第12話 灯火

◯◯◯



「ムコ殿、何をぼうっとしとるんじゃ」


 かつての迷宮探索に想いを馳せていた俺はセンセイの声で我に帰った。


「センセイ……」


「わかっておる」


 クランに足を踏み入れたときから、微かではあるがどこか退廃的な匂いを感じていた。

 クランマスターのいるという部屋に通されると、そいつはぐっと強くなった。


 部屋の中を進む。そこには、ベッドにせる少年と、その脇に置いた椅子に座る青年がいた。

 本来であれば端正な面持ちであろう青年は、疲労の色が濃く、もはや憔悴し切っていた。目の下のくっきりとしたくまが哀れを誘った。


 青年は何かを願うようにベッドの少年の手を両手で包み込み、握りしめていた。


 ベッドの少年を見やる。布団から見える顔は、元気な時は兄に似て端正なものであろうが、既に見る陰もないほどに頬の肉が削げ落ち、生気をまるで感じさせいむくろのようであった。

 そして「はぁはぁ」と荒い呼吸を繰り返す少年の額には、玉のような汗粒が浮かんでいた。


 年配の使用人が肩を震わせ「おいたわしや」とこぼした。

 抑えきれないように女性の使用人が嗚咽を漏らした。


 間違えても認めやしないだろうが、彼らにはもうわかっているのだ。


 少年の命は長くはないのだと。


 刻一刻と生命力の失われいく身体から発せられる匂い。

 そして兄を含めた周囲の人間の纏う沈んだ陰鬱な雰囲気。


 日本ではこのような感覚を、死臭が漂うと表した。

 死へと向かう人と、死を惜しむ人の惜哀。


 クランに漂う匂いの正体はまさに死臭であった。



○○○



 国内有数の大手クランとされる《旧都ビエネッタ》───クランマスターはクロエ・テゾーロという。

 また彼を支える副マスターは弟クロア・テゾーロであった。

 線が細く、ややもすると女性と見紛わんばかりの甘い美貌の兄弟は、高級貴族の子女達に絶大な人気を誇り、二人のファンクラブが存在するほどであった。また貴族からの依頼のみならず、一般的な依頼をも進んで消化させる彼らクランのトップということで、彼らは市井しせいでも大人気であった。

 

 彼らの出自は不明であるが、その洗練された物腰や所作から元々はどこかの貴族であったのではとも囁かれている。


 今ではよわい二十代後半である兄のクロエは、弱冠十四の頃から、病弱で幼い弟クロアの面倒を見ながら、探索者としてデビューしたとされる。


 今でこそ大手クランのマスターである彼も、探索者になった当時は苦労した。けれど貧しさや病弱な弟の面倒といった障害に負けずに、メキメキと頭角を現したのだった。


 やがて彼はパーティのリーダーとなり、Sランク探索者へと登り詰めた。しかし彼はそれに満足することなく、パーティメンバーを支え努力を続けた。そうしてパーティとそのメンバー共々、名実共にSランクへと到達した。


 その頃になると界隈にクロエ・テゾーロの名を知らぬ者はいなかった。

 弟のクロアも錬金術師として才能を発揮し、確かな実績を残し、兄であるクロエを支えた。

 こうして二人の名声は確かな物となった。


 次第に、面倒見が良く周囲に慕われていたクロエは、自らを慕い集まった探索者としてあぶれた少年少女を集め、多くのパーティを組ませた。


 一般的な探索者にクロエの最も優れた所を尋ねたならば、戦闘能力はもちろんであるが、それ以上に、人を見る目があることや、人の才能を見抜き適材適所に扱う能力を挙げるだろう。

 要するにクロエにはたぐまれな先見の明があったのだ。


 クロエが少年少女を指導し、組ませたパーティはそのいづれもが短期間で有名なパーティへと成長を遂げた。


 やがて彼を慕う複数の有名パーティから推される形で、クラン《旧都ビエネッタ》は誕生することとなった。そしてクロエはマスターに、弟のクロアは副マスターに就任したのだった。



○○○



「アノン、また来たのか? 何度来たって無駄だ。私はクロアの側にいなければならないんだ」


「そんなに無下にしないでくれたまえよ、クロエ」


 二人のやりとりは知己の者同士のそれであった。


「どうせ、封印領域の件で、クランからメンバーを派遣してくれって話だろ? 残念だが、私を含めたクランメンバーはみな忙しい」


 取りつく島もないとはこういうときに使うのか。


「忙しい、ねぇ。調べはついてるんだよ。《旧都ビエネッタ》所属の六つのパーティは封印領域での戦いに間に合う距離にいるはずさ」


 アノンの追及に、クロエが舌打ちした。


「私はお前のそういうところが嫌いだ。君の言う六つのパーティなんだけどね、彼らにはクロアを救う手立てを探してもらってる。だから彼らは戦いにはいけない」


 クロエのにべもない拒否に、先程までの意識朦朧としていた弟のクロアが微かに目を開けた。彼は力を振り絞ったように声を発した。


「お兄さま、彼らを手伝って、あげて、ください。

 私達は、私達のクランは、これまで、困った人がいたら手を差し伸べてきました。そのために、私達はやってきたはずです」


 そうでしょう? と兄のクロエに何とか作った笑顔を見せた。そして再び意識を失った。


「キミは諦めてないんだね?」


 その問いは礼を失したものに聞こえた。

 けれどアノンが単に煽るような人間でないことを俺は知っている。


「ッッ!! あッ───あたりまえだ!!」


「なら」


 怒声を上げたクロエにアノンは静かに問うた。


「なら、なぜキミはここにいるんだい?」


 心の深奥をつく質問だった。


「それは」


 彼はそれっきり黙り込み、両手で顔を覆った。

 部屋に彼の声にならぬ声が響いた。


 俺にはクロエの気持ちが痛いほどわかった。

 彼は動けないのだ。

 人間は相反する感情で胸がいっぱいになったときどうにも動けなくなるのだ。

 ある意味では彼は弟が助かる可能性を、その手段がもたらされることを、信じている。けれど別の意味では彼は弟の最後に立ち会うためにここにいるのかもしれなかった。


「クロエ、申し訳ない。言葉が過ぎた。ワタシはキミが諦めていないことを確かめたかったんだ」


「君は、何を言いたいんだ……」


 クロエは目元を拭いアノンへと尋ねた。


「ワタシはクロアを助ける手立てを持ってきた」


 だから、と続け、


「ワタシと、そして彼らを信じて欲しい」


 アノンは頭を下げ、哀願したのだった。


 

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