第2話 アルカナ王国姫殿下①
○○○
竜宮院王子という男について、ここで少しだけ触れておこうと思う。
率直に言えば彼はイケメンであり愚か者だ。
それに寝言で「ママぁ」とこぼすくらいにはマザコンであるし、未成年の高校生とは言え彼はとんでもない甘ったれだ。
日本にいる間はそれでも問題なかったのだろうが、異世界召喚された今、彼のその性格はとんでもないデメリットとなっていた。
まず「世界を救う!」などと大言を吐いたものの彼は一切、訓練をしなかった。
正しくは初日の訓練を俺と一緒に受けてから、それ以降一度たりとも訓練場に顔を出さなくなった。
要するに竜宮院は自分自身が何よりも一番大事で、努力と我慢を知らない人間だった。
○○○
一日目の訓練を終え、それから数日間竜宮院の顔を見なかった。
戦闘の訓練をつけてくれている団長に尋ねると、
「彼は具合が悪いそうだ。まぁ、馴れない土地に来たから仕方ない面もあるよねぇ」と答えた。
それから数日後、王城ですれちがった竜宮院を呼び止めた。
「久しぶりだな竜宮院。体調はどうだ?」
「体調……? あ、ああゴホゴホ。寒気が止まらないんだ。咳も止まらないし、熱もあるんだ」
「どんなもんか見てやるよ」
竜宮院は純粋な心配から伸ばした俺の手を
「触るな! 疑ってるのか?! 僕は勇者だぞ!」
彼は見たことのない形相で叫んだ。
「い、いやすまんかったな。そんなに怒るなよ」
目を剥いて怒る竜宮院に俺は一歩たじろいだ。
「分かれば良いんだ。君は修行だか訓練だか知らないけど、頑張って僕の──勇者のステージへおいでよ。僕はそんな汗臭いことよりも他にしなければならないことがあるからさ」
そう言って彼は、どう見ても軽い足取りでその場を離れた。
反面俺の足取りは非常に重かった。
俺は自分の具合が悪いなどと弱音は吐かないようにしていた。
けれど、それは言わないだけで、心身ともに疲労を感じ始めていた。
まだたった数日ではあるが、見知らぬ土地に連れてこられ、ひたすらハードな訓練を積んでいたのだ。当たり前のことだろう。
○○○
たった一ヶ月では何をするにしろ時間が全然足りなかった。
足りないのならどこからか時間を捻出しなければならないという話になる。
どこから? と言ったところで減らせとこなぞ一つしかなかった。
答えは、睡眠時間。
単純に一日の活動時間を増やすことで埋め合わせすればよい。
死ぬわ! バカヤロー! と叫んだところで『今訓練をして死ぬか』、『訓練をせずに迷宮に突入して死ぬか』の究極の二択が俺の目の前に提示されただけだった。
向こうもこんな常識はずれな訓練、何も嫌がらせでやっているわけではないのだ。
何せ限られた時間しかないのだ。
当然訓練の質を極限まで高めないといけない。
だから俺はボロ雑巾のような何度倒れても、必死に息を整えて、挫けそうな自分を「これは生き残るため」だと叱咤激励したのだった。
これは訓練中の話だ。
俺の動きに疲れが見えたからだろう───訓練場に待機してる聖女をはじめとした回復係が俺を取り囲んだ。
俺が倒れたら
端的に言って地獄だわコレ!
「まだまだやれるぞ!!」
なおも虚勢を張って起き上がり、訓練の続きを促す俺は、団長のみならず騎士団の精鋭達から追加でさらなる量の訓練を課された。
素振りなどの基礎訓練ははもちろんのこと、実践形式の練習ではボッコボコのフルボッコだドンされることも日常茶飯事だった。
そんな密度の濃い訓練の時間は、一日十五時間以上にも及ぼうとしていた。
再び疲れて動けずにその場で『大の字』になる俺。
見下ろす様に誰かが側に来た。
逆光で顔が見えなかった。
「眠くても
俺はロボットじゃねぇぞ。
誰がそんなトンチキなこと言ってやがんだ。
ようやく認識できたその人物は聖女様であり───彼女は表情一つ変えないロボットのようだった。
○○○
結果、
毎日二時間ほどしか眠らずに、頑張った。
頑張った(涙)。
なぜ異世界なのに二十四時間制なのかとか、なぜ地球と時間感覚が同じなのかとかそんな疑問は知らない。
俺は専門家じゃないからね。
そんなことより一日二十四時間から十五時間の訓練時間を除いても、まだまだ余裕あるじゃんというそこのお前。今謝れば許してもいい。
俺は決められた一ヶ月という短い間で、戦闘の訓練のみならず、この世界の一般常識をはじめとした勉強もこなさなければいけなかった。そいつに掛かる時間を足してやりゃ、あら不思議。
一日合計二十二時間。
古代ギリシアのスパルタの人々も「いや俺らここまでやれとは言うてませんねん」と顔を青くするレベルだった。
竜宮院はさすがに勉強くらいはしただろうって?
いーや、そいつは竜宮院を甘く見過ぎだ。
もちろん竜宮院は勉強もしなかった。
そう言えば、竜宮院と廊下ですれ違うことがあった。
そのときに「勉強くらいした方がいいんじゃないか?」と訊ねた俺に、竜宮院はこう述べた。
「勉強? そんなもの日本に戻ったとき何の役にも立たないじゃないか。君も物好きだね。それに、もしわからないことがあれば誰かに聞けばいいじゃないか?」
それに対して俺は待ったを掛けた。
「けどよ、結局最終的に信じられるのは日本から来た俺達だけじゃないか?」
「君が僕を信じるのは結構。だって勇者だからね。けど僕は君を信じない。だって君は勇者じゃないから」
ふふん、まあ頑張ってくれよと告げ、彼はどこかへ去っていった。
その場に残された俺は、無駄にもやもやを抱えて図書館へと向かった。
数え挙げれば数え切れないほどの、竜宮院の甘ったれでクズなエピソードがあるものの、このときの俺は急に異世界召喚だなんていう、
けれど、これは俺の甘えでもあった。
厳しく問い詰めて仲違いすることを避けたのだ。
ここで、厳しく接して、訓練も勉強もせずに何をしているのかと問い詰めていたら、これから始まる俺の旅も少しは違うものになったのかもしれない。
○○○
次はアルカナ王国の姫殿下について述べたい。
召喚されたときに姫はいなかった。
「自分達の世界は自分達で何とかしなければなりません」とは彼女の言い分だ。
姫は俺達の召喚に対して反対派だったのだ。
反対派だったからと言って、召喚された俺達に冷たかったかと言えばそのようなことは全くなかった。
それどころか、俺は彼女と毎日のように図書館で会っていた。
俺が勉強しているときに調べ物にやってきた彼女が話しかけてきたことがきっかけだった。
出会いは偶然だったけど、お互いに何故かウマがあったのだ。
○○○
「ヤマダ様は毎日とても頑張ってますわね」
国政に関する数多の資料を置き、俺の対面に座ったのはアルカナ王国の姫殿下──パフィ姫様だった。
「姫様こそ、毎日頑張っておられるではないですか?」
俺が答えると、
「ヤマダ様、何度も言ってますように、私のことは姫様ではなく、パフィとお呼びください」
パフィ姫様は柔らかくはにかんだ。
俺は彼女の笑顔にドキッとした。
「ヤマダ様、たまにはゆっくりとお休みくださいね」
彼女は俺にいつも優しげな言葉をくれた。
彼女はアルカナ王国の時期女王陛下と目され、常に努力を怠らず人を思いやることの出来る人だった。
日本にいるときは、自分の側に女性がいてドキドキすることなんてほとんどなかった。
けれど、俺は目の前に座り、書物に目を通すべく顔を伏せる彼女の───その顔を見ていると平常心を保つことが困難に感じられた。
彼女──パフィ姫様は俺の二つ年下で、目も眩むような美少女だった。
すっと通った鼻梁に少したれ目気味の柔らかい眼。
彼女の白い肌は染み一つなく白磁にも例えられた程だ。
彼女の代名詞とも言われるブロンドヘアに至っては、
またパフィ姫様の美しさたるや、さる高位貴族達の間では、彼女の髪の毛一本が白金貨で取引されているのだと、まことしやかに噂されているほどであった。
さらにパフィ姫の美しさは国内だけに留まらなかった。
公の場に数回顔を出した以降、諸外国からは《アルカナの黄金》だと呼ばれていた。
○○○
彼女と俺が一緒にいるのは、ほとんど図書室での勉強時間に限られた。
じゃあ勉強ばかりしてたのかと聞かれると、そんなことはなかった。
ふぅとパフィ姫様が一息吐いたことに気付いた俺が、彼女目を向けると、彼女から「少しお話しません?」と誘われ、おしゃべりに興じたことも少なくはなかった。
ちなみに俺からおしゃべりに誘うこともままあった。
これはある時の話だ。
パフィ姫が日本での寓話なんかをせがんでくるので、お話したことがあった。
「『ああ、見られてしまったのですね。掟により貴方とはもうこれ以上一緒にいることは叶いません』鶴は若者に告げて、空の向こうへと旅立ってしまいました。若者は何故見てしまったのかと一生を悔やみながら、僧になって暮らしましたとさ、めでたしめでたし」
「『めでたしめでたし』じゃありません!何て悲しいお話なんですか!」
「え、うそん! 泣いてるの?」
「な、泣いてません!」
ややもすると、その美しさから気取ってるなどど陰口を叩かれることもあった彼女であったか、その実は非常に涙もろく、情に厚い少女だった。
またこれはある時の話だ。
これはパフィ姫から地球の話をせがまれた際に、飛行機について話したときだった。
「それは素晴らしいですわね。私もヤマダ様の世界に行ってみたいですわ。空を飛ぶヒコウキ。なんということでしょうか。
世界中をそれほどの短時間で回れるだなんて。
ああ、それこそが本当の自由ではありませんか?」
彼女があまりにも羨ましがるので疑問に思って尋ねた。
「こちらの世界には長距離を短時間で移動する手段はないのですか?」
俺の質問に、パフィ姫はどこか影のある表情を見せた。
「こちらでは、船に防御魔法を掛けて、風魔法と水魔法の術師を何人も乗せて、彼等に代わる代わる操作させるのです。もちろん時間も大きく掛かります」
「いやいや、俺達も日本から出ることほとんどないですよ。そもそも俺も飛行機に乗ったことないし」
謙遜ではなく俺の歳で飛行機に乗った経験がある人は、それほど多くはないはずだ。
「あら、それは余りにももったいないですわね。私がヤマダ様の国におりましたら、絶対に飛行機に乗っておりますわ───そうしたら私は、私のことを誰も知らないところへ行くの……」
「パフィ様?」
「あら、嫌ね。冗談ですわ、けれどこのままこの王城だけで生きていくのは少し窮屈ではありますわ」
ふふ、と笑ったパフィ姫様の憂いを帯びた顔が忘れられなかった。
彼女の心の内に近付きたいと思った。
そして出来ることなら彼女の───その心に内に触れたい、そして願わくば俺の心に触れて欲しいという気持ちを抱いてしまった。
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