利品を整理していると、探索中に隠し部屋で手に入れたとある・・・宝珠に目がいった。


 この宝珠は『宝珠』という名ではあるものの、球体ではなく、正三角形を四つ組み合わせた純白の正四面体の結晶であった。


 掌に乗せて、軽くもてあそんでいると、ふと気付いた。

 手に入れたときには、その全ての面が白一色であったはずが、その内の一つの面が黒く塗り潰されていた。



○○○


 鑑定士曰く、その名を《蘇生の宝珠》といった。

 死者を蘇生し、また蘇生された者の体力や魔力などの存在の力を一段階引き上げることを四度まで可能にするアイテムであった。


 恐らく、一回用いるごとに、白い三角形が黒く変色し、使い切ると全ての面が黒くなるのだろう。


 俺は、この《蘇生の宝珠》のお陰で、《廻天屍人リバースデッド》に敗れて一度は失ったはずの命を取り戻したのだった。



○○○



 ───そして今。

 俺は、四面体の内、既に二面・・が黒く塗りつぶされた《蘇生の宝珠》を取り出して、意識を失いベッドにせるクロアの手に握らせた。


 十七と聞いていたが、どう見ても十二、十三歳の少女のような、年齢にそぐわない小さな手だった。青い血管が透けて見えた。


 とにかくクロアは線が細く華奢であった。

 彼は癒えることのない倦怠感や、時と共に悪化する症状に、食事が喉も通らなかったからだろう。


「もう、大丈夫だ」


 彼のおでこに手を当て、俺は祈った。

 これ以上、彼を苦しめるものがありませんように。


「センセイ、大丈夫です。《解呪》をお願いします」


 俺の頼みに、センセイは厳かに頷いた。


 しゃなり。

 クロアの前に歩み出たセンセイは、クロアの額へと手をやり、その手を徐々に、首に、胸に、腰、脚へと撫でるようになぞった。



「【かのものたちのいのり】

 【かのものたちのはふり】」



 センセイが俺達に一瞬視線を向けた。



「【のりとによりてさいわいをねがうものにはしろたへのさいわいを】

 【じゅによりてわざわいをねがうものにはぬばたまのわざわいを】」



 何かを唱えたと思ったらセンセイから温かな光を感じた。



「【どうりにはどうりを】

 【ゆうりにはゆうりを】

 【きゅうりにはきゅうりを】

 【あまねくことわりにはことわりを】」



 センセイから発せられた光がクロアを覆った──次の瞬間、クロアの全身に、枝分かれした黒いラインが這うよう表出した。

 クロアが激痛から声にならぬ悲鳴を上げた。

 俺は、弟の声に飛び出そうとしたクロエを「大丈夫だから」と引き留めた。



「【みかがみのおおみかみのなにおいてめいず】」



 クロアの肌に浮かんだ黒いラインが蠕動ぜんどうし、肌から剥離するように浮かび上がった。

 黒いラインは凝縮し、粘りつくコールタールのようにべたりとした質感を感じさせた。そのものに意思があるかのごとく、クロアの身体に再び張り付こうとした。



「【じゅよ】【じゅよ】

 【とく】

 【とくとかれ】

 【ひとをいといといはかなくせんとしたもののもとへ】

 【とく】

 【とく】

 【とくとかえれ】」



 センセイから発せられた光は、黒いラインがクロアの身体に留まることを赦さなかった。 

 彼女が唱え終えると、光に弾かれるように、クロアの身体にあった黒のラインは上空へと打ち上げられ、八つの軌跡を描き、遥か彼方へと飛び去った。



○○○



「クロアッッ!!」


 引き留めた俺を振り払い、クロエは弟の元へと急いだ。


「クロアッ! 目を覚まして! お願い! クロアッッ!」


 息の無い弟の肩を揺さぶり、クロエは叫んだ。


「どうして!! 大丈夫って───」


 こちらに向き直ったクロエは、濡らした瞳のまま俺達を睨み付けた。


「クロエさん、大丈夫だ。もうすぐだ───ほら来たッ」


 ベッドに横たわるクロアの手に握らせた、正四面体のアイテム───《蘇生の宝珠》からおびただしい光が溢れた。

 俺が《廻天屍人リバースデッド》に敗北した直後に感じた、激しく、それでいて温かな光だった。


 やがて光が収まると、クロアから静かな寝息が聞こえた。

 すーすーというすこやかな寝息だった。


 それのみならず、先程まで呻き声を上げて苦悶の表情を浮かべていた彼の表情は穏やかで、血管が透けて青白かった顔色はすっかり血の気が通っている物となっていた。


 夢か現か。信じても良いのかどうか。

 クロエはぺたぺたと弟の顔に触れた。


 彼はやがて、これが現実だと飲み込めたのか、ぐすぐすと堪えていたものが決壊し、子供のように声を上げて泣いたのだった。



○○○



「君は、一体、何をしたんだ?」


 弟の快復を目の当たりにしたクロエは、しばらくして落ち着くと、未だにぐすぐすと鼻を鳴らし、俺に尋ねた。

 彼の疑問はさもありなんだ。


「《蘇生の宝珠》を使った」


 先程までクロアの手にあった正四面体を、部屋を照らす灯りへと掲げた。

 さらに一面が黒く塗り潰され、残った純白の三角形は残り一つとなっていた。


「こいつは、命を失った者を蘇生してくれるだけでなく、その際に全ての能力を二段階ほど引き上げてくれる優れもんだよ」


 俺はぽんと宙に放り投げ、指の上でくるくると回転させた。

 クロエは驚きから目を剥いた。


「そんなアイテムを───?」


「おう」と頷いた俺を見て、口をパクパクさせた。

 やがて彼は懊悩おうのうしたような表情を浮かべ、しばし瞳を閉じた。


「悩むことはないさ。当初の条件通り、今回の件に手を貸してくれさえすれば、他には何もいらない」


 俺の返答に、クロエはくわっと目を見開いた。

 

「私に返せる物ならなんだって渡す」


「大丈夫さ。その気持ちだけで十分だ───」


「そんなわけにはいかない! さしあたって私はクランを解散する!」


「な、何を言ってるんだ?」


「クランを解散して財務整理をするところから始める!

 此度こたびの件に参加してもらう《旧都ビエネッタ》所属のパーティへの支払い分を除いて、私の全ての財産を君に渡す!

 そして私は、終生君の元で君のために働こう!!」


 覚悟を決めた人間特有のヤベー目付きだった。変に意気込んでいるのか「ふんす」と鼻を鳴らした。


 だから俺は彼の額をぺちりと叩いた。


「あいたっ! 何するんだ!」


「落ち着け」


 クロエが赤くなったおでこをさすり「うー」とうめいた。


「もう一回言うぞ。俺は、何もいらない。

 当初の約束通り、封印領域の討伐に向けて力を貸してくれさえすれば、それだけで充分だ」


「けど、君の用いたアイテムは、ただのレアアイテムじゃすまない。それこそ国宝級だ。金銭的な価値を付けようとすることが恥ずかしくなるほどのレアアイテムなんだよ。私はどうすれば」


「どうもこうもしなくていい」


 俺はラストエリクサーは使ってしまう派だ。ここぞの場面で温存して、後から後悔するなんてのは愚の骨頂だ。

 それに今回使わずに済んでいたとしても、どこかで似たような状況に遭遇し、そこで間違いなく使っていたはずだ。

 それから、何より、俺は目の前の会って間もない兄弟を思いのほか気に入ってしまっていた。


「貴方の弟が、意識を失う前に言ったクランの方針───」



 ───お兄さま、彼等を手伝って、あげて、ください。


 ───私達は、私達のクランは、これまで、困った人がいたら手を差し伸べてきました。そのために、私達はやってきたはずです。



「あれさ、俺が聞いてもべったべたに甘いなって思うんだ。

 けど俺は、そんなべったべたな甘さが大好きなんだよな。

 だからさ、これからも今まで通り、《旧都ビエネッタ》を続けておくれよ。それで、どこかの誰かが助かるんなら、俺はそれでお腹いっぱいなんだわ」


 蜂蜜のごとき甘さだ。

 けれどそれは俺好みの甘さでもある。

 日本で生きてても、理不尽を感じることは多かった。こっちの世界ではなおさらだ。

 自分自身が十分に辛い目にあってきたし、多くの辛い目にあっている他人を見てきた。


 綺麗ごとばかりじゃ世の中が回らないことも理解している。正しさだけで腹が膨れることはないのだ。


 けれど、出来る範囲で、それを為せる誰かだけでも、綺麗ごとを目指してもいいじゃないか。

 俺はそう思ってしまうのだ。


 それからもう一つ───


 ちょうどそのとき、「ん、うう」とクロアが眼を覚ました。

「クロアっ」と兄が駆け寄った。


 彼らに告げることはないが、強く兄弟を思う気持ちを目の当たりにして、俺には《蘇生の宝珠》を使わないという選択肢はなかった。



 ───ごめんねー、にいちゃーん、にいちゃんのプリン食べちったー、てへへ!


 何をどうしたって、自分の弟妹ってやつは兄にとってはバカみたいに可愛いのだ。

  

 あのときクロエは、弟のためになら、財産だけでなく、命すらも捧げると言い切った。

 彼の言葉は真実の響きを持って俺の心を揺さぶったのだ。


「同感だよ」


 不幸にあえいでいた兄弟が、涙ながらに抱き締め会う姿を目にして、俺は誰にも聞こえぬように、万感の思いを込めて独りごちたのだった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る