英雄譚(42) ヒーローなら死んでから考える。


「葵さん、無事だったんだね!」


 開口一番、ひろとがそんな呑気なことを言うから、葵は笑いが止まらなかった。


「あっはははははははぁ! ほんとうに優しんだね、ひろと君は! どうして、私が無事だったと思う? どうしてあんな人たちに、大人しく連れ去られたと思う? これも全部……私の計画。でも……まさか、彼を倒しちゃうなんてねぇ♪」


 ……作戦? フリオースと葵が、裏で手を組んでいた?

 やっぱりフリオースの言動は、ただの演技に過ぎなかった?

 ひろとがいっそうと困惑を顔に出すと、葵はまた揶揄うように笑いを零す。


「あっははぁ! ちがう、ちがうよ! 私、あんな雑魚と手を組むほど、落ちぶれてないもん♪ やっぱり、力は正しく使わないと……ね?」


『っ――ヒロ、防ぎなさい!』


 葵が右手を払った瞬間、そこから大気を凍て付かせるほどの強烈な寒波が放たれ、ひろとはすかさず竜の右手で防衛にあたる。


 冗談ではない……いまのは、本気で殺すつもりの一撃だった。


「どういうこと!!? 葵さんは、デスペラードに連れ去られて……それは、ボクをおびき出すためで……」


「だから、ちがうんだって♪ デスペラードは、私が本命だったの。だって、私は【因子】じゃなくて――【反英雄】そのものだからね♪」


「まさか……そんな!」


 そう言えばと、ひろとの脳裏にはこれまでの違和感が過った。


 フリオースですら、【反英雄化アンチヒロイック】は生身のままで、せいぜいが身体に炎を纏うくらいの変身しか見せていない。【火竜ファフニール】の力も、最大限には引き出せていなかった。


 しかし葵は、こんなにも【完璧な竜体化】を駆使して、力も使いこなせている。

 竜の如き蒼き双翼、全身は竜鱗で覆われて、殺意を窺わせる竜の尻尾は先端をくねらせて蠢いている。天を衝く二本の角も、竜の威厳を示す絶対の象徴だ。


 彼女が竜体化を可能とさせているのは、ただの【上級因子】ではなく、彼女自身が【反英雄の遺物】と契約した、絶大な異能者だからだ。


「初めから話そうか。私たちアイスストームは、デスペラードと共闘を持ち掛けた。でも、ひろと君たちに、どれだけの戦力があるかは伏せた。するとデスペラードたちは怒り狂って、私へと矛先を向けた。確かに、連中はひろと君の遺物も欲しかったんだけど、私でも良かったんだ。だって、私は――【遺物持ち】なんだから♪」


 葵が胸から取り出したのは、魂ではなく、契約者の証明である……遺物。

 リントブルム……氷嵐の象徴である邪竜の蒼眼が、禍々しい瘴気を漂わせながら、鈍く煌めいている。


「デスペラードの、本当の目的はこれ♪ 彼らは、私が隙を見せるところを虎視眈々と狙っていて、見事、私の拉致に成功した。このコンテナの魔法陣も、儀式によって遺物を取り出そうとしているもの。ひろとくんは、護衛が厚いから無視ってわけ♪」


 一連の流れに納得はしたものの、ひろとにはまだ分からないことがあった。

 そもそも彼女は、邪竜と契約した【反英雄】だ。

 既に力は十分過ぎるほど有していて、だったら彼女は、何のためにひろとの【ジークフリート】を狙っているのか。


「葵さんは、十分強いじゃないですか! なのに、どうしてボクの遺物を――」

「強くても、より強い遺物を集めるだけだよ♪」


「でも、ボクが持つ【竜殺し】は、英雄の聖遺物です! 英雄と契約するには、魂が清くないといけない……反英雄の葵さんには、使いこなせるはずが」


「その時は、心を入れ替えようかな! 清く正しく生きて、何としてでも【竜殺し】に至るの。だって、私……もっと、もっと、強くなりたいんだもん♪」


 葵が口にした答えは、ひろとはなお困惑の底へと連れ去るものだった。

 どうして彼女は……そこまで《強さ》に貪欲なのだろう。

 強さと力を突き詰めていって、その先に、何を求めているのだろう。


「あーっ、ひろとくん……また『分かんない』って顔をしてる。ひろとくんは、ほんとに分かりやすいよね」


「だって、葵さんがそこまで力を求める理由が、ボクには……葵さんも、復讐しようとしているのでしょうか。それとも……支配欲があるのかな、とか……」


 ひろとが困ったように視線を伏せると、葵ははたと振り返った。

 てっきり、【それ】だけは覚えているものだと思っていたのに、ひろとは自分との記憶を、すっかり忘れ去っているらしい。


 これに葵はまた口角を邪悪に歪めて、手玉に取ったように饒舌になる。


「へぇー……ひろとくんは、本当に、覚えてないんだぁ……」

「覚えてる? ……ボクたちは、いったいどこで」

嗣江つぐえ小学校、四年三組、芹澤葵」

「――まさかっ!」


 ひろとの背筋に駆け抜けた悪寒と同時に、少年の頭にはひとつの記憶が蘇る。

 だとしたら……なるほどと、ひろとは納得せざるを得なかった。

 葵が力を求める言動全てに、そして、葵が自分に固執する理由にもまた。


「でも……あの子は、男の子だったはずじゃ……」


 ひろとは小学校の頃、ひ弱な身体と弱々しい言葉遣いから、イジめに遭っていた。だが、それ自体は彼は特に気にしていない。最も懸念していたのは、自分のイジめが飛び火した……あの男の子だ。


 ひろとへのイジめに退屈を覚えた彼らは、イジめの対象を変えた。

 その時の男の子が、葵だったのだとしたら――。


「わたしが、男の子?? ……ふぅーん? ひろとくんってその頃、私に名前を聞いてくれてたっけ? 一回でも、私と喋ってくれた?」


「あっ、いや……それは……っ」


「た、し、か、に。その頃は、おっぱいもなかったもんね? 私は声も出さないし、前髪も長くて顔も見られない。おまけに……服装は、こんなのだっけ? 男の子と間違われても、しょうがないよね♪」


 葵は、【反英雄化】を解いて、もう一度その私服を見せる。

 はち切れそうなパッツパツの恐竜Tシャツに、デニムのショートパンツ。

 さらに記憶は、小学四年生の頃まで遡る。

 声を聞いたり、遊んでたりしなければ、勝手に男と解釈してもおかしくない。


「やっぱり、ひろと君だったんだ。私と、【いっしょにイジメられてた】、男の子」


 葵はかつてひろとと同じクラスメイトで、イジメによって転校を余儀なくされた。

 これをひろとはいまも、自分のせいだと強く戒めている。


「葵さん……本当にごめん! ボクのせいで……葵さんが、巻き込まれてしまったんだ。だから……本当の、本当に、ごめんなさい」


「ひろと君は悪くないよ。――悪いのは、弱い私たちだったんだから」


 真顔のまま、そう断言できてしまう葵を見て、ひろとはまた腑に落ちた。

 ああ……やっぱり、そうなんだと。

 いまの返答は、芹澤葵という反英雄を、何よりも体現している。


「弱いのが、悪いの。この世界は、力が全てなんだから、弱かったらイジメられて、当然だよね? ほら……いまの私を、見て? スタイルも良くて、コミュ力も高くて、力もあって……誰も私のことを、バカにしない。みんな、すごい、すごいって褒めてくれる。あの日……なにもできなかった頃の私じゃ、考えられない。遺物と出会ったのは、運命だったんだね……」


 恍惚と酔いしれるように、葵は反英雄としての自分自身を見つめている。


「でも……」


 しかし突如として、葵は獲物を見定めるような目つきに変わった。

 無論、自分の餌食と定めているのは、目の前の小さな少年である。


「まだ、完璧じゃない。私の理想の世界にするには……もっと、もっと、力がいる」

「葵さんの、理想の世界って……世界征服でも、するのですか」

「口に出すのは、恥ずかしいけどね。――でも、基本はそう」


 葵は右手を差し伸ばして、いつもの愛想笑いを浮かべながら、


「ひろと君も、協力してくれるよね? 私が、世界で一番、強かったら……だれも、私をイジメない。だれも、私をバカにしない。だれも、私を蹴ったり、殴ったりしてこない。物を壊されたり、隠されたりすることもないの。もうやめてって、泣くこともない――私たちだけの、《新世界》」


 それはきっと……子供の頃のトラウマが。強烈な、強迫観念じみたものを抱いていて、葵も怖がっているだけなんだろう。


 でなければ、《世界征服を》なんて子供じみた夢を見るわけがない。

 かつての被害者はいま、凶悪な加害者に変貌しようとしている。


「ひろと君……お願い。その遺物を渡してくれたら、ひろとくんだけは、特別にしてあげる。弱くても、私が守ってあげる。いっぱい、いっぱい可愛がって、毎日、ヨシヨシしてあげる。私の彼氏にもしてあげる。だからね――ソレを、渡して?」


 ダメだ。そんな歪んだ理想は、受け入れられないに決まっている。

 仮に世界最強になれたとしても、彼女に待っているのは絶望だけ。

 ひろとの疑念は確信に変わり、その眼光にも揺るがぬ決意の光が宿る。


「ねぇ……葵さんは、ご両親はいるんだよね」

「ん? いるし、可愛がってくれているよ?」

「葵さんが世界最強になって……その後は、どうするの」

「気に入らない人は、全員、潰しちゃおうかなって♪ それで――遺物は?」


 やっぱり、言ってあげるしかない。

 たとえボクたちの関係が破綻してしまおうが、彼女だけは、ここで。


「葵さん。あなたは、ボクが倒します」


 その瞬間――。


「……っ!!!」


 鉄の大コンテナを軽々と吹き飛ばすほどの疾強風が逆巻き、著大な氷塊が流れ星のごとく降り始めた。


「これだけ、私がお願いしているのに……ひろとくんなんて、大っ嫌い!!」


 裂帛の怒号は更なる冷気を招いて、彼女の氷嵐は天候さえも一変とさせた。

 季節外れの猛吹雪が舞い込み、涙のように振り落ちる氷塊の群。

 芹澤葵は、本気で殺しに来ているらしく、彼女の頭上には、隕石のように莫大な氷塊が錬成されていく。ひろとごと、あたり一帯を消し飛ばすつもりだ。


 あんなものが解き放たれてしまったら、地域一帯ごと永久凍土と化しかねない。


「さすが、葵さんだ。ここまで……見越していたなんて」


 ひろとは自分も英雄化しようと思ったけど、完全体になるどころか、竜の右手すら出せやしない。


 フリオースとの戦いによって、聖気が枯渇してしまったのだ。


 身体の凍傷さえ治すこともできないくらい弱っていて……そして相手は、上級因子をも上回る、【反英雄】だ。


 この連戦は、ひろとに分が悪すぎる。


『でも、退かないのね』


 ひろとは胸の内で、相棒の声に頷いた。


 当たり前だよ、フー。

 だって、彼女は――。


「救わなきゃいけない。葵さんは……いまも、苦しんでるんだ!」


 断末魔じみた絶叫を上げながら、邪気を纏い続けている芹澤葵。

 本当にひろとを殺すことが彼女にとっての正義だとするのなら、どうしてそんな顔をしているのか。どうして、悲哀に満ちた声で張り叫んでいるのか。


 ひろとがよく知る《彼女たち》と照らし合わせると、いまの葵を知らないフリなんて、英雄の彼にはできるはずもなかった。


「葵さん……ボクは、【愛】を与えられなかった女の子を、知っています。二人とも……とても辛そうで、愛に飢えていて……でもあなたは、十分に愛されているのに。これ以上、何を求めるというのですか!!!」


 ユノと結菜は、いまも満足に笑うことができていない。

 べつに、その二人を引き合いに出して、我慢しろと言いたいわけではなく、ただ、その幸福さに気付いてほしいだけだ。


 こんな異能なんかなくったって、人は十分すぎるほど幸せになれるのだと。


「復讐と殺戮……その果てに行き着いた二人も、知っています! 葵さんを――彼女たちのように、後悔ばかりさせたくない!!!」


 リリアスとウラドは、これまでの生涯を悔いていた。

 復讐も殺戮も、その先には何もなく、無限の虚無が広がっているだけ。

 葵が目的としている世界征服も、いずれ同じ極致に行き着くのだろう。

 散々、見てきた。彼女たちの苦悶を、自分のように受け取ってきた。

 それらを存分に知り得たひろとには、止める以外の選択肢など存在しなかった。


『けれど、聖気が枯渇しているわ。どうするつもりなの、ヒロ』


 葵が生み出した氷塊は、空を覆うほど巨大に練り上げられている。

 アレが解放されるまで、もう時間がない……いよいよ、決断の時だ。


「ボクの身体は……半霊体。半分、聖気になっているんだよね?」


 ひろとの一言で、彼は何をするつもりなのか、竜殺しにも伝わったのだろう。

 そんなことは許さないと、ジークフリートの見開いた瞳からは、怒りと悲しみが織り交ざった訴えが聞こえてきた。


『ヒロ……まさか、《自分の身体を聖気に変換する》つもりなの!? ダメよ……やめなさい! 無理に行使すれば、ヒロはこの世界から消え失せるわよ!』


 ああ、良かったと、ひろとは心の底から安心した。

 余力があるのなら、葵さんを止めることができる。


「ごめんね、フー。どうか、ボクを信じてほしい!」


 一帯に渦巻く氷嵐を消し飛ばすほどの煌めきを纏い放ちながら、ひろとが顕現させた一振りは、竜殺しの代名詞たる、【至宝の大剣バルムンク】だ。


『ダメよ、ヒロ! それだけは、よしなさい!』


 バルムンクの出現と同時に、ひろとの左腕は聖気として変換されて、左足も、さらさらと光の粒となって消えていった。


「大丈夫……フーとの約束は、必ず果たすよ」


 こうしている間にも、右足の間隔も無くなってきた。

 全身が消えてしまう前に、急がなくちゃいけない。


 地盤が割れ砕けるほどの勢いで地を蹴り上げて、ひろとは右半身一本で、至宝の大剣を背負い込む。


『本当に、今度こそ死ぬわ! どうするつもりなの、ヒロ――ヒロ!!!』


 彼女の割れるような声音にも、ひろとはただ頷いて驀進した。


 ごめんね、フー……でも、これだけは絶対に譲れないんだ。

 凶悪な力を行使しながらも、わんわんと、泣き喚いている少女がいる。

 過去のイジメを、フラッシュバックしているのか。

 それとも、後悔しているのか。

 どうしてこうなったのかと、リリアスさんのように嘆いているのか。

 今となっては、もう分からない。


 ただ……目の前で救いを求めている少女を、助けなければいけないことだけは、誰に問うまでもなく分かり切っていた!


「ごめん、フー――死んでから、考える!!!」


 蒼と黄金。氷嵐と光輝。

 葵が解放した氷塊とひろとが差し向けた竜殺しが激突し、その力の余韻は天変地異めいた衝撃を引き起こして、地の底が盛大に揺すり上がる。


 雪曇は蜘蛛の子を散らしたように一掃され、なお有り余る力の残滓は大海を割った。


 リントブルムの絶対零度、絶対凍結の一撃が、バルムンクの【熾烈】と鬩ぎ合い、だが、竜殺し破格のひと振りは、かの邪竜が編み出した必殺をも突破する。


 活路は、見出せた。


 ひろとは最後に絞り出した一滴の聖気で、消えゆくバルムンクを限界寸前まで持続させる。


 あれだけ大きかった刃はやせ細り、刀身は数ミリの厚さしか残されていない。


 だが、それだけあれば十分だった。


「ハアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァッ!!!」


 バルムンクの剣先が竜の鎧を割り砕き、葵の左胸へと突き刺さる。


 葵の中にある【忌物】が、バルムンクの【不治】によって完膚なきまでに破壊される。


 切り傷は葵の身体にも残り、このままでは葵も死にかねない。


 だけどひろとは、それにはまったく心配していなかった。


 完全にバルムンクも、自分も消え失せてしまえば、不治の効果も、消えてしまうのだから。


「さようなら……葵さん」


 ヒーローは子供の夢のように、鮮やかな粒子となって消えていった。

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