鶴の一声

 ホテルで意外な兄のトラウマを垣間見てから、何かと気になることが多くなった。とはいえ、3月は兄の教派いえでは復活祭イースターの準備が始まり、1年でいちばん忙しい。

 それでなくても3月は決算のために多くの『個人事業主』が駆け回ることになる。マーティンもその1人で、教会運営なんてやっていると、結構税務署が厳しい。

 だ、と言うのに。

 この忙しい時期に、うっかり外に出て、ぼんやりとカフェで過ごしていた自分が悪かった…、のか?

 席が混んできたので、相席をお願いしてくる女性がいたので、どうぞどうぞお構いなく、と、座ってもらったのだが、ふと女性が言った。

「あの、神様っていると思いますか?」

「僕は牧師ですので、そう思っていますが、どうかなさいました?」

 この女性からは酷い焦燥感を感じ取ったので、てっきり人生に行き詰まった人かと思ったのだ。


 そんなことはなかった。


 これがウワサの、と、500年前の学問せいしょでも言わなかったような、ツッコミどころが満載のトークが始まってしまった。普通の人間であれば、「そういうの興味無いんで」と、去れるのであるが、自分たちは、裏を返せばということでもある。

 正直なところ、種類の僧を見たことがあるし、自分たちというのは信仰が形を持ったものだから、早い話がイワシの頭が自走しても不思議では無い。

 ただ、分からないのは、何故自分がここで動けないのか―――という事だ。

「ね? 仏法って凄いでしょ?」

 凄いも何も、死人の顔が白くなったり黒くなったり、はたまた腐らなかったり、なんてものは、牧師をかたどったなら珍しくもなんともない。人は理由を求めることで理不尽なことを受け入れる生き物だ。入信したから、背信したから、という理由とその結果や心境の変化に、科学的な関係性は見いだせない。

 彼女の弁は、500年、伊達に戦争やら殺人やら奉仕やらの理由付けに使われてきた自分には、荒唐無稽を通り越して、「耳にタコ」である。正直なところ、「ああ、あいつも似たようなこと言ってたな」の、連続だ。

「…でも、そのように堅固な信仰を持っている貴女は、どうして僕を必要としているんですか?」

「いいえ、私が貴方を求めているんじゃなくて、上人様の話をもっと聞きたいと、貴方の魂が求めているから動かないんです。」

 上人ではなく、目の前の女性の本音はなしなら聞くつもりがあるが、如何せんそのように言っても逆効果だ。

 ついでに言うなら、今言われたことに関しては一通り自分の経営するアパートで、二律背反に気づかず言っている入居者かめいしゃが何人かいるので、その点でも反論できる。

 だが、それをするのは悪手のような気がした。

 そういえば、最近下のベビーが、自分のことを「生臭坊主」とあだ名を付けてごっこ遊びしていたが、はて、あれはなんというアニメだったか。何となく全く関係ないことを思い出す。

「お、マーティン。お前も隅に置けないな。俺も仲間に入れてくれよ。なんの話してたの?」

 ぎょっとして女性の後ろを見ると、一体いつのか、兄がいた。このカフェは禁煙なのだが、タバコ臭い。

「どうぞいらしてください。日蓮上人さまのお話をしていたんです。」

「ああ、ありがとう。俺はこいつの兄でね、一応神父だが、仏教もそれなりに嗜んでいるし友人もいる。『大乗起信論だいじょうきしんろん』と『浄土三経じょうどさんきょう』なら読んだことがあるよ。浄土三経は実に美しい本だ。死後の世界を夢見ることは人を安心させる。」

「???」

 そういえば兄には、禅僧の友人がいたのだっけ。

「上人さまのお話ですか?」

「いや、大乗起信論は『法華経の信仰を持つことはどういうことか』っていう本だよ。お姉さんは読んだことないの?」

「新聞を読んでるので。」

 この女性、SNSは絶対やっちゃいけないタイプだな、と、何となく思った。

 何を思ったのか、兄は女性の話に対して、親身に会話をした。自分が濁したような質問にも、的確に専門用語を使って答える。相手の女性はその度に、自分についてよく知っていることの嬉しさよりも、何故か先程よりも心が荒れている。

「ね? 仏法は素晴らしいでしょう? ご兄弟でやりましょうよ。」

「まあ、確かにな。弟のところの神理解は別なんだが、俺の教派いえの神理解は、本当に仕事をしない。遺族の悲しみに形を成して現れる救いは実に素晴らしいと言えるな。」

 それから兄は、女性の質問責めに答えて言った。質問責めというより、早い話が悪口だ。

 キリストは仕事が遅くて人の祈りは聞かないし、どん底の下を突き抜けても現れるとは限らないからとことん信者に救いはない。毎年毎年世界中で信者がをしていて、正に阿鼻叫喚の地獄絵図、と。

 イライラしながらも、どこか身体の自由が取り戻せていることが不思議でならなかった。彼女がようになった理由は、キリスト教への恨みだったのだろうか。

 それでも兄はやはり、自分の崇拝対象をボロくそにこき下ろしても、時には『他人に薦めるようなご立派な宗教じゃない』とすら言っていても、その存在感は緩いでいない。寧ろ強まっているような気がする。

 

「じゃあ、上人様は絶対裏切らないと確信出来るのに、どうして貴方はそんな不確かな神を信じてるの?」


「信仰に確信とか必要ないから。」


 自分がそのような『存在もの』だからではない。

 信仰とはそのような『もの』だと、兄は証言した。

 その途端、女性はぽろりと、したようだった。


「理屈や閃きを越えた『極地』に至る方法が、法華経にも阿弥陀経にも書いてあったぜ。それこそ浄土三経でも読んでみるといい。」

 行くぞ、と、兄は自分の手を幼子のように握り、立ち上がった。その途端に自分の呪縛も解かれる。

「兄さん、彼女は結局何がしたかったの? 否定?」

「ははは、あと700年も生きてみればおまえも分かるさ。」

「何でそこで年の差れきしでマウントとるんだよ!」

「そりゃあお前―――。」

 兄は決まり顔で言った。

2000だ。」

 娘のごっこ遊びのアニメの名前を思い出し、思わず背中からハイキックをかました。

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Alleluia MOEluia BLuia!〜アムール・サクラメント PAULA0125 @paula0125

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