4.『生命のスープ』を飲み干したのは、だれ?

 ※ ※ ※


 それからしばしのちのこと。

 私は『墓守』に導かれ、暗い洞窟を進んでいた。『墓守』が手にしたランプの頼りない光に、私たちの影が浮かび上がる。むき出しの岩壁に揺れる人影は、まるで追いかけてくる幽霊か何かのようだった。


 不気味な静けさと、周囲を包む深い闇。このランプの光を失ってしまったら、私たちは自分の姿形すら確かめられなくなる。想像するだけで耐えられないというのに、光の外から不意打ちのように伸びてくる白い手が、私に残されたなけなしの理性を静かに削り取っていく。


「やはり気になりますか? 彼らのこと」

 先を行く『墓守』が、気遣わしげな声を投げかけてくる。私はといえば、悲鳴を上げることも忘れ、ただびくりと肩を震わせることしかできなくなっていた。そんな弱り切った様子を面白がっているのか、白い手が躊躇なく髪を引っ張ったり、服の袖を掴んだりしてくる。


「気になるというか。こんなにわらわら出てくるものを無視するのは難しいな……。実際のところ、こいつらは一体何なんだ? 彼ら、と呼称するくらいだから、何かしらの意志を持った存在なんだろうが……幽霊とかではないんだろう?」


 言うまでもなく、白い手たちは幽霊などという具体性のない存在ではありえない。だが、それでは一体何なのかと聞かれても、私の中で答えを探すのは難しそうだった。まあ、限りなく無責任な言い方をするとしたら、こいつらは実体のある幽霊っぽい何か、だろうか?


「仰る通り、彼らは幽霊などではありません。ただ、生き物として分類きるような存在でもないんです。わかりやすく言うなら、『雷霆』のもたらす破壊を食い止めるため、この地に集ったミストリア王国兵たちの残滓……。もっと言えば、前線基地にいた人間すべてを鍋に詰め込み、高濃度の魔法力で抽出して出来た生命のスープの中身が彼ら、としか」


 伸びてくる白い手は人間の成れの果て。そう考えると、私に縋ってくるのは助けを求めているからなのだろうか。真実を知ると憐れだが、闇に引きずり込もうとしてくるあたり、純化された悪意の化身でしかないのかもしれない。


 こんなものを作るなんて、やはりミストリア王国は腐っている。以前からの疑いを裏打ちされて、自然と顔が歪む。


「あまり深く理解できないが、相当にやばい話だってことだけはよくわかったよ。しかし何だ、生命のスープって? まさかミストリアは魔法で人体改造でもしようとしていたんじゃなかろうな?」

「当たらずも遠からず、ですね。事実、大戦中期から末期にかけ、ミストリア王国軍は多くの魔法士を用いて人体実験を行っていました。すべては、自国を勝利に導くため。『神なるもの』を地上へと引きずり降ろし、人間の肉体に封じ込めることによって、生きた魔法兵器として利用する……。その魔法兵器の名を【光冠】といい、実験の完成体はディープヘイデン前線基地にて実戦投入されるはずでした」


 『墓守』はよどみない口調で、極秘事項と思しき内容を述べていく。平淡な言葉からは深刻な雰囲気は伝わってこない。だが、それがすべて事実なのだとしたら、なかなかに狂った実験が繰り返されていたのではないか。


「その【光冠】とやらはどうなったんだ? これだけ『雷霆』に破壊されてしまっていては、すべて消し飛んでいそうだが」

「……【光冠】本体は自壊しました。しかし、その意志は今もこの地に縛りつけられています。あなたにまとわりついている『彼ら』も、【光冠】の一部でなんですよ。あの強い光はこの地を守る代わりに、ありとあらゆる命を取り込んで同化してしまった」


 つまり、私の知っていたオーリはもうどこにもいないのだ。万に一つも生きているとは思っていなかったが、ランプの光が浮かび上がらせるこの闇に、弟の意識は溶けてしまったのか――。


「……『彼ら』は、『オーリ』でもあるんだな」

 私の呟きに、『墓守』は無言で首肯した。伸ばされる白い手、暗がりからこちらを見つめる赤い瞳たち。これらすべてが弟の一部であり、もう二度とオーリが戻らない証でもある。『オーリ』は確かに死んだ。それでも弟のかけらは、この地の底で未だ五年前の悪夢に取り残されているのだろう。


「教えてくれ。オーリはどうやって最期を迎えたんだ」

 私は『墓守』の背に手を伸ばした。結局、今の私にできるのは、オーリが本当に死んだという事実を確かめることだけなのだ。たとえ、弟が闇の向こうから私を呼んでいたとしても、彼を救うすべはない。何もかもが手遅れで、すべてが虚しくて。それでも私は、オーリの結末を知らずにはいらなれない。


「……オーリ・S・セレスティライト。彼は、今もあなたのそばにいる」


 漆黒の外套に手が触れる。刹那、振り返った『墓守』が私の手首を強くつかんだ。骨ばった手にぬくもりはなく、空っぽな冷たさだけがそこにあった。生きている存在であるはずなのに、目の前に立つ青年からは命の気配が感じられない。それはさながら、生きながらに死に逝くがごとく。がらんどうな器に宿るだけの何者かは、私を見つめたまま、祈るような声で呟いた。


「……許さなくていい。許されなくてもいいから……どうかもう振り返らないでくれ。真実に価値はない。理由に意味なんてない。理不尽に奪ったことは永遠に罪で、代償を支払ったところで壊れてしまったものは二度と戻らない。だからもう、ここで終わりでいい。そうだろう皆? 『おれ』はもう」

「お前は……まさか」

「お願いだ、【オリオール】。もう一度だけ導いてくれ。誰も救えなかったこの命に、本当の終わりを与えてくれ」


 願いのように、呪いのように。奇跡を求めて紡がれた言葉は、闇を切り裂く光となって、私たちを飲みこんでいった――。


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