鉛筆のアルバイト 急


 枝切鋏でススマツの枝をちょん切っていく。手当たり次第に、且つ、種類と本数の均衡を整えて。

 これは軟め2B、これは硬めHB、軟め3B、硬め4H、硬めB、軟めF、硬め2B、軟め5B、軟め3H、

 正直、どれがどれかまるで分からない。硬め4Hなんてスケッチで使用していいのか。硬すぎやしないか。だがこれも、私の無知が故の疑問なのだろう。ぱっつん娘の言うことに同意するのは死ぬほど、否、死んでも御免被りたいが、これが芸術家の世界の常識であるならば、受け入れざるを得ない。


「しかし、まぁ、疲れたぞ。少し休憩しないか」


「もう疲れたのですか? 私はまだまだ刈れますよ。子どもっぽいと思っていたんですが、実際のところはまあまあ歳を食っていたんですね」


 乗らんぞ、貴様の挑発なんかには。公園に群がる土鳩のように首を上下左右に振りつつススマツの枝を分類する小娘を後目に、私は手頃な切株に腰を下ろした。右腿に左足の踝を乗せ、左膝を机として頬杖を突いた。我ながら阿呆らしいほどの尊大な座り方をしていると思う。

 しかし、どうか許して欲しい。私はこの数時間もの間、ぱっつん娘に枝切を強いられてきたのだ。あの傲慢なる小娘はこの非情なる行いを私の為だと認識しているが、私が何時そんなことを頼んだのだろうか。私はただ、楽しく絵が描きたかっただけなのだ。だというのに、無理矢理に筆を握らせては描けるものも描けなくなってしまう本末転倒…………。

 これも全てあの小娘の傲慢の表れに他ならない。我が身可愛さという言葉があれど、彼奴ほどに自らの存在を世界で一番尊んでいる人間は存在しまい。小娘にとって、小娘自身の言葉は、神の預言よりも仏の教えよりも価値がある。故に、己の意見を絶対正義と妄信しているのだ。いや、そもそも小娘は神の預言にも仏の教えにも価値を見出していない。知っての通り、あれは稀代の人間至上主義者だ。


「そこ、座っていたら尻が汚れますよ」

 ふと、ぱっつん娘が分類の手を止めて言った。


「ゴミもかかっていなかった。濡れてもいなかった。汚れることはない」


「やはり子供ですね。学習しません」

 謂れのない愚弄。おまけに鼻で笑ってきおった。


「或いは、知らないのですか? 切株もこの枝と同じ、サイズが大きく太くなっただけです。すなわち、内部構成はこの枝と何ら変わりは無いのだと」


 ぱっつん娘が手に持った硬め4Bのススマツの枝を突き付ける。赤みが僅かに視認できる樹皮。年輪の中心部位たる髄は、大地から吸い上げられた炭素が凝固され、黒い光沢が放たれていた。


「……まさかッ」


 私は立ち上がり、先刻まで座していた場を見た。予想通り──その予想は外れていて欲しかった──切株の中心は、小娘が所持している枝のそれと瓜二つであった。


 そして、私の臀部もまた、黒い光沢を放っていた。


「品の無い蛍ですね」


「やかましいッ、知らなかったのだ」


「少し考えれば分かることでしょうに」

 小娘が呆れるように溜息を吐いた。左斜め上二十一度に切り揃えられたぱっつん前髪が、ふっ、と嘲るように揺れる。


「そもそも、この森林は人の手が入っていないのではなかったのか。何故、ススマツの木が根元からバッサリ伐採されているのだ」


「だから、入っているのですよ。我々のような人間の手が」


 事もなげな表情でぱっつん娘がそう応えた途端、地響きが聞こえた。

 地震のそれではない。高所から重いものが落ちるときの音に似た、地響きだった。そして、轟音は次第にこちらへ近づいて来ていた。



 樹冠の上から、巨大な人面が現れ出でた。



 アルカイック・スマイルを口元に含ませたその顔面が、徐々に空へ上昇していく。それにつれ、胸筋逞しい上半身も姿を見せる。太陽が背後にあるのか、それとも背中自体が発光しているのか、区別はつかないが、巨人が後光を背負っていることは確かだった。


 尋常ならざる眩さを輪郭に纏い、巨人がススマツの幹に手を伸ばす。そのススマツは私の目と鼻の先に位置していた。


 巨人がススマツを掴むと、もう一方の手で根元を叩く。チョップするように。すると、ススマツの幹が水飴の如く、ぬちゃり、と分断されたではないか。

 この動作を繰り返し、巨人が我々の周囲のススマツを次々と分断していく。

 

 ぬちゃり。ぬちゃり。ぬちゃり。


 その光景は私の中の常識を粉々に破砕してしまうほどのインパクトを有していた。

 半径およそ七メートルの範囲に生えたススマツを、ぬぅっちゃぁりぃっ、と分断し終えた巨人は、満足したのか再び地響きを轟かせながら、我々の前から去って行った。


「何だ、何なのだ、今のは」

 驚愕、そして狼狽。私はひたすらに虚空を指で突きながら、そう絞り出した。


「言いましたでしょう」


 小娘がススマツの枝を詰め合わせながら言った。


「人間の手、だと」

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