英雄譚(45) ヒーローはもう迷わないから。


「ちょっ、ちょっと、ねぇ――フー!!?」

「いいから……そう、こっちに来るのよ」


 ようやく長い一日が終わると思いきや、ひろとは自分の部屋に戻るなりベッドへと押し倒されてしまった。


 ジークフリートは既に全裸で、ひろとも仕方なく脱ぐ羽目に。ひろとは聖気を消耗しすぎた。彼女と同調して、聖気を供給してもらう必要はあるだろう。


「フー?」


 そんな風に受け入れたひろとだったが、今日の彼女は、様子がおかしい。


「良かったわ、ヒロ……あなたが無事で、本当に、良かった」


 ジークフリートは喉を震わせながら、ひろとを抱擁している。

 自分が思っていた以上に、彼女に心配をかけてしまったことをひろとは理解して、ただ彼女に抱き締められた。


「壊れてしまうんじゃないかって、心配だったの。さっきの戦いだって、そう……わたしは、ヒロを死なせたくない。だから、こうして戻ってきてくれて、本当に……」


 フリオースとの初戦から、強化合宿、強敵との再戦、そして芹澤葵の撃破。

 ひろとは、どこかで命を落としてもおかしくなかった。

 いつも無茶してばかりな彼を、ずっと支えてくれたのが相棒の彼女だ。

 小さな英雄は、今一度最大限の感謝の念をジークフリートに懐く。


「ボクに力を貸してくれて、いつも支えてくれてありがとう、フー」

「いいのよ。ヒロは、わたしの【夢】なんだから」


 ひろとはそこで、あの時に聞き忘れたジークフリートの言葉を思い出す。


 彼女の夢。それは人々から憧憬の眼差しで見られたり、人々と共に暮らせる日々であったりと、かつてジークフリートは幸福な英雄像を懐いていた。


 しかし、彼女に待っていた仕打ちは全く逆のもので、ジークフリートは世界のためにと、心を殺して《部品のひとつ》になることを決めた。


 自分が真のジークフリートで、誰かと支え合って生きていくことなど、もはや望むべくもないのだろう。


 だが、悠久の時を経て、ついに彼女は自分の【夢】を託す先を見出せた。

 何もかもを諦めた自分とは違う、全てを救済する小さなヒーローに……。


「わたしじゃあ、果たせなかったものね。どれだけ頑張っても、この小さな身体が枷となって、疎まれる日々を過ごしていたわ」


 ジークフリートは起き上がって、己の体躯をじっと見つめる。

 小さい。ひろとよりも小さくて、線の細い身体だ。


「ねぇ、ヒロもそう思うでしょ? ――あら、ヒロ?」


 そう聞かれても、ひろとは顔を背けて、彼女を直視しないようにしている。


「なっ、なにかな」


 頬を赤らめて、見ないようにと顔を横に倒しているひろと。

 そんな彼の反応があまりにも分かりやすくて、少女の慎ましい笑みがこぼれた。


「あら? ヒロはこんなわたしでも、異性として見てしまうのね」

「もちろんだよ。だってフーは綺麗だし、とっても可愛いのに、すごく強くて、品があって……ボクは、ひとりの女性として見ちゃうよ」


 しかしひろとは、口にした矢先に失言があったことに気付いて、


「可愛いっていうのは、バカにしてるわけじゃないから! 昔、フーが周りから言われていたような意味じゃなくて……ただ純粋に、可愛いって思えるんだ」


「それは……どうして?」


 自分の心の中にある思いを赤裸々に語るのは、いささか羞恥を催すところがある。

 しかしひろとは、彼女に誤解を与えるわけにもいかず……。


「だって……フーっていつもは凛々しいのに、誤魔化したり、なにかやらかしちゃった時は、顔を赤くするでしょ? あと、たまに見せる笑顔も、とっても似合ってると思うし……身体つきのことじゃなくて、仕草とか、性格とか、ボクは可愛いなって」


「ほんとに思うの? ――こんなわたしが、女性として可愛いんだって」


 棘を含ませた語調が気になって、ひろとは彼女へと顔を向ける。


「……フー?」


 その顔つきは――切なそうで、嬉しそうで、けれどやっぱり寂しそうで。

 眉尻は困ったように垂れているけど、唇の端はほんのすこし上がって見える。

 眼差しは緩く、でも揺らいだ瞳には、疑いの気持ちも窺える。


「うん、そうだよね……きっと、フーは」


 長きに渡り現世に留まっている少女は、大英雄として名を馳せる前からも、女の子として扱われることはなかった。彼女が受けてきたのは、迫害と試練ばかりだ。


 蝶よ花よと愛でられるような少女らしい過去も、勿論なかった。


 いくら契約者のひろとからとはいえ、ジークフリートがポジティブな意味で「可愛い」と言われることに、戸惑ってしまうのは必然だったのだろう。


「本当に、そう思えるのかしら。わたしは、野蛮な竜殺しなのに」

「可愛いし、綺麗だよ。ウソじゃない」


 そう断言するものの、彼女は不安げに俯いている。


「あっ……ちょっと、ねえ、フー!?」


 強引に手首を掴まれて、ひろとは彼女の慎ましい錐に触れることに。

 軟らかな感触が手先から伝い、耳まで真っ赤にするひろと。

 しかしいまに限っては、ラブコメをしている場合ではないと、ひろとはジークフリートの緊迫した面持ちから察せられた。


「ねぇ……ちゃんと、見て。これでも本当に、わたしがカワイイって思えるの?」


 その身体の様相を見て取ったひろとも、彼女の真意に理解が及ぶ。


「……フー」


 月明かりに照らされた彼女の肌には、無数の傷跡が露わとなった。

 それはおそらく、竜血を浴びる前――再生能力を得る前に受けた、歴戦の傷跡。

 ぷっくりと膨らんだ胸には、刺し傷や切り傷が残り、腹部や臀部にも同様に、抉られたような生々しい傷跡が見える。


「ちゃんと、全部……見て、触って」


 腕、足、股、首、背中、お尻、お腹……どこを見ても傷だらけで、指を這わせると、ざらざらとした感触が伝わった。前髪をたくし上げると、おでこにも縫ったような痕が見えた。

 それは守るべき人々に、石を投げつけられて、できた傷跡――。


「いままで、隠してきたの。……醜いって、分かっているから」


 ひろとの胸がズキンと痛くなる告白だった。


 これだけ傷に塗れた彼女に、なお「可愛い」というのは、自己満足に過ぎないだろうか。

 そんな下らない考えが過るも、ひろとの決断に変わりはなかった。


「可愛いよ。フーは、とっても可愛いんだ」

「……っ」


 ジークフリートは、愕然と目を丸くした。

 彼女はずっと、自分は醜い人間だと思って生きてきたんだろう。

 そんな自己否定ばかりし続ける彼女も、ひろとはやっぱり可愛いんだと思える。


「言ったでしょ、ボクは、フーの仕草とか、性格が好きなんだ。もちろん、外見も可愛いって思うけど……でも、ボクはこの傷が、醜いとは思わない」


「どう、して。だって……こんな傷、普通は――」


「みんなを守るために、受けた傷でしょ? そんなの全然、醜くなんかない。むしろ美しいに決まってる」


「美しい……」


 ジークフリートは自分の身体に視線をやって、この気持ちに整理をつけてみる。

 ひろとがウソを言う性格じゃないのは、分かっている。だが、これまで自分が受けてきた仕打ちの数々を振り返ると、まだ不安に思ってしまう。


「わたしは……カワイイのかしら。ヒロはわたしを、女の子として……」


「見てるよ。だから、いつも視線を外しちゃうし、恥ずかしくなっちゃうんだ。フーは、とっても可愛くて、綺麗で、素敵な女の子だから」


「……っ」


 ジークフリートは、気恥ずかしそうに口ごもった。悲鳴のような、歓喜のような声も小さな口から漏れて、それがどういった気持ちだったのかは、ジークフリートにも理解できていない。


 だから彼女は、ソレを確かめるように、ひろとの胸に手を当てた。


「動悸が……激しく、なっているわね」


 ひろとは、誤魔化すように目を逸らした。


「言ってるでしょ……フーは、可愛いんだって。そう言う、フーだってさ……」


 バクバクと、鼓動を高鳴らせるフジークフリート。

 その追及を避けるように、彼女は話をひろとへと流して、


「わたしを……異性として、見ちゃっているのかしら」

「もちろん、だよ。フーは、可愛いんだから」

「でも……そのカワイイっていうのは、どこから来てるの」

「どこから、って……」

「わたしは……分からないの。本当に……コレが、どういう感情なのかすらも。だから……もしも、《そう》だと思ってるのなら……わたしはヒロに、預けてみるわ」


 ジークフリートは、願うように瞳を閉じて、少しだけ口を開けた。


「フー……」


 なぜ、ジークフリートの鼓動が高鳴っているのか。

 なぜ、ジークフリートは目を閉ざしてただ待っているのか。

 いくら鈍感なひろとにも、彼女の気持ちと想いは伝わっている。

 おそらくが《そう》で、ひろともまた、彼女を《そう》意識している。

 ジークフリートは自分の……憧れでもあり、希望でもあり、恩人でもある。


 だが、そう言った英雄としての《目標》として見る前に、ひろとはあの時、確かに心を引き寄せられた。


 彼女と出会った、初めての夜――月明かりの元で、燦々と輝いて見えた彼女に、思考の全てを奪われた。知り合っていく内に、その内面にも惹かれていった。


 それらを振り返っている内に、ひろとは自然と、身を乗り出していて、


「あっ……」


 甘い吐息が、一つだけ漏れた。ジークフリートの震えていた桜色の唇は、次第に安心の色を帯びていく。身体も強張っておらず、頬には安堵の赤らみが浮かんでいる。


 時間にすれば、たった数秒にしか過ぎないほんのひと時。

 だがそれは二人にとって、永遠にも思えるくらい、甘く、また長くも感じた。


「「……」」


 顔を離すと、二人はしばし黙り込んだ。

 この瞬間だけは、大英雄も小さな英雄も、年相応に子どもらしく見えた。


「ひろとも、初めて?」

「……うん」

「変わってるわね。悪魔とも、魔女とも呼ばれた女の唇を奪うなんて」

「自分を悪く言っちゃダメだよ。フーは、とっても可愛いんだから」


 今度こそは、ジークフリートも自信をもって頷けた。


「肝に銘じておくわ。わたしは、とっても可愛いのね」


 にこりと、月すらも霞んで見えるとびきりの笑顔は、ひろとをまたドキリとさせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る