魔術師の音楽

第23話 プロローグ

「これから鑑賞会をやるけど、文化祭を楽しみたい人は自由にね。じゃあ、みんなお疲れ様」


 部長の崎田さきた祥子しょうこ先輩の声に周りから「お疲れ」とか「お疲れ様」とか声が上がる。祥子先輩は癖の付いた髪に柔和な顔立ちをした親しみやすい先輩だ。

 

 鑑賞会に参加する人たちは次第に減っていく、みんな文化祭を楽しみたいからだ。あたしは文化祭を楽しむ気分にはならなくてここに残っていた。


「私は準備室にいるから何かあったら呼んでね」

 それは午後四時を回ったところだった。祥子先輩が準備室のドアを開ける。


 音楽室には短めの髪に醤油顔の指揮者の松木まつき聖一せいいちさんと癖の付けた髪に目鼻立ちがはっきりしている第一バイオリン担当の有馬ありま麻衣まい先輩、垢ぬけた顔立ちに長髪を後ろにまとめたホルン担当の永井ながい俊哉としやさん、ポニーテールにリスのような顔立ちのフルート担当の西原にしはら由梨ゆいと助っ人のあたし、森里もりさと美弥みやが残っていた。


「部長さんを誘いたかったのに」

 永井さんが残念そうに呟く。

「お前、この前ふられたばかりなのによくやるよな」

 松木さんが目を細めて呆れたように言う。

「文化祭は女子を誘うチャンスだろ」

「永井くん、世間ではそれをストーカーと呼びますわ」

 麻衣先輩が引き気味に言う。

「お嬢に言われたら仕方ないな。お前たちは行かないのか?」


 なぜかあたしたちにも目が向けられて、あたしと由梨は首を横に振った。麻衣先輩ももちろん同じだった。松木さんは無視した。


「じゃあ、一人で行くか。さっきの団体について行けばよかったな」

 と残念そうにとぼとぼと歩きながら永井さんが音楽室を出て行く。



「ここのバイオリンすごい好きだな。美弥はもうバイオリンはやらないの? もったいないよ。バイオリニストの卵がバイオリンに取り組む気がないなんてさ」

「事情があるのよ」


 本当のことは言いにくい。昔はバイオリニストを目指していたが中学のときの怪我で左手には少し麻痺が残ってしまった。普通に生活する上では問題がないが、精密さを求められるバイオリニストにとっては厳しい後遺症だった。

 あたしの左手の麻痺は音楽教室が同じお嬢の麻衣先輩と部長の祥子先輩だけは知っている。


「そっか」


 由梨は察してくれたのかそれ以上聞いてこなかった。


「今回のコンクールには出ませんの?」

「それは他の人にお願いします。今回は急遽参加できなくなった人の助っ人ということで参加したので」

 

 麻衣先輩の視線が痛い。先輩は努力家で音楽に対しては人一倍熱い人だ。


「音楽を辞めても、家で練習していたんだろう」


 松木さんが言った。この人は指揮者としては名の知れた高校生だ。失礼でいい加減な性格からあたしはあまり好きじゃなかった。


「やっていましたけど、それが何か?」

「もったいないなって」

「本気で頑張っている人たちのいる中で、趣味では勝てませんから」

「ま、音楽家として食っていけるのは一握りの人間しかいないのが現実だからな」

「先輩の言っているのは確かにそうですけど、音楽家にならなくてもここでコンクールをみんなで目指すことに意味があるんじゃないですか?」

「その通りだ。楽しめれば俺はいいと思う。人生なんて楽しんだもの勝ちだしな。まさに君だろ。答えが出ているんじゃないか?」


 自分から出してしまった答えをあたしは否定できなかった。悔しくて松木さんを睨んだ。


「楽しみすぎて、人の話を無視するのはどうかと思いますけど」

「興味ない話なら僕は聞く気にならんよ」


 興味なさそうに楽譜を眺めていた松木さんは立ち上がり音楽室を出て行った。ほんといい加減な奴。



「ねぇ、ミステリー部って何をしているの? 今回の文化祭では何もしてないみたいだけど」

 麻衣先輩がトイレに向かった後、由梨が聞いてきた。

「確かに何もしてないね。普段は事件の調査とかかな?」

「それ、学生じゃないよ」

「そうよね」

 あたしは思い出しながら笑う。

「いつも誰が解決しているの?」

 と聞く由梨の目は輝いていた。

「颯太よ。本人はミステリー好きだって謙遜しているけど」

「うちの探偵だよね」


 うん、それは間違いないと思う。本人は否定しているけど、


 麻衣先輩が戻ってきて話はそれまでになった。先輩は準備室のドアに手をかけた。


「祥子、入るわ。……えっ」


 麻衣先輩の悲鳴が聞こえた。あたしたちは驚いて立ち上がり麻衣先輩の元に向かう。


「どうしたんですか麻衣先輩?」


 麻衣先輩は準備室内を見ていた。その準備室では祥子先輩が倒れていた。それも頭から血を流している。祥子先輩の意識はないがまだ息はあった。


 止血しないと。

 

 あたしはスカートのポケットからハンカチを取り出して、額から流れている血の傷を抑えて止血する。


「由梨、警察と救急車を呼んで!」

「わかった!」


 入り口で麻衣先輩が座り込んでいる。部屋をさっと見回してみる。廊下側のドアは閉まっていた。近くには椅子と机があり、床には直立したメトロノームが落ちていた。

 

 そのメトロノームの針には血が付いていなかったが、なぜかその奥の目盛りには血が付着していて針自体は留め金で留められていた。それが凶器かと思ったけど、床にはもう一つ重そうな血の付いたトロフィーが落ちていた。確か、棚に飾られていたものだ。 



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