09_ サウナ・アンド・ゴッデス




 女神の名はアウレアと言うらしかった。



「名前? あー、そうだなー。特に考えてなかったわ。メンドイからルキア、決めてくんね?」


「ええっ!?」



 オドベヌス消滅より数刻後のことだった。

 主神であるオドベヌスの死。

 あまりにも唐突に庇護者を失ってしまった雪の牙一族。

 未だ混乱収まらぬ中、しかし、すぐそこにいる黄金の女神に無礼は働けない。

 動揺するエルフたちを代表し、ルキアは改めて女神との対話を試みていた。

 まずは名を知りたい。

 すると、女神はなんとも鷹揚な仕草で──口さがなく表現すれば、雑な感じで──信じられないことを言い放った。



「ぶっちゃけ名前とか無いんだよね」



 ウソ!

 思わず軽率にそう言い返しそうになったのを何とか堪え切ったのは、自分でもなかなかスゴいことだとルキアは思う。



「……た、たしか、御身はここ北の森ヴォラスに古くから祀られる、太古の神性ではありませんでしたか……?」


「ん……? あー、うん」


「で、では! 彼の霜点の牙を討ち滅ぼし得るほどの偉大な神威! かつては多くの信徒もいらっしゃったかと存じます! そ、その時にっ、御身は何という御名みなで崇められておりましたでしょうか……?」


「知らね」


「ああっ、シラネ、様でございますね?」


「いや、そうじゃなくて。そんなの知らない、って意味」


「…………」



 ルキアは土下座した。



「──承知いたしました。御身のお怒りはごもっともかと!

 いかに時が流れているとはいえ、仮にもこの地に根付きし者が、御身を見知らぬと申すはさぞ不敬の極み!

 ですが、ここは何卒、私ひとりの首でご容赦いただきたく……!」


「なんか盛大な勘違いしてるなぁ」


「で、では! なにゆえ御名をお教えいただけないのでしょうか……!」



 ルキアは真剣に緊張して声を張った。

 神の不条理と気まぐれは、たとえ瞬きひとつであっても油断してはいけない。

 仮に神自身が、ルキアを守るとか愛するとか公言していても、その神の慈愛がルキアたちにとって、まったく悲惨なものでないなど誰が保証できるのか。

 オドベヌスによる庇護は、一族全体に絶対の忠誠を誓わせ、その対価としてオドベヌスの選ぶ騎士たったひとりに雪化粧の祝福を授けるコトだった。

 それ以外は、おおよそ圧政者と奴隷民の関係に等しい。

 無論、神に抗う愚かしさを思えば、それは当たり前の立ち位置ではあるのだが……



(この女神が昔話の水晶樹の神デラウェア様のように、本当に優しい神様なのか、それはまだ……分かりません)



 黄金の女神について、ルキアが現時点で抑えているのは、まず底知れない神威を持つコト。

 接していると、ヒトかと錯覚しかねないほど気安い性格をしているコト。

 権能を複数所持していて、あと、なぜだか知らないが、妙にルキアに執着しているコト。

 最後のは特に凄まじく、おかげで神が一柱消滅するほど無視できない。

 肩に伸し掛るプレッシャーは、未だかつて無い重みでルキアを緊張させていた。

 なので、



「あー……分かった。じゃあ……黄金アウレア? うん、そうだな……これからはアウレアってのが俺の名前だから。そんな感じで」


「! 神名、承りました!」



 女神アウレアが根負けした様子で名前を告げるまで、ルキアの土下座は続いたのだった。


 それからの話は早い。


 美しきアウレア神はルキアに執着している。

 主神を失ったルキアたちエルフは、現実問題として神の庇護下に入らなければ危ない。

 オドベヌスの死と同時に雪化粧の祝福は消え、隠密の術を失くしたいま、龍の國の人間に見つかればまたぞろ大変なコトになる。

 ルキアひとりで一族全員を守れる道理も無い。

 そして目の前には、あまりにも都合よく、庇護を約束し繁栄まで謳う黄金の女神が。


 何より、オドベヌス弑逆に至った光の大瀑布。


 不死を体現する超越的な神威に、誰もが知らず生唾を呑み込んでいた。

 長老格の反応はよりあからさまで、これほどの神から寵愛を授かったのは、まさに種の希望に他ならないと狂喜乱舞。

 ルキアとしても、大好きな皆がそれで幸せになれるならと、やや複雑な気持ちもないでもなかったが、納得して宗旨替えに賛同した。


 元より、拒否権などあるはずもないのだし。


 よって、その日──



「俺は別に、オマエたちから名を奪うつもりはない。そういうの、興味がないからな。

 だから、オマエたちはこれからいつでも好きなように名乗ればいいし、殊更に俺を崇めなくてもいい。

 ──ただ、ルキアさえ俺に寄越すなら」


「ハッ、ハハッ! で、では……かつての名を取り戻してもっ、本当によろしいのでしょうか……!? 我らの誇りを! 我らの旧き種族名を……!」


「ああ、いいぞ。水晶の民、だったか? キレイな名前だ。大事にすればいい」


「……ッ! あっ、ありがとう……っ、ございます……!」



 知恵のアルフィの落涙。

 一族の中で最も尊敬される長老が流した一筋の涙に、オドベヌスに仕えた雪の牙一族は完全に消滅した。

 不死なる黄金アウレア神は、信仰を強要しない。忠誠をわざわざ求めない。

 ルキアという一個人を所望はしても、それ以外は別に、好きなようにしろとエルフの尊厳を何一つ奪おうとしなかった。

 神としては異例な、しかし、だからこそ有り難いその在り方に。



「ルキア。彼の女神こそ、我らの新たな神だ。

 ……すまないが、もう一度だけ、『騎士』になってくれるかい?」


「──はい」



 ルキアを含むエルフたち──水晶の民は、女神アウレアを主神としてついに復活したのである。








 あれから、数日が経った──









「“文明叢書プロメテウス・アルキテクトゥーラ”」



 アウレア様の権能により、ヴォラスでの生活は一変した。

 見渡す限り一面に薙ぎ倒された木々の残骸。

 オドベヌスの権能により広大な範囲で傷を負った北の森であったが、今では有り余る木材も完璧に利用され、文明の気配がとても色濃く漂う土地になっている。



「……へぇ。近くに材料があれば、自動的に有効利用するのか。エコだな」


「エコ? でございますか?」


「んにゃ、なんでもないよ」



 とは、アウレア様の言。

 よく分からないが、つい先日までは非常に原始的な光景が広がっていて、屋根が欲しければ洞窟。風を凌ぎたければ雪で壁を。寝床は掻き集めた木の葉か獣の毛皮。

 と、とても過酷な暮らしぶりだったのがウソのように、マトモな住環境が次々提供されつつある。


 木造建築──なんでも、ログハウスと言うらしい。


 大量の木材を消費して造られる立派な家々に、ルキアたちエルフは何度も腰を抜かしそうになった。

 塀が、柵が、扉が、窓が、壁が、屋根が、ひとりでに宙に浮いては集まって、勝手にカタチを成していく魔法じみた光景。

 ものの数秒で完成するしっかりとした生活拠点に、果たしてどれだけの人足が本来必要なものなのか。

 ヒトの常識に縛られない異様な建築劇は、まるで夢でも見ているのかと疑うほど現実から掛け離れたものだった。

 しかも、どういうカラクリなのか、建物の中にはたとえ王侯貴族でも早々お目にかかれないだろうといった、非常に素晴らしい出来の調度品類まで存在していた。

 そふぁ、べっど、ろっきんぐちぇあ。

 加えて──



「ア、アウレア様、あれは……?」


「ん? ああ、暖炉だよ」


「だん、ろ……?」


「火をつけて暖まるためのものだ」


「ひ……?」



 驚きすぎて何も言えなくなってしまったルキアに、アウレア様はきょとんと不思議そうな顔をして首を傾げていたが、エルフであればルキアに限らず、誰だろうと同じ反応を返したコトだろう。

 オドベヌスは火を禁じていた。

 暖かに燃える優しい炎に、ルキアの感情がしばし追いつかなくなって固まってしまっても、それは仕方がない。


 しかし、最も衝撃的だったのは……



「ねぇねぇ、ルキア。には行った?」


「さうな? ですか?」


「そうそう。あれは素晴らしいものよ! まさに神の奇跡ね! あなたも行ってみるといいわ! すっっっごく気持ちよくなるから!」


「はぁ……」



 さうなと呼ばれる湯浴み小屋が建築されてから、仲間たちの誰もが絶賛の声を上げていた。

 どうやら、極寒の川の中で水浴びをした後、小屋に戻って体を温めれば、およそこの世のものとは思えぬ天上の快楽──ととのう? が得られるらしい。

 小川のほとりに建てられているため、川⇔小屋のループも簡単で、すでにほとんどの仲間が繰り返し入浴している。

 アウレア様ご自身もサウナが大層お好きなようで、一日のうち、どこかで必ず『ととのう』時間を設けられているようだった。

 ルキアはまだ、さうなを知らない。



「さうな……」



 そんなワケで、深夜。

 皆が寝静まった頃を見計らい、ルキアはひとりさうなへとやって来ていた。



「本当に、温かいんですね……」



 否、というか、むしろ熱い。

 外観は普通の木造小屋のようなのに、中に入るとムワッ! とした熱気がたちまち肌を襲った。

 備え付けの棚に設置された、真っ白なたおるとやらの触り心地もとても素晴らしいが、人生で初めての熱気というものに、ルキアはドキドキと胸が弾んでいく。


 モワモワとした蒸気。

 全身から徐々に吹き出る汗。

 体温が上昇し、芯まで燃えるような、未知の感覚。

 まるで、カラダに蓄積していた澱みや凝りといったモノが、溶け落ちてキレイに流されていくみたいな。

 頭の天辺から足のつま先まで、スぅーっと浄化されていく気さえした。


 夜ということもあり、さすがに冷水を浴びるのは危険だろうと。

 今夜の内は、さうなだけ挑戦してみるつもりだったが、これほどの熱気ならば多少の水行も苦ではないかもしれない。



「ふぅ……なるほど。この石に水をかけることで、熱さを調節しているのですね……」



 部屋の真ん中には複数の石が、積み上げられた形で鉄籠の中に置かれている。

 傍には水桶が置かれ、杓のようなものがあり、水を掬って石にかけると、大量の蒸気が立ち込めた。

 アウレア様の庇護下に入ってからというもの、火を使い湯を沸かし、金色の湯船で風呂の楽しみを知ったが……なるほど、さうな。

 これもまた、湯船とは違った気持ち良さを与えてくれる。


 ──しかし……ととのう? とは一体どんなモノなのだろう?


 神の奇跡。天上の快楽。

 今のところ、仲間たちが絶賛するほどのモノは、特段感じられない。

 それともやはり、小川→さうなの流れを繰り返さなければ、得られない感覚なのだろうか?



「はぁ……でも、これだけでも十分きもちいい……」



 ルキアがちょうど、そんなコトを考えていると、



「──やぁ、ルキア」


「あっ、アウレア様……!?」



 いつの間に現れたのか、女神アウレアがさうなの入口に佇んでいた。

 純白のたおるを肢体に巻き付け、ルキア同様、わずか布一枚という格好で堂々と隣に座ってくる。


 しまった! とルキアは思った。


 容姿に優れるエルフの中で、ルキアは自分を醜い方だと考えている。

 騎士になるため鍛えてきた肉体は筋肉があって女性らしくはないし、何より、過去オドベヌスによってつけられた鋭い傷跡が、今なおルキアのお腹には痛々しく残っている。

 深夜にサウナに来たのは、他人に肌を見られるのを避けたかったため。

 しかし、黄金の神は睡眠の必要がないらしく、昼だろうと夜だろうと好きに闊歩している様を、ここ何日かで散見していた。

 神の行動を制限することなどできない。

 ルキアは慌ててさうなから出ていこうとし──それを。



「待て。別に出ていく必要はないぞ? 後から来たのは俺だ。邪魔だというなら、俺が出ていく」


「じゃっ、邪魔など! 滅相もございません!」


「そうか? すまんな。じゃあ悪いが、ちょっとだけ一緒させてくれ」


「ぁ、はい……」



 出会った時から変わらない男性口調。

 長い金髪、豊満な胸、どこを切り取っても黄金比を見いだせる絶世の美。

 アウレアはルキアの隣で、思わずドキッ! とするほどの妖艶な流し目を浮かべると、ぽんぽん、と座席を叩いた。

 主神の厚意を、無碍にはできない。ルキアは再度、腰を下ろす。

 すると、



「ひゃっ!? あ、アウレア様……?」


「なんだ?」


「そっ、その……どうして、私の肩を……?」


「触りたいと、思ったからだな」


「っ!? もっ、もしかして…………なのでしょうか……?」


「……んー? そういうコトって?」



 女神は意味深に言葉を濁し、ルキアの白い肩をそっと撫ぜた。

 指を伝わせ、手のひらを回し、その素肌がさうなの熱気とは別の理由で朱色を増していくまで、少女のカラダを無遠慮に触っていく。

 肩、腕、うなじ、首、顎、喉、そして鎖骨。

 たおるで隠されていない上半身の露出部分は、すべて女神の指紋がついた。


 ……これは、どう考えてもだろう。



(……っ、ついに、この時が……来てっ! しまったん、ですね……んっ!)



 ルキアは迫り上がる羞恥心から、懸命に声を抑えながらも確信した。

 女神アウレアはルキアに執着している。

 好きだ、とか。愛してる、とか。守りたい、とか。

 ここ数日で囁かれた大胆な発言は、そのすべてがルキアへの好意を告げるものだった。

 アウレアがエルフの庇護者になったのも、一番の理由はルキアがエルフだからこそ。


 神は寵愛を示した。


 ならばいずれ、使徒たるルキアは身を捧げなければならない。

 うすうす、分かっていたコトだ。

 オドベヌスと違い、アウレアはヒトガタの神である。

 女同士という事実はあるが、まぐわうに当たって何の不都合も存在しない。

 第一、神がいちいち性別だなんて瑣末事、気にするワケもないのだ。



(けれどっ、それが……まさかっ! こんなサウナでなんて……!)



 仲間たちが普通に湯浴みを楽しんでいる場所で、いかに神の思し召しとはいえ自分は淫らな行いをする。

 それを思うと、ルキアは得も言われぬ背徳感に駆られ、頭の中がいっそうクラクラして来そうだった。


 女神はついに、ルキアを長椅子へ押し倒し、そのまま覆い被さるようにカラダを重ねている。


 ──たおるが、はらり、と床へ落ちた。



「あっ!」


「おっと。まぁ、俺とキミの関係だ。隠すことは何も無いけど……いや、ちょっとだけ気恥しいかな?」



 だからこうしよう。

 アウレアは笑い、ルキアに囁いた。

 そして、どたぷんっ! と揺れる立派な双峰を、押し付けるカタチで見えなくする。

 胸と胸が重なり合い、互いの乳房を強く押し潰した。



「ん……っ! アっ、アウレア様……!」


「すげっ、乳合わせだ」


「えっ……?」


「なんでもない。それより、どうだ? カラダの調子」


「え? 調子、ですか?」


「傷、無くなった?」



 言われると同時、ルキアはハッと気がついた。

 無い。無くなっている。

 女神が退いたので思わずガバリッ! と起き上がって確認してみても、あるはずのものが完全に無くなっていた。



「お腹の傷が……」


「そう、それそれ。オドベヌスにつけられた傷だろ? いやぁ、めちゃくちゃ不快だったからさ。思わず消せるか試してたんだよ。

 でもま、その様子だと、上手くいったみたいで安心したわ。権能の制御、けっこー難しかったからさ」



 “閉塞打破エレフセリア・イカルス

 不快感というを打ち破るため、アウレアは過去の事象を拒絶してみたのだと事も無げに語る。


 ルキアは思わぬ展開に、「え?」と戸惑った。


 ……つまり、これは……?



「あ、あのっ!?」


「女の子が傷のせいで、マトモにさうなも楽しめないなんて間違ってるからな。

 さうなはひとりで入るのもいいけど、皆で入るのも良いものだし。

 ──ってワケで、明日からは皆と仲良く楽しむんだぞっ! 俺はここにスパを建てるっ!」


「アウレア様──!?」



 ルキアの呼びかけも虚しく、黄金の女神はフハハハハッ!と上機嫌に去っていった。


 ……要するに、舞い上がっていたのはルキアひとりだけだったらしい。



「──でもっ! なんでカラダを……!?」



 本当に触る必要はあったのか。

 というか、押し倒された意味は?



「き、傷を治していただけたのは嬉しいですけれどっ!」



 それに、ルキアが昼間さうなに入るのを躊躇っていたのを知っていて、意外と本当に気にかけてくれているんだと分かったのも嬉しいけれど!



(もしかして、だからこの時間に?)



 わざわざルキアがひとりきりになったタイミングを見計らっていたのだろうか。

 だとしたら、なんというか、その……!



「こっ、これじゃっ、怒るに怒れません! ……アウレア様のばか」



 ルキアはプクッと頬を膨らませ、次いで笑った。



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