第4話 強さとスキル

○○○



 朝、目覚めると隣にセナはいなかった。

 小屋を出ると、まずは頬を掠める微かな風を感じた。

 夜の闇が開け、空が白み始める時間。

 どことなくいつもと違う空気を身体いっぱいに感じながら歩を進めた。


 いつもの二人の散歩コース。その最中の草原に彼女はいた。


 風に流れるように、身を任せるように、彼女は───セナは舞っていた。


 その身から光の粒子を放ち。

 くるくると、身体を広げて揺蕩い、くるくると、身体を極限まで傾げて身を翻し。

 くるりくるりと、その場から跳躍し、ふわりと軽く地に降り立ち、彼女はまるで重力を感じさせず、舞を続けた。


 日本で以前に見た『神楽舞』というものがある。

 少し似ているかと思ったが、彼女の動きはそれ以上に激しく、動的で、流線的であった。重力から解き放たれたかのような彼女の動きは同時に荒々しさをも内包していた。


 彼女の舞を目にした俺は言葉を失い、時の経過すら忘れて見惚れていた。

 いかほどの時間がたったのか、自分を見つめる俺に気付いたのか、舞をやめた彼女から声をかけられた。


「どうだった……?」


 あまり感情を面に出さない彼女は俺に尋ねた。


「言葉に出来ないけど、すごかった」


 語彙力が溶けたとも言う。


「神様への感謝をカタチにしているの」


「神様への感謝?」


「そう、神への感謝。いつもわたし達へのお恵みをありがとうございますって」


 彼女は神々しいまでに、粒子を放ち、俺へと告げた。


「同時にこれは神を鎮めるための儀式」


「儀式?」


「そう、魔に染まった神がこれ以上気色けしきばむことがないように」


 魔に染まった神。

 そのフレーズは俺の背筋をぞわっとさせた。


「そしてこれは、そんな魔に染まった神へと抗うための武術の鍛練でもある」


 そう答えたセナの瞳は、抗う者の瞳だった。

 俺と似ている、そう思ったのは単なる自惚れではないはずだ。



○○○



 リハビリの開始を提案すると、セナが喜んで(?)申し出を受けた。


「わたしに任せて」


「すまんセナ、恩に着る」


「タイタニック号に乗ったつもりでわたしに任せて」


「ちょっと待ってくれ。俺、これまで感じたことのないくらい不吉さを感じてるんだけど」


「間違えたマリーセレスト号だった」


「乗客全滅してるんですけど……」


 不安しかなかった。



○○○



 さて站樁たんとうという中華拳法の鍛練方法がある。

 少し腰を落とし、呼吸に意識を向け、身体の神経から隅々にまで気を巡らす訓練方法だとか。

 何を言ってるかわからねぇかもしれないけど、俺にもわからねぇ。詳しい説明や間違いについては勘弁してくれ。


 なぜこのような説明を始めたかというと、実際に自分がすることとなったからだ。


「腰をもう少し下ろして」


 先ほど彼女が舞を踊った草原で、今度は俺のリハビリがてら訓練が始まった。


「そう。お腹に意識を向けて。そう。大事なのは呼吸」


 彼女の訓練は謎の訓練でもあった。


「お腹から、腰、足に。お腹から胸、頭、両手に。自らの内で練った気を意識して、身体全体に行き渡らせる」


「ごめん気って何?」


「気は気」


「だから気って何なの?」


「だから気は気よ」


 度重なる俺の質問(当たり前だよなぁ)にセナは溜め息を一つ吐いて、


「イチロー、あなたやる気ないの?」とゾッとするほど低い声を出した。


「わたしから教わるの、嫌なの?」


「いいえ、セナさんから教わりたいです! 気を教わりたいです! 引き続きリハビリを手伝って欲しいです!」


 これ以外に言える言葉があったろうか。

 俺のスーパーイエスマン気質炸裂したのだった。


「そう、ならいいの」


 彼女がいつもの表情(感情の少し希薄な感じの)に戻ったことに、少しほっとしつつも、彼女の機嫌を損ねぬように、彼女の言うままに鍛練を積んだ。

 終わったのは、地面に俺の汗で水溜まりが出来た頃であった。

 うーん、なんという地獄。



○○○



「ところで、この訓練を積んだことで、ちゃんとしたリハビリにはなるの?」


 至極当然の疑問だ。

 せっかく鍛練を積んでいても、リハビリに寄与しないのならば無意味とすら言える。


「うん?」


 何を当たり前のことを言ってんだとばかりに可愛らしく小首を傾げた。すこし小動物じみた仕草が可愛かった。


「うん、当然。この鍛練を積めば以前の身体能力に戻る」


 それだけじゃなくてね、とセナは続け、


「向こうに猪がいるわね。少し見てなさい」


 と俺に、指示を出した。

 向こうの猪……何あれええええええ!?

 何でいきなりこんなもんがでてくるんだよおおお!


 猪ったって、猪ってレベルじゃねぇぞ!

 あれなに?! 乙事主おっことぬし様なの?! 米軍の一部隊を全滅させてもお釣りがくるぐらいのデカさじゃん!? チョコモナカジャンボじゃん!(錯乱)


 セナは、光の粒子を放ちながら、ひらりひらりと舞うように猪(仮)に歩を寄せると、ついには正面から相対した。

 比較するのも野暮なほどの重量差だった。

 比べる対象は動物とかじゃなくて、ビルとかマンションくらいの大きさと言えば少しは想像出来るだろうか。なにはともあれ、どうやってか猪(仮)のフットスタンプを掻い潜り彼女はその大きな足へと軽く手を触れた。


「破ッ!」


 気合い一閃とはまさにこのことか。

 猪(仮)は不自然な振動を起こし、その動きを停止した。

 さらに間を置かず、巨体は崩れ落ちずずんと地を揺らしたのであった。

 すでに猪(仮)は肉の塊と化し、そこから生命を感じることは出来なかった。


「これくらい朝飯前」


 ヒェッ!?

 何これ!? 北斗神拳なの!?

 無駄にビビった俺の反応が気に入らなかったのかもしれない。


「別にやらなくてもいい」


 そうは、思ってないだろう表情で、


「ただ、今のあなたの強さはスキルにただ乗りしてるだけ」


 どこか煽るように、彼女は続けた。


「それは悲しい勘違いの上に成り立った、空虚な強さ」


 心当たりはある。いや、心当たりしかないまである。


「別にやらなくてもいい」


 セナはもう一度繰り返し、


「今のまま、弱いままでいいのなら」


 ここまで言われて引き下がれる男が、いやおとこがいるだろうか?

 俺は彼女に挑むように、己を鼓舞するように力いっぱい叫んだ。


「できらぁぁぁぁー!!」


 なぜその叫びを選んだのかは今も謎のままだ。





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