14_ エピローグ Ⅱ
告解は終わった。
懺悔も終わった。
俺たちがお互いに抱え込んでいた罪の意識は、晴れてお互いのもとに交換され、沈黙のバルコニーにしばしの風が冷たく吹き込んだ。
けれど、話はそれで終わったワケじゃない。
俺たちにはまだ、話し合うべき事柄が残っていた。
今日この日、この晩に顔を合わせたのは偶然ではなく。
顔を俯かせ床に雫の染みを作るルキアの腕は、依然、強くこちらを掴んでいる。
やがて、ルキアは鼻をすすり気丈に涙を堪えると、見下ろす俺に「なぜ」と問うた。
「なぜ、今日なのですか……?
なぜ、十年も経って、今さらそんなことを言うんです……!」
「なぜもなにも、俺の率直な気持ちだからな」
「アウレア様は分かっているはずです!」
「なにを」
「とぼけないで……!
お互いをずっと見続けてきたのは、私だって同じことなのにっ、どうして隠し通したままでいられると思っているんですか……!」
「悪いが、何のことだか分からないな」
「
アウレア様は黄金を司り、文明を司り、けれど根幹は『不自由』を嫌う棄却の権能!」
「…………」
「十年も一緒にいれば分かります……アウレア様は、何かに縛られることが存在として耐えられない神様です。
私に肩入れすると決めたその時から、アウレア様はずっと御自身を固く縛り付けて、本当は今にも窒息しそうで苦しくてたまらない!」
「俺が、苦しんでいる? 誤解だな。何を根拠に──」
「嘘つき! 私が覚えていないと思いましたか?
龍の國の騎士に連れ去られ、そこから助け出されたあの日のことを!」
「ッ……まさか」
「そうです。思い出したんです。記憶の混濁がずっと残っていましたけど、彼らは薬の調合を誤ったのでしょうね。うっすらとうっすらと、私はあの日の記憶を時間をかけて取り戻しました」
血みどろの黄金甲冑。
半濁した視界のなか、跪き忠義を示す青年が、不死身の加護を取り上げられて雪上に倒れ込んだ。
処刑を執行したのは、女神アウレアだ。
女神と青年の関係性には謎が多いが、その場に居合わせ聞いていた話をまとめて想像すれば、だいたいのところは察せられる。
「アウレア様は、彼を裏切った。
まるで、そうするのがごく自然な行いのように、裏切ることで『休息』を挟んでいるようでさえありました」
「……言いがかりだよ」
「第三の権能──“
これは、約束も契約も盟約も条約も公約も法律も刑事罰も掟も取引も。
物理的な拘束や封印、施錠行為、何であっても関係なく、自らを縛り付け、また閉じ込めようするあらゆる障碍に対する強制棄却権!
先ほど御自身で仰っていた通り、アウレア様の本質に最も直結していて、ならッ、その強い『本能』は、人間関係にだって適用されるはずです!
いえ、
もはや、ここまでか。
隠し続けた秘密が暴かれる。
否、隠し通せると楽観視していた秘密が、白日のもとに晒される。
神が嫌いだと言う割に、ルキアは深く神を理解している。
親密になったデメリットと言えばそれまでか。
これは、いずれこうなると分かっていても、ルキアと触れ合い続けた俺の失策だな。
「…………ああ」
深く、深く、息を吐いた。
それでも、後悔はない。
「神は、神であるがゆえに、その本質を裏切れない」
生命の熱を許さぬ冬の死神オドベヌスが、獰猛な剣歯虎の姿を得ていたように。
獣の祖を謳うドラゴン、プロゴノスが、生物の創造神として他の生物をそこに存在するだけで進化させていたように。
名は体を表し、我々の性格は嘘偽りなく権能が象徴となっている。
「ならば、他ならぬ俺とて、己が性質には絶対服従のはずだと──その考察は正しい。
白状するよ。この身は、たとえどんな物事に対しても、最終的には裏切らずにいられない下劣な神性だ。
それも、ただ裏切るのではなく、ここぞというタイミング。ここを逃しては今後これ以上はない……という最高潮を見計らってでないといけない」
そうしなければ、俺は自己矛盾による存在破綻を来たす。
初めから決まっていたことだ。
「ではッ」
「けれど、ひとつだけ訂正がある」
プラチナ色の髪を丁寧に撫でながら、愛しくてたまらない白皙の輪郭をそっと辿る。
誰かの瞳に自分が映り込んでいることが、こんなにも幸福に感じられたことは無い。
願わくば、その視線を永遠に独り占めしたいと強く思う。
「要するにルキア。キミは、俺がキミを裏切らないために、自分を犠牲にしていると思っているんだ。そうだろう?」
「……はい。アウレア様は、私も、エルフも、亜人も、この國も、何も裏切っていません。
アウレア様が私を苦しめるようなことは、この十年で一度として無かったッ!
──神である貴方様にとって、それがどれほどの苦痛であるか……!」
「それは違うんだ。俺は、何かを裏切るというなら、常に裏切り続けてきた」
「…………は?」
何を言われたのか分からない。
ルキアは一瞬、そんな顔で呆然とするも、次第に目を見開き、言葉を失った様子でハッとする。
「まさ、か……そんなっ!」
「ことキミとの関係において、この身が誰かを、あるいは何かを、絶対に裏切らなければならないというのなら、俺は
たとえそれが、自らの存在否定に他ならずとも。
神が神たるを自ら傷つける神性の零落に他ならなくとも。
この地上で見つけた貴き星。
俗物たる衆愚には決して辿り着けない無窮の光。
恋する綺羅星を、決して汚すことなどできはしないから。
「……じゃあ、龍の國を、あれだけ一気に滅ぼしたのは」
「日に日に神としての存在を欠損させ、零落していく状態の俺は、なるべく完全体に近い状態で勝負を決めたかった。正直、今の俺はオドベヌスにも負けるだろうからな」
「それじゃあッ、結局御自身を犠牲にしているじゃないですか!」
「犠牲? おいおい、そんな嫌なこと誰がするかよ」
「だって!」
なおも言い募ろうとしたルキアを抱き締める。
「この十年、俺はキミといて不快に感じたコトなんて無い。だから、犠牲なんて言葉は使わないでくれ。俺は俺の望み通り、好きにやってきただけなんだから」
キミがいて、そばにいるだけで幸せだった。
キミがいて、ともに笑い合うだけで報酬は与えられていた。
だから泣くなと、背中をさする。
「……アウレア様は、バカです」
「……ああ、仕方がないんだ。
俺は黄金の魔、愚者の王、俗物の神。
およそこの世に、俺ほどバカなヤツはいやしないぜ?」
「自慢げに言うことですか……もう」
「それが、俺の誇りだからな」
片目を瞑り小さく呟く。
すると、ルキアはぎゅっと俺の背に腕を回した。
今日はなんていい日なのだろう。
もしこうやって消えていくなら、なんとも出来すぎなくらいだ。
俺がそう、万感を噛み締めていると──
「──よし。じゃあ今から、アウレア様は敵です」
「ふぁ?」
胸の中のルキアが、なにかおかしなコトを言い始めた。
◇ ◇ ◇
「我が神、アウレア。
私は美の國の女帝として、現時刻を以って貴方様を追放刑に処します」
「──ちょ、な、何を言ってるんだ? ルキア?」
「罪状は私と、この國に対する裏切りです。
たとえ主神といえども、これは決して許されない咎でしょう」
「……どういうことだ? まさか、テキトーな罪をでっちあげてまで俺を? そこまで嫌われたのか」
「いいえ。貴方様を追放するのは、貴方様がたしかに私たちを裏切った単純な咎によるものです」
「何の罪だ! 俺がいつ、どこで、キミを裏切った!」
「お忘れですか?
アウレア様は、この國を建国する際、
「……は?」
「
なのに、アウレア様はとても未来永劫などと語れる御体ではありません。
全亜人にとっての救済神として祀られながら、これほどの欺瞞がいったいどこにありますか?」
「!」
最愛の神がルキアの言葉で、愕然と目を見開く。
いつ見ても溜め息が出るほど美しいかんばせに、かすかな苛立ちと不安が過ぎるのが見て取れる。
怒るだろうか。いや、間違いなく怒るに決まっている。
お互いの絆にたしかな信頼があるとはいえ、やはり神を逆撫でするのはちょっとだけ冷や汗ものだ。
けれど、ここは頑張って勇気を出さないと。
これほどの祝福を与えられ、これほどの寵愛を受けていながら、使徒としてどうしてその大恩に報いぬ真似ができるだろうか。
ルキアは毅然とした表情を作って立ち向かった。
「あんな口約束は、ただ國を作るのに都合が良かっただけだ。本気で言ったワケじゃない」
「そのような言い逃れが通用するとでも?
美の國は大陸で唯一の亜人種国家、龍の國を滅ぼしたアウレア様が庇護する最強の國。
かつて、忠誠を申し出たくともそれができず、すげなく拒絶された人間たちは、今でも我々の國を妬ましく見ていることでしょう。
彼らが未だに手を出して来ないのは、アウレア様の恐ろしさゆえです」
「バカなことを……ヤツらには十分な量の黄金をくれてやった!
あれからたったの十年で、どうやって無限に近い富を貪り切る!?
美の國が狙われるとしても、それは千年先の未来でだ!」
「おやおや、語るに落ちましたねアウレア様。
千年先は有限の期限です。未来永劫ではありません」
「……詭弁だぞ、それは!
俺は覚えている、エルフの寿命は千年!
そして、俺にとって重要なのはルキア、キミだけだ!
仮に俺亡き後でも、キミの無事が千年先まで保つなら、何の問題もないだろうが!」
「……やれやれ、これはまったくアウレア様らしくもないご発言ですね。
貴方様は、人間がずいぶんお嫌いなのでしょう?
それなのに、かなり甘い見積もりをされているのですね」
「ッ、なんだと……!」
「アウレア様の黄金は、たしかに欲望を刺激する魔性の富です。
けれど、だからこそ、アレだけの量の黄金を手にした人間たちは、ますます餓獣のごとく変化していくに違いありません。
……そうですね、私の見立てでは千年など不要、五百年もあれば存分に喰らい尽くされるでしょう」
その果てにあるのは、少年王フォスなど越えた新たなる欲望の魔人だ。
「ですので、このままではいずれ跡形もなく零落されてしまうアウレア様には、私どもに対し立派な咎があります」
「……………………だから、追放すると?」
「はい。どうせ、アウレア様は私を裏切ることはできないのですから。
だったら、私のお願いをきちんと聞いていただき、この國をさっさと出ていってください」
「ふざけた話だ……自国の神を追放するだなんて。
他のヤツらに知られたら、どうするつもりなんだ」
「如何様にも。私は女帝です。アウレア様がいなくとも、ちゃんと皆んなを説得できます」
「……外の人間たちは、すぐにも情報を炙り出してやってくるぞ」
「構いません。我々もこの十年で力を蓄えました。迎え討ってやります」
「加護を取り上げるぞ?」
「ご自由にどうぞ。元より過ぎた力です」
「本気なのか」
「はい。本気です」
「──そうか。なら、仕方がない、な」
黄金の女神はパチンと指を鳴らすと、十年間片時も離れずあった暖かな繋がりを、切断した。
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