第5話 アップルパイ

○○○



 俺とセナの生活は慎ましやかではあるが、中々に退屈のしないものであった。

 晴れの日は一日中二人で鍛練を積んだり、食料が心許無いときは狩りをしたり、山菜などの森の恵みを頂戴したり(これは完全にセナ頼み)と、なんだかんだ暇だと思ったことはなかった。


 だからと言って来る日も来る日も忙しかったかと言うと、別にそんなことはない。

 俺がその日は休日にしようと提案すると、セナも大体は了承し、日がな二人で惰眠をむさぼったりもしたし、読書(過去にセナのセンセイとやらが置いていったもの)で一日を費やしたこともままあったりする。


 雨が降って仕方なく小屋に籠るときは、読書のみならず、二人で長い時間他愛たあいない話に花を咲かせたりもした。


 こうして俺にとって穏やかとも言える時間は過ぎていった。



○○○



 訓練に関してもつつがなく進んだ。

 セナ曰く、「イチローは中々に筋がいい」だそうだ。

 彼女の言うとおりに鍛練を積むと、自身の内に魔力とは違う何らかの力の存在を感じるようになった。

 この力を体内で自由に動かせるようになるのが、現段階の目標だったりする。


「大丈夫。焦らなくとも」


「焦ってないぜ。時間はいくらでもあるからな」


「もっと焦った方がいいわ」


 どっちやねん!

 というわけで、彼女との訓練は中々に順調だった。



○○○



 ここで彼女───セナについて語っておきたいことがある。

 彼女は実のところ全く食事を必要としないのだった。

 何でも自然に存在するエネルギーを大気中から吸収しているのだとか。


 そんな訳だから食事は俺一人で───とはならなかった。

 セナに食事の必要がないからといって、セナが食事をしないということにはならなかった。


 ちょうど今、俺とセナの目の前には二人で摘んだ山菜や、狩りで得た肉なんかを軽く調理したものがあった。


「美味しいわね」


「それは良かった」


 食事を作るのは俺の日課となった。

 塩や砂糖に胡椒こしょうといった調味料のたぐいや調理器具なんかは、俺のマジックバッグにあったものを使っていた。

 もちろん肉の血抜きなどの処理は俺にはわからないので、セナさんに大体は任せることとなった。けど任せるばかりじゃなくて、教えてもらいながら、俺一人でも徐々に出来るようになりたいと思う。


「セナはご飯食べなくても大丈夫なんだよな?」


「そうね」


「ならよ、これちょっと食べ過ぎじゃ……」


 皿にてんこ盛りに焼いた肉がもう無くなっていた。

 二人で食べても十分に足りると思ったのに……。


「俺、ちょっとしか食べてないんだけど……」


「イチローとわたし。ちょうど半分ずつ食べたわ」


「二人しかいないのにその嘘はムリがあるぜ」


 セナは触れたら折れそうなくらいにめちゃくちゃ華奢で、雪のように触れると消えてしまいそうなほどに肌が白い。

 なので薄幸の令嬢のように、スプーン一杯のスープを口にしただけで「もうお腹いっぱいですわ」などと言いそうな見目をしている。

 けれど実際は食べることが大好きな健啖家であった。


「わたし嘘は吐かない」


 神々しい光(物理)を放ちながら『わたし嘘は吐かない(大嘘)』だもんこれ。


「だからまだ食べたりないの。イチローには甘味を所望する」


 驚いたことにさらなる食べ物を御所望だという。


 けど、セナがめちゃくちゃ食べるのは別に今回に限ったことではなかった。以前食後にデザート代わりにクッキーを焼いたときは目を爛々と輝かせていた。

 それ以降、彼女には食後のデザートとして何らか一品付けるように工夫することにしていた。


「あいよ、パイがもうちょっとしたら焼けるよ」


 木の実のジャムパイをちょうど今、小型の組立式の簡易釜で焼いていた。

 パイの中身は、少し前にセナと取った木の実と大量の砂糖とを一緒に煮詰めてジャムにしたものだった。

 

「リンゴがあれば、アップルパイが作れるんだけどなぁ」


 アップルパイはこっちの世界に来てから何度も作ったお菓子だ。もはや俺の得意料理と言ってもいいだろう。


「アップルパイ……」


 セナがごくりと喉をならした。


「単純にラム酒とシナモン加えるだけでそれなりに売り物に近いレベルになるんよ」


「イチロー、わたしはアップルパイを所望する」


「似た果物があったら作ってやるよ。材料はまだ少し残ってるし」


「約束よ」


 彼女は小指を差し出した。


「ああ、約束」


 俺はセナの小指に自分の小指を結んだ。

 その情景はいつかのそれとどこか似ていて。

 彼女・・との約束を思い出し、胸がきしんだ。




○○○







 この日、夢を見た。

 アップルパイなんぞの話をしたからか。

 

 かつてミカと一緒に生活していたときに、彼女がアップルパイが好きだと言うので、いつでも食べられるようにと組み立て式の簡易型の釜をマジックバッグに入れておいた。


 今よりも戦闘や迷宮探索の経験が乏しかったころ、《鏡の迷宮》を踏破した後も、俺はミカと共に背中を預けあって、迷宮巡りの旅を続けるものだとばかり思っていたのだ。


 けれどそうはならなかった。彼女は《鏡の迷宮》を踏破するや否や竜宮院の専属聖女となることを宣言したからだ。


 そして新たに加わったアンジェも竜宮院の元に行き、再び俺は一人になった───その後の夢だった。



 ミカやアンジェは竜宮院と共に行動するようになり、俺は一人で行動することになったので、彼女達と日常生活で顔を合わす機会はほとんどなくなっていた。

 それどころか迷宮探索時ですら、彼女達と声を交わす機会はほとんどないという有り様ありさまだった。


 けれど別に敵になったわけじゃない。というかそもそも、迷宮探索を共にする仲間じゃないか。だから俺は差し入れに以前した約束を果たすべく、ミカの好きなアップルパイを持っていったことが───




 ああ、これ以上は、ダメだ。



 場面がより鮮明なものになる。



 宿にパイを持っていった俺。

 目の前には竜宮院とミカが。


『僕甘いもの好きじゃないんだよね』


 ───俺はお前に持ってきたんじゃない!


『ええ、勇者様。実は私も甘いものがそれほど得意ではないのです』


 ───嘘だ!だって、


『まあ、持ってきてもらったもんは仕方ない。一枚いただこうか』


 竜宮院はおもむろに一口齧り、『ぺっ』と吐き出した。


『甘過ぎるよ。甘ったるいと言い換えてもいい。そもそも僕リンゴが好きじゃないんだよ。リンゴよりは梨の方がみずみずしくて好きなんだ。それにシナモンも嫌いなんだ。あんなの何が良いのかな?何かほら、シナモンって木の匂いがするよね。そんなものをありがたがって使っちゃってるんだから、お笑い草だ。全く、こんなもの食えたもんじゃないよ。変な病気になりそうだ。病気になったら山田、お前が責任取れよ』


『愚か者!! 勇者様に何て物をお出ししたのですか!!』


 血相を変えてミカは声を荒げた。

 見たことのない形相ぎょうそうだった。


 ───違う、俺は!


『持って帰りなさい!!』


 彼女はバシンと、俺の手を打った。

 からんからんと、器が音をたてた。

 アップルパイが床にぶちまけられた。

 俺に悪意などあろうわけもなかった。

 床を片付けているとじわりと視界が滲んだ。


『そうか、悪かったな』


 そう返答するだけで精一杯だった。

 何もかもが惨めだった。だからこそせめて。

 表情だけは絶対に見られないように彼らに背を向けて部屋を出た。







○○○





「イチロー、大丈夫?」


 思い出したくなかった。だから考えないようにしてた。

 生活のふとした場面で彼女達を思い出す。

 発作のようなものだった。


「ああ、泣かないでイチロー」


 この気持ちはいつになれば消えるのか。

 

「泣かないで、泣かないで」


 俺を胸に抱きしめたセナの体温を感じた。

 再び眠りに着くまでどうしても嗚咽を抑えることが出来なかった。


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