第13話 【じゅ】と【死】と

○○○



 意識を失ったクロアをセンセイが始めてから半刻ほどが経った。


 センセイならば、すぐさま事態を解決してくれるんじゃないかというある種の盲目的な信頼感があった。

 しかし、まぶたを指でひらけたり、口に指を突っ込んだり、呼吸のリズムを数えたり、抜いた数本の髪の毛を検分したりと、何をしてるのか俺には全く理解出来なかったが、いささか時間が掛かりすぎじゃないかという漠然とした不安があった。


 いつも飄々としているセンセイにしては、どこか表情が優れない───


 そしてその不安は的中することとなった。


「クロエよ、これはただのやまいではないぞ」


 センセイが重々しく口を開いた。


「これは《じゅ》ぞ。それもとびっきりに悪質なたぐいのな」



◯◯◯



「バカな! そんなはずはッ!」


 センセイの診断にクロエが声を荒げた。


「何故ないと言い切れる?」


「だって、呪いは、既に解呪してもらったんだ」


 もはやクロエは上手く言葉を発せていなかった。彼の喉がひくついているがわかった。


「なら、解呪出来てなかったんじゃろう」


「だって、解呪したって、解呪したって───」


 真実を告げられたクロエが頭を抑えて呻いた。


「誰に解呪を頼んだのかは知らん。けどよほどの実力者でないと、この《呪術式》は完全には解けんじゃろうな」


「私は、頭を下げて枢機卿の一人に、頼んだ。差し出せと求められたものは全て差し出した。確かに彼は『解呪できた』と言ったんだ」


「枢機卿と言えど所詮はいち人間じゃからな。神から与えられたもうた能力よりも、政治的な能力で組織をその地位へとのし上がった者もおろう」


「そんな───」


 クロエが言葉を失った。

 弟の不調が呪いであると告げられて以降、彼には語り尽くせないほどの献身があったのだろう。解呪した後もいっこうに弟の具合が良くならなかったことから、この症状は難病のそれではなく、解呪が上手くいかなかった結果なのではないかと、クロエ自身も心のどこかで気付いていたのだろう。


「解呪されるまで徐々にではあるが常に体力を奪い続ける《衰弱》、周期的に気怠さと微熱をを引き起こす《倦怠》と《発熱》、長い年月をかけて対象を死へと至らしめる《遅延毒》」


 センセイが読み上げるように述べた。


「呪術式の全容を疑われぬよう宿主を適度に回復させる《弱回復》、内包する術式の被認識明度を一刻一刻と変化させる《術式明滅》、これら全てを覆い隠す《隠蔽》、こやつらの一番下層には条件を揃えずにいずれかの術式が破壊された場合には宿主の体力や魔力を奪うことで破壊された術式の修復をなす《術式再生》まで隠されとる」


 その説明に詳細を理解出来なくてもヤバいことがわかった。

 クロエの顔を見た。血の気の引いた表情は、青白いを通り越して、もはや紙のように白くなっていた。


「お前さんの弟は計八つの《じゅ》を一つに内包した悪辣な《呪術式》を身に宿しておる。

呪重ねじゅかさね》は何度となく見てきたが、《八重やえじゅ》とはの───ここまで徹底した物は滅多に御目にかかれん。極め付けにこやつは一度に全てを破壊せぬ限り何度だって再生しおるように練りに練られて創られておる」


 俺やクロエが言葉を失っただけでなく、センセイの話が聞こえたであろう使用人の嗚咽すら途絶えた。

 凄惨とさえ言える内容に、場を沈黙が支配した。

 センセイはしばらく様子を伺い、説明を続けた。


「だから主が解呪を任せた枢機卿とやらも、少なくとも《弱回復》、《隠蔽》、《明滅》、《術式再生》の四つの《じゅ》を見抜けず、それどころか中途半端に解呪をやるだけやって、結果としてクロアの状態をより悪化させただけなんじゃろうよ」


「けど解呪後に、クロアは体調を戻したんだ」


 俺にわかったことがクロエにわからないはずがない。


「解呪に反応して《弱回復》の《じゅ》が働くようになっておる」


「だったら!! オーミさん、貴女なら、呪いをなんとか───」


「そうじゃな。我なら解呪出来る───」


「ならッッ!!」


「最後まで話を聞けい」


 動揺と焦燥がクロエを急かした。


「解呪は出来る。ただ解呪に伴う肉体と精神へのダメージはもはや避けられん。何せ八つも《呪》を重ねておるからの。あと、月の満ち欠け一つ分、いや、その半分早ければ、何とかなったんじゃが……このまま解呪してもぬしの弟の身体と精神はもたんじゃろう」


 そこで、センセイが俺へと『本当に大丈夫なんじゃろうな?』という顔を向けた。

 俺はセンセイへと『何とかなる』という意思を込めて、一つ頷いてみせた。

 難しい顔をしたセンセイの表情がようやく綻んだ。


「クロエよ───」


 センセイがクロエを安心させようと言葉を発したが、次の句を継げなかった。

 先に彼がポツリポツリと呟いたからだ。


「クロアはまだ、十七なんだ」


 うつむいたクロエの身体が震えていた。

 

「ここ数年は良くなったり悪くなったりを繰り返して、遊びらしい遊びもしたことがないんだ」

「大人になったら酒場で酒を飲もうって」

「オシャレをして、遊びにも行こうって」

「治ったら二人で海を見に行こうって約束したんだ」

「私の全てを渡してもいい」

「財産でも」

「命でも」

「だからクロアだけは」

「クロアだけは」


 クロエの瞳からつつと涙が伝った。


「どうして」

「どうして」「どうして」「どうして」「どうして私達だけ」「私達だけいつも」「いつも」「いつも」「もう十分に苦労はしてきた」「いつになれば幸せになれるの」「約束も」「何も」「幸福も」「ありふれた」「喜びも」「何も」「何も」「何も」「何も果たすことなく」「クロアは死ななくちゃならないの?」


 それは堪えきれずに溢れ落ちた感情の発露だった。

 彼は枯れるのではないかと心配してしまうほどに涙を流し、声をあげて泣いた。

 その悲壮な姿を前に、センセイやアノンすらも声を掛けあぐねたようだった。


 だから、それならばこそ、ここからは俺の役目なのだ。


「クロエさん。弟さんは助かるよ」


 俺は、彼に告げた。




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