10_ ドラゴンストライク・ザ・ゴールデン Ⅰ
広大な闘技場に、ドラゴンの
剣を握る奴隷たちは、その大音声にブルリと体を震わせると、一斉に遥か彼方の空を見上げた。
それまで流血の狂気も露に、地上でひたすら凄惨な殺し合いを繰り広げておきながら、
対照的に、闘技場を見下ろす四方の客席からは、興奮を告げる口笛や、偉大なる王の栄光を賛美する雄叫びのような声が鳴り響いた。
「龍の國、万歳ッ!」
「我らが覇王ッ! 永久の少年王ッ!」
「ドラゴンライダーが来るぞ!」
「神殺しの大騎士が!」
「この世で唯一の超越者が!」
「プロゴノス様の寵愛を独占する憎たらしい男め!」
「俺たちゃアンタが大好きだ!」
「抱いてくれ、王様!」
「ダメよ、抱くなら私を抱いてー!」
「今日もまた血湧き肉躍る処刑劇を魅せてくれ……!」
熱狂はうねりを伴い空へと向けられる。
老いも若きも、男も女も、誰も彼もが信じて疑っていない。
彼らは皆、これから訪れる人物を深く愛している。
國に繁栄をもたらし、民に幸福を与え、敵対する異教徒どもは必ず滅ぼす我らが
百年前より変わらず最強の証を立て続け、不朽不滅の統治を己が生存で以って体現する至高の君臨者。
少年王、フォス。
古き言葉で、『光輝』を意味する名を持った金髪碧眼の王だ。
そして、闘技場で戦う奴隷たち──國も家も、財産も友も、かつて愛する何もかもを奪い取られた敗北者の群れ──にとっては、最大最悪の怨敵にして恐怖そのものである。
すなわち、龍の國の少年王は主神であるドラゴンに跨り姿を現す。
「来たぞ!」
観客のひとりが高らかに叫んだ。
その視線の先には、ああ……見るがいい。
強靭な四肢はあらゆる肉食獣の獰猛さを兼ね備えながら、俊敏にして機微なる草食獣の柔軟さをも持ち合わせ、豊かな
縦に裂けし瞳には、しかして知性を湛えた叡智の光。
されど忘れるべからず。
天に広げし翼の遠大、大地を覆うがごとく。
空より降り来たる龍炎は、人の抗えるものでなし。
その背に跨る王もまた、人の領域には非じ剛の者……!
「「「──ぅ、うわああああぁぁぁあぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!」」」
奴隷たちは恐慌に陥り、我も忘れた狂態で闘技場を逃げようとした。それを、
「安心しろよ異教徒ども!
オマエたちにとって、この死は救済だ!
母なる龍炎に焼かれて逝くは、誉れと知れェ……!!」
天上の業火が奴隷を焼く。
下された罰に、喜べと吼え立て齢百を優に越す少年が苛烈な笑みを浮かべる。
人と龍が一体となって空を駆る姿。
これぞ、生命の系統樹たる獣の祖、龍神プロゴノス。
これぞ、大陸制覇を目前と叶える現人神、少年王フォス。
民は喝采を叫び狂乱する。
この日、王都ではまたひとつ、龍の國を讃える歌が吟遊詩人によって作られるだろう。
攻め滅ぼした異教徒の國から数え切れないほどの奴隷を生み出し、自国の民の娯楽とする。王手ずからの野蛮な興行によって。
「ハッハッハッ……よし!」
最後に闘技場をぐるりと一周し、民の歓声を十分に確認。
今日もまた、我が王国は実に平和なりと。
少年王フォスは、悠々と愛する主神を飛翔させ、宮殿へ戻った。
──それが、今からほんの、三時間ほど前のことである。
「北部先遣隊が、全滅しただと?」
「ハッ、三日おきの伝者が来なくなってから、すでに十日が経ちました。
「原因は?」
「あのあたりは霜天の牙と呼ばれる、剣歯虎神の領域ですので……恐らくは」
「水晶剣はどうした水晶剣は! ダグダは使わなかったのか!?」
「さて。使ったか使わなかったかは不明ですが、どちらにしろ死んだのでしょう。これは、御身の出陣が必要ですね」
「……クソ! あの男なら第二の神殺しを為せるかと目をかけてやったのに、結局はこうなるのか! もううんざりだ! 七神でもない木っ端神を殺す雑用は!」
「……ッ、恐れ多い御方だ。神殺しはあなた様にしかできないというのに……そう言わず、ぜひ今回も新たな英雄譚をお作りくだされ」
「分かっている! 何にせよ、水晶剣は絶対に回収しなくちゃならないからな。敵の手に渡る可能性は、万が一でも排除するさ。最悪の場合、水晶剣は破壊してもいい。うちにはまだ九十ある。所在不明ってのが一番ダメだ」
「では、捜索隊とともに陛下もご出陣の準備を。一刻で」
「ああ……いや、半刻だな。せいぜい感謝するよう伝えておけ!
たかが失せ物探しに、王自らが配下を
「これは辛辣」
「黙れ
「私はまだ七十です。陛下より歳下ですぞ!」
王の命令に、老人は捨てセリフを吐いてスタコラと謁見の間を出ていった。
陛下と呼ばれた少年は、「はぁ」と溜め息を零して玉座にドカリと座る。
背後には、最愛の妃にして生涯の信仰を捧げる神、プロゴノスがグルルルと喉を鳴らし寝息を立てていた。
人の世のいざこざなど、この巨いなる龍神には瑣末事。
すぐそばでフォスがこれだけ喚いていても、プロゴノスは山のごとく動かない。
(神は、偉大にして自由……か)
現人神と持て囃されるフォスであるが、本物の神ほどに自由を謳歌してはいない。
まあ、それはそうだ。あらゆる神にとって、人間など取るに足らない虫けらも同様。
正直に言えば、この恐るべき神が、何ゆえフォスらに祝福を与え加護をもたらしているのか、それもよく分かっていない。
知性はあるのだろう。言葉を投げかければ、なんとはなしに意思が伝わっている気もする。でなければ跨がれなどしない。
しかし、プロゴノスが人間の言語を返してきたことは、一度も無かった。
……まぁ、ドラゴンなのだから当たり前だ。
大騎士であるフォスでさえ、プロゴノスが喋ったところは見たことが無い。
ならばそれは、ドラゴンにはそもそも人間の言語は扱えないと考えるしかないだろう。
言葉も交わせず、しかし、逆らうにはあまりに偉大で、あまりに恐ろしい力を秘めた大蜥蜴。
跪き、信仰を捧げ、愛を誓うだけで恩寵をくれるなら、いくらでも頭を垂れて愛だって育む。
実際、フォスはプロゴノスが好きだ。
プロゴノスのような存在を間近に感じると、その遠大さと限りない自由に心から焦がれる。
性愛を超越した真の愛情が、そこにはあるだろう。
けれど時折り、だからこそ、こうして間近に在るプロゴノスのことが、狂おしいほどに羨ましくて仕方がない。
自分はなぜ、ドラゴンとして生まれなかったのだろうか。
「人も神も殺して殺して、大陸すらも平らげれば、きっと世界で一番の『自由』を掴めると思ったのにな」
王になれば誰もがフォスに跪く。
神を殺せば邪魔者はみんな消えるに違いない。
だから王になったし神も殺した。
なのに結果は、ますます羨望を募らせるばかり。
地位も名誉も富も権力も、高まるごとに余計なしがらみが増えていく。
この世はなぜ、人に不自由を強いるのか?
フォスはずっと、神になりたくて仕方がない。
けれどそれは、絶対に叶わないから、こうして今日も神に限りなく近づこうと努力の日々だ。
この努力が報われる日は果たして来るのか? まぁ来なければ、無理やりにでも手繰り寄せて掴み取るだけなのだが……
「はぁ……にしても面倒だ。北部は寒い。寒いったら寒い。だってのに、霜天の牙だと? クソっ! いかにも寒々しい名前じゃないか。夜中の暖に女奴隷が少なかったら、タダじゃおかないぞ馬鹿野郎め……」
ブツブツブツブツ。
少年王は不機嫌に文句を垂れ流した──その時。
「GRRrrrrrrrrrrrr……」
「! どうした、我が妃!」
フォスの背後で眠っていた龍神が、突如として眼を開き唸り声を上げた。
その瞳は宮殿の天井を越え、遥か彼方の空を激しく睨みつける。
長年の伴侶として、また、神の使徒たる騎士としての優れた経験から、フォスは即座に悟った。
空の王者たるドラゴンが、何ゆえ空に向かって怒気を飛ばすのか。
答えは決まっている。
「──陛下! 敵襲です!」
「分かっている! 敵は空だ!」
息を切らし報告する大臣に応え、フォスはプロゴノスの首元へサッと飛び乗った。
そしてそのまま、謁見の間を半ば壊す勢いで、急進する。
如何なる堅固な要塞も、ドラゴンの行進を止めることはできない。
途中、何人かの近衛兵や奴隷を踏み潰したが、事は緊急を要した。
「聞こえるか? 見えたか? 我が
「GRRrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr……!!」
宮殿の外、龍の羽ばたきによって大きく空へ舞い上がりながら、少年王はなおも天高く頭上を見上げて目を見開く。
よもや、大陸制覇も目前と迫ったこのタイミングで、まだこのような光景を目にしようとは!
「
大陸中央、龍の國中枢、王都ドラコニア。
偉大なる神と類稀な覇王のもとに、それは雲を割って悪夢を告げた。
ゴゴゴゴゴと轟く地響き。
大地に降り注がんと今にも圧死を予感させる見たこともない巨石群。
広大な版図を誇る龍の國の国土に、それは、宮殿すらも凌ぐ大きさの
知るものがいれば、こう叫んだに違いない。
──東京電波塔、スカイツリーッッ!!
──シンガポール巨大建築、マリーナベイ・サンズッッ!!
──ニューヨーク摩天楼、エンパイア・ステート・ビルッ!!
──ドバイ世界最高、ブルジュ・ハリファッ!!
その他、世界に名だたる超高層ビルディングの数々が、逆さまに傾き空より『千』、金色に輝き落ちていると……!
「ッ、どこの
「開戦の狼煙に決まってるだろう? 龍の國!!」
「!?」
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