第6話 スティンガー

○○○



 翌朝目を覚ますと、視界いっぱいにセナがいた。

 彼女に抱きしめられたまま寝落ちしたのか、彼女の腕の中にすっぽりとはまるような体勢だった。


「───うぅん」


 焦った俺が彼女の腕から出ようとしたからか、寝ているセナがどこか艶のある声を出した。

 起こしたら悪いなと思い直し、彼女が眼を覚ますまでじっとしていたら、しばらくするとおもむろに彼女が眼を覚ました。

 彼女は眠気眼ねむけまなこをくしくしと擦りながら、


「イチロー?」


 開口一番に俺の名前を呼んだ。


「おう、俺だよ。ここにいるよ」


 セナはどことなく少しまなじりを下げて、


「おはよ」と言った。


 セナと顔を合わせることに多少の気恥ずかしさを覚えたが、彼女の自然な対応に感謝しつつ、


「おはよう」と俺も返した。


「うん、わたしお腹空いたわ」


 セナから頂戴したのは唐突な空腹宣言だった。


「起きてすぐにそれかい」


 まあ、俺が変に意識しないように普段通りの態度を取っているのだろう。


「ほら、早く朝ごはんの支度に取り掛かりなさい」


 ほらほらと俺に料理に取り掛かるように促す彼女を見てると、俺に気遣ってるというよりも、やっぱり本当にお腹が空いてるのだろうと思い直した。


「任せとけ。マジックバッグに卵もあるしオムライスでも作るわ」


「オムライス……イチローよく分かってるわ。わたしは大盛にしてね」


 彼女に感謝の念しかない。

 大盛程度で少しでも恩を返せるなら。


「あいよ、顔洗って歯を磨いてからな」


 こうやってまた一日が始まるのだ。



○○○



「イチロー、合格」


「ふう」


 站樁たんとう時の呼吸から、通常の呼吸に切り替える。

 地面には水溜まりが出来ていた。もちろん全部俺の汗。

 低く降ろしていた腰を上げ、セナから渡された布で汗を拭った。


「修行は想定より順調に進んでるわ」


 修行を始めてからそれなりに時間は経過していたけど、成果としてはまずまずのようだった。


 まずは体内の《気》を感知出来るようになる工程。

 次いで、感知した《気》を体内で自由に移動させる工程。

 俺はこの二つをクリアしていた。


「わたしの教え方が良いからね」


 教え方が良い、確かにそれも間違いでないとは思う。

 けれど、教え方以前に彼女はそのルックスからは想像出来ないほどスパルタだった。

 彼女は『大丈夫、死にはしない』『弱音を吐いたところがスタートライン。あと三時間はそのままで』などのセリフと共に俺に非常に厳しい訓練を課した。


 ちなみに、上記のセリフは一日ぶっ続けで站樁たんとうを続けた後に聞いたセリフだ。

 さらに言うなら、彼女の『あと三時間』というセリフは全然『あと三時間』ではなかった。三時間後に同じセリフをもう一度告げられるのだ。


 などと彼女との地獄に思いを馳せていると、


「何?」


 セナが眼を細めた。


「いやいやいや! 何でもないよ! ほんと! 何でもない!」


 こいつ俺の心読んでんじゃね?と思う場面は多々あったが、もし本当に心を読まれているなら死ななければいけない(自分がサトラレなら絶対に死ぬと考えたことある人もいると思う)ので、それについては考えないようにしている。


「まあいいわ、付いてきて」と彼女は俺に背を向け、小屋から少し行ったとこにある、荒れ地へと進んだ。


 どういう理屈でそれが出来たのか俺にはわからないが、セナの誘導したそこは岩肌でゴロゴロとデカイ岩が転がっていた。

 セナはようやく目当ての場所に辿り着いたのか、中でも一際ひときわ大きな岩の前に来るよう、俺に手招きした。


「わたしはこの岩の後ろに隠れる」


 彼女の発言は割と説明が足りないことが多い。


「この岩であれば、修行の次の工程がどんなものであるかはっきりと理解させられると思うの」


 半球状で、それでも高さが三メートルはあろう岩は、後ろにいけば彼女の姿をすっぽりと覆い隠してしまうだろう。重量で言ってみても、俺が担げないと言う程ではないけれど、常識の範疇で考えるとトンでもないものになるだろう。


「俺は何をすればいいんだ?」


「大丈夫。説明は今からする。いつも採取に行ってる森林地帯の入り口に、ちょうど今天使狼エンジェルウルフの群れがいる。アイツらは警戒心が強いからわたしが出ると逃げてしまう」


 なぜそんなことが分かるのか、とは聞かない。

 セナだからだろう。俺の探知能力すら遥かに上回るのがセナだ。


「イチローは今からそこに行って。一匹だけ、ここに釣ってきて欲しい。ちょうど、この位置に」


 そう指示して、彼女は一ヶ所指を指した。


「ここに一匹だけ連れて来たらいいんだな?」


「そうね。わたしはちょうどこの反対側の岩の後ろで待ってる。だからイチロー、早く行ってきてちょうだい」


 彼女に急かされるように俺はその場を飛び出した。



○○○



 いや、別に無理とは言わねぇ。

 けど中々に骨の折れるミッションだとは思うわけよ。


 セナの言うとおりに森林地帯の入り口付近にそいつらはいた。

 天使狼エンジェルウルフ───名前の由来は出会った人間を葬り去って天国に連れていくというエピソードと、鳥類のような羽が付いていてることからと言われていた。


 しかも名前と違って全然穏やかじゃない。天使狼は素早い身のこなしで空を飛んで攻撃してくるのだ。

 さらに狼と言うだけあって、一般的に群れで行動する。

 例に漏れず今回は五匹。


「あああ! クッソ! 面倒臭い!」


 などとぼやいて、ビュンビュン空を駆けて俺に牙を向けてくるそいつらを素手・・で、魔力・・スキルを使わず・・・・・・・に仕留めていく。


 残りが二匹になったところで、その内の一匹が「ガアアアアアアア!」などと吠えて、口からビーム(?)を放った。

 俺は地を転がり、避け、一気にダッシュし俺に近い方の天使狼に肉薄した。

「グワギャァー!」などとと叫びながら向けてくる牙を避け、返す刀で羽を掴んで、そのまま両足で上空へと蹴り上げた。羽はぶちぶちと千切れその体躯は遥か向こうへと姿を消した。


 ようやく残り一匹となったところで、俺は天使狼に背を向けて逃げ出した。



○○○



 付いてきてるか後ろを確認しつつ、目の前の一際大きな岩を確認する。


「連れてきたぞ!」


 俺が知らせると、


「分かってる」と岩の後ろに隠れたセナは返した。


 大岩を挟んだセナの逆側こそが彼女の指定した誘導ポイントであった。

 ちょうどそこを天使狼が通過しようとした、その瞬間───セナの《気》が高まり放たれたのを感じた。


 やがて天使狼は「ウオオオオオン」と奇声を発し、痙攣を起こし、やがて血反吐を吐き絶命した。

 かつてセナが猪(仮)を一撃で屠ったときを思い起こさせたが、今回はセナは触れてすらいなかった。


 セナが岩影からてくてくと姿を表した。

 岩の上で羽を休めていた蝶が我関せずと空へと旅立った。


「わたしにこれを教えてくれた人は貫通拳スティンガーと呼んでいた」


 そうだ、セナの《気》が岩を通過して、天使狼に着弾したんだ。けれどそれだけじゃ───


「そう、その通り。よく分かったわね。貫通して辿り着いた《気》は対象の内部へと浸透し、振動し、破壊の限りを尽くし、その生命機能を停止させる」


 ぶるりと身体が震えるのを感じた。

 セナはスキルも魔力も、一切使わなかった。

 今のは一つの極致なのだ。


 この力を、俺も使いこなせるようになりたい。

 決意する俺の様子を見て、セナは「むふー」と得意気に息を吐いた。


「大丈夫。イチローの考えはわかる。明日からは一層頑張りましょう」


 やっべー!

 彼女の宣言に俺はその場から走って逃げ出した。



○○○



 すぐに捕まったことは、述べるまでもない。

 けれど全く別の案件でちょうど問題が発生した。

 それは切実な問題であり差し迫った問題でもあった。


 なんと、俺のマジックバッグにあった、調味料やちょっとした食材のほとんどを使い切ってしまったのだ。


「おかしいなぁ。マジックバッグいっぱいにあったはずなんだけどなぁ」と呟いて、チラリとセナを見ると、さっと彼女は目を逸らした。


 とは言え、買い出しは必然だった。

 セナの食べる量に関わらず、いつかは行く必要があった。


 俺は買い出しが必要になったことがきっかけで、もう一度、下界に降りることになったのだった。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る