清笛でシュリンクス
増田朋美
清笛でシュリンクス
その日は、この冬一番の冷え込みとかで、みんな冬用のコートとか着て外出していた。これでは寒いなあとみんな口を揃えて言っている中で、杉ちゃんのように着物を着て外出する人は珍しい存在であった。みんな、着物姿でバスを待っている杉ちゃんを見て、変な顔をして眺めていた。
その中で、もう一人着物を着てバス停に歩いてきた男性がいた。彼はとても暗い顔をして、右手に五線譜のたくさん入ったカバンを持っていたが、左手は、ついていなかった。その男性を見て、杉ちゃんも誰なのかわかったらしい。
「よう!フック船長じゃないか!」
杉ちゃんに声をかけられて、その男性はびっくりした。
「何だ、杉ちゃんじゃないですか。脅かさないでくださいよ。それに僕はそんな悪役と一緒にされては困りますよ。僕はフック船長ではなくて、ちゃんと植松淳という名前があるんですから。」
つまりこの男性、杉ちゃんに日頃からフック船長と呼ばれている、植松淳さんであることがわかる。
「まあいいじゃないか。そういう親しみやすいあだ名を持っておくことも、作曲家にとって必要なことだと思うんだ。で、どっから来て、どこへ行くんだよ?」
杉ちゃんに聞かれて、フックさんは困った顔をした。
「そうか、また曲を作って依頼主に叱られたか。」
杉ちゃんがそう言うと、
「いやあ、あの、、、。」
フックさんは更にいいたくなさそうなかおをした。
「図星か。まあ頭に溜めておくのは良くない。ここで吐き出して楽になっちまえ。で、今回は、どんな曲を作れと言われたの?」
杉ちゃんに言われて、
「はい、キャンプソングというジャンルなのだそうで、戸外で子供が集まるときの曲を作ってくれと言われて、それで書かせていただいたんですけどね。」
と、フックさんは言った。
「それが、今没になったわけね。一体なんて言われたんだよ。」
杉ちゃんがそう言うと、
「はい。どうも重たすぎてキャンプという気にはなれないというのです。それに、メロディが子供さんが歌うのには難しすぎると激昂されてしまいまして。それで、もう頼めないと言われました。僕は、作曲家としてはやっぱりだめなのでしょうかね。」
フックさんは大きなため息をついた。
「まあまあ、そう落ち込むな。とりあえずだな、一人で悩んでも何も始まらないよ。今から製鉄所に言って、他の奴らに曲を見てもらったらどうだ?」
杉ちゃんにそう言われて、フックさんはそうするしか無いと思ったのだろうか、
「そうですね。じゃあそうさせてもらいます。バスに乗って製鉄所まで行きます。」
と言った。それと同時に、富士山エコトピア行のバスがやってきたので、二人はそれに乗り込んだ。もちろん、車椅子の人間が、バスに乗り込むと、多かれ少なかれ苦情が出るものであるが、今回は五人くらいしかバスに乗っていなかったため、誰からも苦情は出なかった。定刻通りバスは発車し、富士駅から30分くらいバスに乗って、フックさんと杉ちゃんは製鉄所に到着した。製鉄所では、水穂さんも今日は調子が良かったらしくて、布団の上へ起きて本を読んでいた。
「ただいま帰りました。今バス停でフック船長がいて、なんだか書いた曲が不評で落ち込んでいたので、連れてきたぜ。ちょっとさ、曲を見てやってくれ。そして改善したほうがいいところとか、ちゃんと話してやってくれ。」
部屋に入りながら杉ちゃんは言った。それと同時に、フックさんがすみませんお邪魔しますと言いながら一緒に入ってきた。
「わかりました。一回演奏してみましょうか。じゃあ楽譜を貸してください。一度ピアノで弾いてみます。」
水穂さんがそう言うと、フックさんは、これなんですけどと言って、譜面を渡した。それはピアノソロの譜面であるのだが、途中にどうやら歌詞をつける予定で子供さんに歌わせる予定であったとフックさんは説明した。それに、ヒーリング音楽的な要素を加えてほしいというのが、依頼者からの要望だったらしい。水穂さんは、譜面を受け取ってピアノを弾き始めた。歌があるのかと思われるところは、確かに明るくて弾むようなリズムであったが、曲の後半の間奏部分は、ちょっと暗いというのもうなづけた。
「確かに曲としてはよくできていますが、間奏部分には短調が入ってます。これを子供さんの前で聞かせるというのは、無理があるような気がするのですが?」
水穂さんは弾き終わってフックさんに言った。
「なるほど。短調というのは、たしかに気が滅入ってしまうこともあるからな。」
杉ちゃんがそう言うと、
「ありがとうございます。どうしてボツなのか、よくわからないままでしたので、それは辛かったのですが、水穂さんに弾いていただいて、改めて理由を知ることができました。それは良かったです。やっぱり頭で考えているだけではだめですね。」
と、フックさんは納得するように言った。
「それではもう一回書き直しますね。もう二度と短調は使わないようにします。」
「そうですね、ただ、曲自体はとても美しいと思いますよ。明るいキャンプソングということで、自然の中で子供が遊んでいるような風景を連想されるようなところがあります。その中で、ちょっと繊細な子が居るというような風景を連想させるのがまずかったのでしょうね。依頼主の方には合格できなかったかもしれないですけど、あなたが作曲の才能が無いとか、そういうことは考えてはいけませんよ。植松さん。」
水穂さんはフックさんを励ますように言った。
「だから、この楽譜は捨てないでくださいね。新しい曲に書き直してしまう前に、失敗は成功の母であると考えてもいいと思います。それになにかの役に立つかもしれないし。」
「そうですか。もう捨てようかななんて思っていたんですが、保管していたほうがいいんですね。ありがとうございます。それではこの譜面も捨てないで取っておきます。」
フックさんはそう言って、譜面をカバンの中にしまおうとしたが、
「失礼致します。今弾いた曲は誰の作品なんでしょうか。あの、失礼ですが、もしよろしければ楽譜の出版社などを教えてもらえませんか?」
そう言いながら竹村さんがやってきたのであった。竹村さんこと、竹村優紀さんは、現在クリスタルボウルという楽器を使って、人の心を癒やす演奏活動をしている。ピアノとはまた違う、寺の鐘のような独特の響きをするクリスタルボウルは、障害があるとか、精神疾患がある人などに、その度合に関わらず楽しめるとして、人気を得ているのであった。
「出版なんかされてないよ。たった今書いたばかりなんだよ。フック船長が。」
杉ちゃんがそう言うと、
「でも依頼された方からは、思くて暗すぎると言われてボツになってしまいました。だから捨てようかなと思っていたのですが。」
と、フックさんは申し訳無さそうに言った。
「捨てるなんてとんでもない。それならぜひ、僕に使わせてください。クリスタルボウルとのセッションに利用したいんです。あ、もちろん著作権はフックさんにあるのでしょうから、利用料はちゃんと払いますよ。今の曲、録音させてもらえないでしょうかね?どうですか、水穂さん、もう一度弾いていただけますか?」
竹村さんはとてもうれしそうに言った。良いものが見つかったので、とても嬉しいのだろう。
「どうですか、一度でいいですから、録音させてもらえませんか?」
「わかりました。もうどうせ、捨てるしか無いと思っていましたので、どうぞ録音でもなんでもしてください。なにかの役にたてるのなら、嬉しく思います。」
フックさんはそういった。竹村さんがスマートフォンを出して、録音するアプリを立ち上げると、水穂さんがもう一度ピアノを弾き始めた。改めて聞いてみると、ブラームスの間奏曲イ長調に近いものがある気がした。たしかに、キャンプソングには不向きなのかもしれないけれど、使い方を変えればいいものになるのかもしれない。
「はい。ありがとうございます。セッションで利用するため、所々に手を加えるかもしれませんが、それはお許しください。あと、フックさんに利用用として、一万円お支払いしておきますね。」
竹村さんはフックさんに一万円を手渡した。フックさんはありがとうございますと言って一万円を受け取った。
「まあ良い方へころんだから、それで良かったじゃないか。失敗も見方変えればいいものになるさ。良かったねえ。」
杉ちゃんに言われて、フックさんはハイだけ言った。
それから数日後。皆、何事もなかったようにときが過ぎていったのであるが、フックさんはまた製鉄所に呼び出された。製鉄所と言っても、鉄を作るところではなくて、福祉施設なのであるが、それとは関係なく、なにか相談があると杉ちゃんから電話があったのである。一体なんだろうと思って、いってみたところ、また製鉄所に竹村さんが来ていて、今度は一人の女性も一緒であった。
「こんにちは。こちらの方は、笛子奏者の、笹本さんです。」
と竹村さんが紹介した。なんだか、日本人離れした、怪しい美しさがある女性で、ちょっと、性的な労働にも関わったような雰囲気がある女性であった。でも昔はオペラ歌手もそういうもんだったと杉ちゃんはその一言で片付けてしまった。
「彼女は、昨年、僕のところにクリスタルボウルのセッションを受けに来てくれましてね。それ以降、人を癒やす仕事がしたいということになりまして、それで僕のところに弟子入してくれたんです。」
と、竹村さんは言った。
「それが何だって言うんだよ。竹村さん早く要件を言ってみろ。」
杉ちゃんに言われて、竹村さんは、
「それなら、彼女の方から言ってもらったほうがいいと思いますね。それではどうぞ僕に言ったように、要件を話してみてください。彼女は、不安障害を抱えていますので、ちょっと人に話を説明するのに、難しいところがあると思いますが、でも、頑張って要件をつたえるのも、必要なのではないかと思います。」
と、隣に座っている女性に言った。
「こ、こ、こ、こんにちは。私は、笹本実花です。実は私の笛子で、あなたの曲を演奏させて頂きたいのですが、お願いできませんか?」
「はあ、えーと、そうですか。」
思わず、フックさんは言った。
「あなたの曲と言われても、僕が書いたのは、」
「ほら、この間没になったと言われましたあの曲ですよ。あれをクリスタルボウルに編曲させて頂いて演奏してみたところ、大評判になりましてね。それを聞いた実花さんが、笛子とピアノに編曲してぜひ演奏したいと言い出したんです。どうですか、やらせてもらえないでしょうかね。それとも、部外者が、あなたが作った曲を演奏するのは嫌ですかね?」
竹村さんは、フックさんにそう話を持ちかけた。
「い、いやあ、あの、その、僕はその、なんと言ったらいいのか?」
「つまり、民族楽器で演奏されるのは、考えてもいなかったですか?笛子は中国の民族楽器ですよ。日本には清笛と言われて長崎に伝わっています。」
フックさんが返答に困っていると、水穂さんがそう言ってくれた。
「は、は、は、はい。笛子とか清笛なんて、どんな音なのか聞いたことがなく、正直困っております。」
フックさんは正直に自分の意見を言うと、
「そうか。今、笛子持ってるか?」
と杉ちゃんは彼女に聞いた。実花さんが持っていますというと、
「ほんなら今、吹いてみてくれ。」
杉ちゃんは単純に言った。実花さんはわかりましたと言って、カバンの中から笛子のケースを取り出して、中身である笛子を組み立てた。そして、その場に直立し、
「ドビュッシーのシュリンクスを吹きます。」
と言って。文字通りドビュッシーのシュリンクスを吹いてくれたのであるが、フルートと違い丈でできていて、中に竹紙と呼ばれる竹の特殊な膜が貼ってある笛なので、フルートのような優しい音ではなく、まるで火災報知器のような、ビービーという音がなった。それでドビュッシーのシュリンクスを吹くのはちょっと合わないのではないかという気がした。
「うーんそうですね。その音色で、さっきの植松さんの曲を演奏したいというわけですか。まあ、能管ほどじゃないですけど、音に時々ビーという雑音が入るのをアジア人たちは良しとしてきたんでしょうね。でもですね。何でも西洋音楽を、民族楽器で適合するかと断定してしまうのはいかがなものかと。」
水穂さんはみんなの気持ちを代弁するように言った。
「まあ尺八で、シュリンクスを吹いている奏者もいるが、尺八だとより妖艶さがますが、清笛はどうかと思うぞ。良い方に転ぶことも、そうでない方向に転ぶこともあるな。」
杉ちゃんも腕組みをしてそういった。
「や、やっぱり、いけませんか?」
実花さんはそういった。その表情からするととても緊張しているようだ。
「いけないというか、楽器には向き不向きというものがあるだろう。フルートと笛子じゃ全然音が違うでしょう。そこをよく考えろ。今の音で、さっきのフック船長が書いた曲を、吹いてみたらどうなると思う?それを想像するのも大事なんじゃないかな。」
杉ちゃんがそう言うと、
「そうですよ。シュリンクスは、フルートのために書かれた楽曲で、清笛のために書かれた曲でも無いし、尺八や能管のために書かれた曲でもありませんから。まあ確かに、民族楽器の入門として、西洋音楽をやらせる奏者は多いですけど、僕はそれは違うと思うんです。やっぱり、民族楽器は、それにあったものが一番良いと思うんです。だから僕は、その笛で、植松さんの作品を吹くのは反対です。そうなったら、彼の音楽もそうだけど、清笛の評判を落とす可能性もあります。」
水穂さんは、音楽家らしい言葉を言った。
「そうですか、、、私、とんでもない間違いをしてしまったのでしょうか?私、今まで笛子を使って、今のシュリンクスとか、愛の挨拶とか吹いてきましたけど、、、。」
実花さんがそう言うと、
「まあねえ、無理というか、向き不向きがあるんだよ。西洋音楽を吹けばいいってもんでもないよね。それじゃなくて、清笛に適した曲、九連環とか、茉莉花とかそういうものを吹くんだよ。それに清笛でシュリンクスとか吹いて、大変じゃなかったの?変な指使いばっかり使うことになるでしょ?」
と、杉ちゃんは言った。
「そうですね。あまり感じませんでした。そんな事。」
そういう実花さんの答えは、笛子だけではなく、琴や尺八などの民族楽器の教育全体に言えることかもしれなかった。何しろ、民族楽器の教室では、西洋音楽とかポピュラー音楽をやらせることが多く、本来の楽器のために書かれた音楽をやらせることは、ほとんどなくなっている。なので実花さんが、笛子でシュリンクスを吹いても、大変だと感じなかったのは、そういう本来の音楽を教育されていないということを示す証拠にもなるのだ。
「なあるほどね。まあ確かに、邦楽や民族楽器を愛しているからこそ西洋音楽をやるんだって、公言していた演奏家もいたけどさ。ちょっと、目的と、対象物がズレてるよね。こういう民族楽器ってのは、嫌いな人は徹底的に嫌いで当たり前なんだ。それよりも少数の好きな人や、その楽器を使っている民族のために使う楽器だからね。だから限られた人にしか理解されないで当たり前だと思わなきゃ。逆にそういうほうが、民族音楽が栄えるってもんよ。そうやってやたらに西洋音楽とか、ヒーリング音楽に手を出しちまうから、民族楽器の本来の良さが伝わらなくなっちまって、それで演奏人口が減っちまうんだよ。水穂さんのピアノや、竹村さんのクリスタルボウルみたいに、誰にでも使える楽器ってわけじゃないって、ちゃんと教えるべきなのにねえ。」
杉ちゃんはカラカラと笑った。
「そうですか。まだまだ民族楽器は可能性があるって本にも書いてありましたけど、それでは行けないってことですかね。でも、笛子でシュリンクスを吹いたとき、とてもおもしろい響きになるって評価してくださった人もいたんですよ。それでもいけなかったのでしょうか?」
実花さんがそうきくと、
「そうですね。そういう意見もあるんですけど、僕は、無理して誰でも西洋音楽をやれという姿勢が問題なのではないかと思います。そうではなくて、ピアノにはピアノの良さがあって、他の楽器には他の楽器の良さがあって、それぞれの良さが伝わる音楽があってという方が、より音楽を愛好できるのではないかと思うんですよ。今の状態では、皆同じ西洋音楽を強いられて、本来の楽器の良さを引き出してくれる曲が、消滅しかかっているという状況でしょ。だから、それがいけないと言うのです。確かに、清笛でシュリンクスをやって、そこから清笛を始める人もいると思いますが、そうなったからは以上、清笛自体のために書かれた作品を保持していく、というのが大事になると思うんです。」
水穂さんは、実花さんに優しく言ったのであった。
「ありがとうございます。とても良くわかりました。私は、まだまだ日本では演奏人口が少ない笛子を、もっと広めて皆さんに知ってもらうためには、植松さんが書かれたヒーリング音楽をやることが必要だと思っていたんですけど。」
実花さんがそう言うと、
「そうしたいんだったらな、笛子のためにある古曲をたくさん勉強するのが大事だよ。無理やり西洋音楽やると逆効果になることだってあらあ。それをちゃんと考えな。」
と、杉ちゃんが言った。
「ありがとうございます。じゃあ、今回のことは諦めて、私も、もっと古典曲を勉強したいと思います。本当に皆さんありがとうございました。それに竹村先生、ここに連れてきてくださってありがとうございました。とても嬉しかったです。」
実花さんは頭を下げて、杉ちゃんたちに感謝の意を述べた。そして、置きっぱなしになっていた、笛子をケースの中へしまった。
「いや、良いってことです。僕も、今回作曲家として、どうあるべきなのか、考えさせられました。僕も笛子を引き立てられるような曲を作りたいです。そういうわけで、今回の譜面は、捨てようかな。これからより良い曲を書いていくために。」
フックさんがそう言うと、杉ちゃんは、
「学んだことを思い出すためにとっておきな。」
とにこやかに言ったのであった。
清笛でシュリンクス 増田朋美 @masubuchi4996
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