第2話 魔女と幼児

「まじょさまー。ごしていのやくそうをあつめおわりましたー」

「よしよし。アカゴは優秀だ」


 あっという間に5年が過ぎた。


 魔女は、乳児に呼び名を付けた。

 名前を与えてしまうと、本当に魔女の弟子になってしまうから。


 思案した魔女は、乳児もかつては赤子だったので、と、赤子と呼ぶことにした。


 赤子ではなく、アカゴ。

 髪が美しい紅玉こうぎょくに似た色だったから。


 魔女、魔術師の弟子になるものは、弟子になる時に生来の名前を置き、師から頂いた名前へと変わる。


 魔女も、この呼び名には無理があるのではないか、と思わなくはなかった。

 だが、魔羊ネエネエが『大丈夫ですねえ』と言ってくれたので、安心していた。


 実際、アカゴは健やかに成長している。


「あのような生まれのこの子に、魔女の辛い修業をさせたくはない」

『そうですかねえ』


 ひとり言にそう返したのは、朗らかでふくよかな乳母。

 人型に変化をした魔羊ネエネエである。


 魔羊の乳は人の子の母乳の代わりに役立てられるほどに栄養価も高い。

 しかも、ネエネエは修業を積み、人型にも成れる優秀な魔獣。


 だから、アカゴをここまで健やかに育てたのは、ネエネエだ。

 少なくとも、魔女はそう思っている。


「ネエネエはぼくのかあさん。まじょさまは、ぼくの……だいすきなかたです」

 アカゴもそう言っているのだから、この考えに間違いはない、と思う。


『そういう意味ではないですねえ』

 ……思考を読まれた。


 何が違うというのか。


 ネエネエの言うことはたまに分からないことがある。

 自分で言うのもどうかとは思うが、優秀な魔女のはずなのだが。


「とにかく、あの子はいつか、ここから出してやりたい。だが、王宮には渡さん」

『それは……そうですねえ』


 あの時、赤子の記憶を読んだ魔女とネエネエ。


 アカゴの母は、王宮に勤める魔術師だった。


 資格がある女性が全て、魔女と名乗る訳ではない。

 逆に、魔女が魔術師と自称してもかまわない。

 極端な話、魔法学校の魔女科に男性が入学してもよいのだ。ただ、やはり女性に適した魔法の課題が多いので、心が女性、という男性が入学することがたまに、ではあるが。


 森の魔女は、先代様が魔女を名乗っておられたので魔女なのだ。ただ、それだけ。


 なんとなく、魔女、魔術師。それがまかり通る国なのである。


 魔女や魔術師が弟子を取り、育成することは学校で学ぶことよりも高度とされている。

 一人の師に弟子は一人だけ、と定められているからだ。


 もちろん、魔法学校を優秀な成績で卒業することもこの国では誉れである。


 若い頃のアカゴの母も、そのうちの一人。学校を首席で卒業して資格を得た、優秀な魔術師だった。    


 アカゴの母は、卒業後、薬草園で出会った王子と恋仲となった。


 王子は第五王子なので、王太子でもない。


 いくらかの地位をもらい、魔術師と幸せになる。それが夢という、なんとも穏やかな王子だった。

 王も、それを許した。理由は、魔術師が優秀だったから。


 魔女に守られたこの王国には魔女、魔術師を縛る法律はない。犯罪は当然裁かれるが、所属は本人の自由。

 優秀な魔術師がこの国に留まってくれるなら、と考えたのかも知れない。


 結婚式も無事に終わり、地方の管理官として赴任する夫に付いて、馬車に乗った妻。


 その馬車が、襲われた。


 王子ではなくなった為に、元々それほど多くもなかった護衛が、優秀な魔術師がそばにいるからと、更に少なくされていたからか。

 はたまた、既に身重であった妻が、魔力を胎児に与えていて、魔法を存分に使えなかったからなのか。


 賊の襲撃。旗色は、とても悪かった。

 夫は死力を尽くして妻と、妻の信頼する有能な侍女を逃がした。

 逃げた先は、魔女や魔術師が住む街。魔力を持つものに優しいそこで、妻は無事に子を出産した。


 その子は、赤い髪と、有り得ないほどの、魔力を持つ赤子だった。

 赤い髪は王族に多い色ではあるが、そこまで珍しいものではない。だが、膨大な魔力。これは、知られてはいけない。

 魔女を、魔術師を尊ぶ所以ゆえんの一つ。この国の王族で、高い魔力をもつものは稀なのである。


 そんな王族の中に、膨大な魔力の子。

 臣下となった第五王子の子であろうと、些末なことと、継承順位を繰り上げても、という声が出ないはずがない。


 知られてはならない王族の血族たる乳児は、すくすくと育ち、逆に、母は衰弱していった。それでも、母は、幸せそうではあったが。


 数ヶ月後。乳児は赤子となり、有能な侍女は全てを理解した。


 赤子は、自分の主、母の魔力を吸収しているのだ、と。


『御子を、魔力に長けた方に預かって頂きましょう』

 泣く主をさとし、赤子を預かる侍女。


 『この御子が、母君を苦しめたのが自分であると知ったらどうお思いになられますか。貴女様にもしもがあってからでは遅いのですよ』という言葉。

 母は仕方なく、肯いた。


 侍女は、魔術師と第五王子の伝手つてで、王宮の頼れるものに子を託した。

 優秀なのに奢らぬ魔術師と、穏やかな第5王子を好ましく思うものは確かに存在していたのだ。


 そして、森の奥の奥の魔女様ならば……と頼れるもの達は考えたのだろう。


 身を守る手厚い術を施された赤子は、こうして、魔女への貢ぎものになったのだった。


 母から離れた赤子の色々を記憶として残しておいたのも、魔術師達であった。


「ネエネエの手のものが賊を調査……。もしも、アカゴが母君や侍女と共にこの国から出たいと言うならば、出国を手伝ってやらないとな」

かたきを調べるのは、よいことですねえ。ネエネエの配下も、頑張っておりますねえ……でも、国から、はどうでしょうねえ』


「母君もアカゴとならば、この国を出たいのでは? 魔力が強すぎても普通に生きられる国も、あるのだぞ」

『そうですが、魔女様はこの国におりますねえ』


「まあ、しばらくはな。だが、何故わざわざ私がこの国に居ることを確認したのだ?」


『魔女様は、それでいいですねえ』

 いいです、とは言われたが、何がいいのだろうか。


 分からないのだが、と魔女が言うのを待たずに、ネエネエは魔羊の姿に戻り、アカゴに声を掛けた。


『アカゴ、お昼寝の時間ですねえ』


 お昼寝。

 昼でも、夜でも。


 ふかふかとしたネエネエの羊毛にくるまれるようにして眠る、アカゴの姿。


 魔女は、それを見るのが大好きだ。


「やはり、アカゴを育てたのはネエネエではないか」

『そうかも知れませんねえ。でも、アカゴが一緒にいたい方は、魔女様ですねえ』


 やっぱり、よく分からん。今度こそ、そう言おうとしたら。


「まじょさま……いっしょにおひるね、いいですか」 

 白い肌の、その頬を髪の色のように赤く染めるアカゴだ。


 かわいらしい。悪い気はしない。


「まあ、よかろう」

 魔女が肯くと、王宮の貴賓室に敷かれていてもおかしくはない豪奢な絨毯がふわりと飛んできて、草の上に敷かれた。


 昔からの貢ぎものの一つ。あと何枚も、何十枚もある。


 絨毯の上に、ネエネエ、アカゴ、そして、魔女。手と、それから、靴を脱ぎ、裸足になった足、絨毯に清浄の魔法を。


『やはり、悪くはないな』


 そして、ネエネエとアカゴを見ていた魔女も、いつしか、静かにまどろみ始めるのだった。










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