13_ エピローグ Ⅰ



 龍の國滅亡の報は、それから程なくして大陸全土に響き渡った。


 雲を割り大地に降り注いだ黄金の尖塔群。

 地を震わして、この地上のありとあらゆるすべてを平にならしてしまった滅びのラッパ。

 それは、仮に耳を閉ざそうとしても閉ざせるものではなく、目を背けたくとも、決して背けられるものじゃなかった。

 辺境各地、未開拓領域各地。

 かつて、龍の國に追いやられ細々と生き残っていた者たちは、あの日、皆がひとりとして欠けることなく一斉に時代の終わりを知った。


 何せ、空を仰げば黄金が目に留まり、地平に目をやれば、必ずそこに黄金が横たわっていたのだ。


 ルキアたちエルフに限らずとも、彼らは次第に、次第に、惹き付けられる誘蛾のように顔を現し、三日が過ぎ去る頃には、自ずと大陸中央──旧ドラコニア、すなわち彼の女神のもとへ集うようになった。


 しかし、



「人間はダメだな。亜人は許そう」



 女神アウレアは集まった人間たちを、欲に目が眩んでいると断じ、即刻追放を言い渡した。

 我が黄金を見知った以上、オマエたち人間はいずれ必ず魂が腐り落ちる。

 旧ドラコニアの外に落とした黄金は好きなだけくれてやるから、殺されぬ内にさっさと立ち去れ。

 忠誠を申し出る人間たちもいたが、そういった者たちはひとり残らず即座に黄金に変えられ、後の者は急ぎ退散。

 なので、女神のもとに残ることを許されたのは、本当に亜人種のみとなった。


 エルフ、セントール、アウラウネ。


 その他にも、小人や巨人、ドヴェルグなど、数は少ないが、人間とはたしかに異なる価値基準を持っている種族たちが、女神アウレアの新たな信仰の列に加わった。

 戦慄すべきことに、龍の國が残した爪痕は想像以上に深く、亜人たちはどこも、種族古来の神をとっくに喪っていたらしい。

 恐るべきは龍神プロゴノスに少年王フォス。

 女神アウレアも、彼のものたちには追い詰められたと零し、ルキアは背筋がゾッとした。



「勝敗は本当に紙一重だった。

 ヤツらは水晶樹の女神が造った聖遺物なんか使わなくとも、その気になれば自分たちの力で神の天敵を生みだす力を持っていたからな」


「……で、では、どのようにして?」


「敵の知らない切り札を使ったのさ。

 結局のところ、戦いなんてのはどれだけ相手の想定を上回れるかだろ?

 向こうの切り札は、こちらの対抗存在を生み出してリンチを仕掛けることだったが、残念。俺の本質をもう少しのところで捉え損ねた。

 おかげで……まぁ、結構ギリギリだったけど……こっちもヤツらの存在意義を否定することに成功したってワケ」



 つまるところ、概念の打ち消し合い。

 相手を正確にどれだけ捉えられるかで、勝敗は決まったのだと。

 女神アウレアは肩を竦めて息を吐いた。



「……龍神プロゴノスにしろ、あの少年王にしろ、要は有名すぎたのさ。

 長年に渡ってこの世界に君臨したアイツらは、その分、力の来歴も背景も知れ渡り、俺が事前に入手していた情報量も、必然それなりの分析材料になった。

 対して、ヤツらからすれば、俺の登場は完全な不意打ちもいいところだったろう?」



 目の前の敵が如何なる存在なのか、熟慮を重ねる余裕も判断を下す材料も不足。

 むしろ、その状況でなおもあれだけ挽回のチャンスに漕ぎ着けたのは、さすがとしか言いようが無い。

 人馬一体ならぬ人神一体。

 最初に目にした時はナンセンスの塊だと思ったが、振り返ってみるとあながち愚かでもない戦闘センスだった。

 女神アウレアは鼻を鳴らしてルキアにしなだれかかる。



「ま、勝てなきゃ意味は無いんだが」


「アウレア様……」


「さて。終わったことをいつまでも話していても仕方がない。これからは未来の話といこう」


「未来、ですか?」


「ああ。キミはもう誰にも自由を奪われることは無い。

 キミを取り巻いていたあらゆる『残酷』は、すべて取り除かれた!

 さぁ、始めよう! 絢爛豪華な大エルフ帝国ッ!

 トップはもちろんキミだ、ルキア……!」


「……」



 ──斯くして。


 龍の國滅亡の四日後、大陸にはほんの数日で、新たな國ができあがることになった。

 めちゃくちゃになった国土は神の奇跡によって整えられ、他の國では決して見られぬ摩訶不思議な建築物が立ち並ぶ。

 黄金の女神アウレアを主神とし、騎士ルキアを筆頭とした、水晶の民主体の大亜人国家。


 名を、『美の國』


 醜きを退け、美しきもののみが在ることを許された、人心の悪を決して寄せ付けぬ希望の帝国である。

 女神アウレアはそこで、全亜人にとっての救済神として崇められ、繁栄の栄華は未来永劫に渡って約束された。





 ……それから十年。




「アウレア様?」


「……ん?」




 ルキアは、日に日に弱り果てていく女神を、ずっとそばで見守っている。









 ◇ ◇ ◇









 月の欠けりが物寂しい夜ですね、と凛と鳴る鈴の音のような愛しい声。

 美の國の帝都、黄金城と呼ばれる皇城の一室で、俺がひとりバルコニーに出て夜風に当たっていると、ルキアがやって来た。

 純白の衣装に金細工の飾り紐、頭には水晶の冠。

 ここ数年ですっかり女帝としての装束が似合うようになった、我が麗しの星だ。

 ルキアは小さく微笑みながら、空に浮かぶ三日月をチラリと見上げて横に並ぶ。

 狼の毛皮でできた厚手の外套、黒曜石の短刀などは、もうずいぶん掻き消えて久しい。

 ……にしても、



「月の欠けりが物寂しいとは、こりゃまた珍しく詩的だな。なんだなんだ。今夜は感傷的センチな気分か?」


「──ふふふ。そうですね、たしかにな気分かもしれません」


「理由を当ててやろう。

 が、その前にひとつ──俺の教えた言葉は、未だに言い慣れないんだな」


「……やだ。もしかして、まだ不自然に聞こえてますか? これでも練習したのに。もしかして、他の言葉もそうなのでしょうか」


「タオル。サウナ」


「たおる。さうな」


「ぷっ! やっぱりダメダメだな」


「……もうっ! アウレア様は意地悪ですっ。

 私、全然ダメダメなんかじゃありません。侍女たちだって、いつも褒めてくれるんですから、アウレア様のお耳がおかしいんだと思います」


「俺が教えた言葉なのに? 侍女たちが褒めるのは、キミが女帝陛下だからだろう」


「では、アウレア様も褒めてください。練習はしてるんですから、練習した分の努力は褒めていただきませんと」


「キミのことなら何だって肯定するさ」


「ということは?」


「その前にもう一度だけ──タオル、サウナ」


「もうっ!」


「ハハハハハハハ!」



 笑うと、ルキアはバシンっと肩を叩いて来た。

 相手が神と見れば、ひたすらに平身低頭していた少女が、十年も経てば俺に対しこんなにも気安くなる。

 その事実が嬉しくもあり、たまらなく愛おしくもあり、俺は気づけば両腕を広げ背中から愛しい少女を包み込んでいた。

 ルキアもまた、そんなこちらに安心するように身を深く預ける。



「アウレア様?」


「ん?」


「相変わらず、とても素晴らしいお胸ですね」


「ルキア専用の乳枕だからな」


「お下品」


「始めたのはキミだろう……」



 可愛い意趣返しに、つい苦笑が誘われる。

 身長差のせいで、背後から抱き締めるとルキアの頭はいつも俺のおっぱいを堪能するのだ。

 ……やれやれ、まさしく、我が寵愛を一身に受けるものの特権と言ったところ。

 この俺でさえ、自分の乳には頭を埋められないのに。

 まぁ、それはさておいて。



「ねぇ、アウレア様?」


「……なんだい、ルキア」


「この國は、ずいぶんと豊かな國になりましたね」


「俺がいるからな」


「はい。それはまぁ、もちろんなのですけれど、単なる富とは別に、笑顔が多いとはお思いになられませんか?」


「笑顔?」


「エルフもセントールもアウラウネも、他の亜人たちも、この頃はよく笑うようになったと思うのです」


「キミがそう思うなら、たしかにそうなんだろう」


「ええ。アウレア様は私以外のものにあまり興味が無さそうなので、気づいておられなかったかもしれませんが、実はそうなのですよ?」


「……へぇ?」


「笑顔自体は十年前にもありました。

 けれど、その本質が変わったと私は思うのです。

 何より、幼子がキャッキャッと遊び笑う姿が増えました。

 戦を知らず、仲間の死を知らず、飢えを知らず、恐怖を知らず。

 そういう無垢な子どもたちが増えていくのは、本当に素晴らしいことだと思うのです」


「それは良かった」


「本当に。ですので、この十年、私はずっとアウレア様のそばにおりますが、あのヴォラスの森でアウレア様と出会い、ここまで導かれて来たことは、本当に奇跡のような幸福だったと思っております」


「……俺は、いい神様だったかい?」


「はい。とってもいい神様でした。

 ……なので、実を言うと、私はアウレア様に謝らなくちゃいけませんね」


「いや、キミが俺に謝るべきことなんて、何も無いさ」


「いいえ。いいえ。そんなことだけはありません。

 アウレア様は私を、まるで清廉な聖人みたいに言ってくださいますが、私だって汚い心はあります。嘘だってつきます」


「……じゃあ、俺になにか嘘を?」


「はい。私は、アウレア様からこれほどの愛を授かっておきながら……アウレア様が好きでもあり、嫌いでもありました」


「………………やるな。かなりのダメージだ」


「でもね、アウレア様?

 それは貴方様が、神であるから。貴方様が貴方様であるから嫌いなのではありません」



 神とは、この世界において絶対の運命さだめ

 抗いは許されず、愚行の代償には絶えず死を与えられる厳しき理。

 神ならざるものどもは、ただひたすらに神の意に従い頭を低くせよ。

 さもなくば生きる価値も無しと知れ。

 神とそうでないものとの間には、それだけの開きがあって断絶が深い。

 ルキアは言う。震えた声で。



「……龍の國を、御自ら滅ぼされた時のことを、覚えておいでですか?」


「……ああ」


「私には、アレが始まりでした。いえ、きっと前々から小さな種火は点々と転がっていたのでしょう。あの光景が、決定的だったというだけで」


「怒りを、覚えた?」


「はい。深く、それは深く燃えたぎるような怒りを。

 ……ですので、そこからこれまで、私はアウレア様にずっと隔意を抱いていたことになります。本当に、申し訳ございません」



 声の震えは、肩の震えに変わっていた。

 顔は見えないが、どんな顔をしているのかくらい分かる。

 俺は、変わらず身体を寄り添わせたままの格好で、しかし口だけを長い耳に近づけながら、




「──ああ。すべて、知ってる」


「……え」




 驚くルキアに、真実を告げる。



「俺がキミをどれだけ見続けていると思ってるんだ?

 キミが俺を好きだと思うのと同じくらい、俺を嫌悪していることくらい知っていたさ」


「でっ、では、どうしてこれまで……!」


「黙っていたかって?」



 目を見開き、振り向いてまで問いを投げるその誠実。

 この十年で変わったものもあるが、やはり変わらないものの方が大きい。

 耳の長い少女の瞳には、今もあの日見た透き通るような美しさがいっぱいだった。

 何を隠そう、今日この日こそ、十年前の始まり。俺がルキアと出会った日である。

 だから、



「──恋をしたんだ」


「…………ぇ?」


「十年前の今日、俺はキミに恋をした」


「な、なにを……っ、またいつもみたく茶化そうと──!?」


「──茶化してなんかない。

 俺は恋をして、キミに惚れてしまった。

 恋の意味、知ってる? 完全降伏ってことさ。

 恋をしたものは恋した相手のやることなすこと思うこと、すべてに降参なんだぜ。

 だって、なんでも許せてしまえる。こんなにも心が痛い。

 そりゃあ嫌われて憎まれてってのは残念だけど、だからって、俺の気持ちは変わらないじゃないか。

 なら、なんで表立って口にする必要がある?」


「──……な」


「むしろ、を嫌いだとハッキリ言えるルキアだからこそ、俺は余計にこの沼から抜け出せない」



 理由は至極簡単だ。



「俺は、醜きものを憎悪する。不快に感じるあらゆる事象ことを嫌悪している。息苦しさの元になるものは、すべて消えて失くなればいいと本気で考えている。

 ──だが、それらはひどく低俗な、に端を発しているんだ」


「自己、嫌悪……?」


「そうとも。俺が何を司っているか、ルキアも十分知ってるよな。一番分かりやすいのは第一だ。だが第二も大した違いは無い。

 俺は、黄金の楽土で富を抱き締め眠りたいし、文明の叢書を紐解いて、夢見た理想の暮らしに溺れたいと、心底から願っている」



 つまり、



「俺の根底は、龍の國のゴミクズどもと何も変わらない。いや、何も龍の國に限らずともあらゆる人間たちと比べて、それでもなお、本質は俗悪だと断言できるだろう。

 そして、タチが悪いことに、そんなクソ野郎がたまさか力を得て、神なんかになっちまったのが今ある現状なんだ。

 こうなったら、もう自分じゃどうしようもない。神の本能のままに行動するし、それを気に咎める良識すら本音を言えばどうでもいい──だが、だからこそ!」



 天を仰ぎ顔を両手で覆う。

 月の光はか細いが、月光を浴びて艶やかに濡れる金の髪。

 触手のようにうねるこの蠢動が、自らを醜き邪神なのだと明らかに突きつける。



「ルキア……キミは、俺にとって、何にも代えられないすっごく綺麗なモノに映った。

 人が持つ劣悪な部分、醜くてつい目を覆いたくなるような穢らわしさから、なぁ、キミは本当にどれほどかけ離れていることだろう?

 最初はエルフという亜人種だから、そう見えるのかとも思った。

 けれど、キミの一族を知れば、すぐにそうでないことが分かる。キミはキミであるから、美しいんだと……!」



 その愕然と、その衝撃。

 心を射抜かれるとはまさにこのことだった。

 貫かれたハートは二度と手元に戻らない。

 奪われた相手にずっと、囚われたまま。

 こんな綺麗な心の持ち主が、まさか、存在していたなんて──



「だからね、ルキア?

 を嫌わないようなキミなら、俺は初めから、キミを助けようとは思わなかったし、好きにもならなかったよ。

 そして……キミと出会っていなければ、それこそ俺は、あっさりと第二第三の龍の國を造っていたに違いないんだ」



 そうならなかったのは、すべてルキアがいたから。

 あの出会いは、まさに運命を変える出会いそのもの。


 それが、俺から出せる唯一の答えである。


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