英雄譚(40) ヒーロー。
『なんのために、戦うの?』
頭の中で、少女の声が響き渡る。
それは、聞きなれた彼女の声ではない。
目の前にいる……名前も知らない、幼い女の子が尋ねてくる。
『ねぇ。あなたは、なんのために戦うの?』
金髪の少女は、またボクに同じ質問をした。周りは見たこともない石造りの街で、行き交う人々も、現代とは思えないボロ布を纏っている。
文明も発達していない……中世、いや、もっと昔の時代だろうか。
街には細い石畳の道が入り組み、彼方には古代の建物が聳え立ち、建物の壁面には複雑な彫刻が施され、歴史の息吹が辺り一帯に漂っている。
『――のためよ』
よく耳に馴染む声は、ボクの後ろから。
「えっ……フー、なの?」
背後に振り向くと、ボクのよく知っている彼女がそこにいた。
いや……フーじゃない?
目つきも、顔つきも、ボクが知っているフーより険しく見える。
それは怒っているんじゃなくて、まるで戦場に臨んでいる戦士の顔……。
『なぁ嬢ちゃん。あんたはいったい、何のために戦ってるんだ?』
忽然と場面が切り替わって、今度は豊かな体躯の男が彼女に聞いた。
『……のためよ』
男性はジークフリートの答えに納得できず、胡乱気な顔で去っていく。
『のぅ、ご立派な剣士さまや。主は、いかな理由で剣を振るうと?』
移ろいゆく景色の中、三人目のお爺さんも同じことを聞いた。
『××のためよ』
まったく同じ答えを返して、同じ顔で、お爺さんも疑念を懐いて去っていく。
不思議にも、ジークフリートがなんて答えているのかだけが聞こえない。
彼女は、なんて言ったんだろうか?
ボクがそう思っているうちに、目まぐるしくシーンが移り変わる。
『誰か、お願いだぁ! どうか……どうか、助けてくれぇ!!!』
『どうして、竜が突然……っ!』
『いいから逃げろ! あいつに焼き殺されてえのか!!?』
国は、生きた焔のような赤い鱗を持つ飛竜に襲われていた。
ドス黒い口腔から紫色の劫火を吐き、万物は焼け爛れ、人も建物も腐っていく。
『伏せなさい! あの竜は、わたしが……っ!』
そんな地獄の中で、一閃と駆けては、至宝の大剣を振り翳す少女。鮮やかに斬り払った一筋が竜の大翼を捉え切り、竜は蒼穹の彼方へと逃げていく。
国は、ジークフリートのおかげで守られた。誰が見たって、そのはずだった。
それなのに――。
『お前が……竜を、呼んだんだろ!』
『魔女、悪魔!』
『どうして、お前なんかが……早くアイテルフタから、出ていってくれ!』
竜を追い払った少女には、称賛も感謝も向けられない。
誰もが彼女に石を投げて、ある者は『お母さんを返して』と泣きついて、またある者は『俺の店を返せ!』と刃物を持って殺しに来た。
「やめろ……やめろ!! どうして、そんな真似をするんだ……フーは、何も悪くないじゃないか!!」
ボクはもう、我慢の限界だった。気が付けばフーに石を投げつける男たちへと、この感情のままに殴り掛かっていた。
だけど、当たらない。ボクの身体は、男たちをスっと通り抜けてしまう。
これは……残像? 記憶の世界?
きっと、そうだ……偽りのジークフリートの創られた伝承なんかじゃなく、本当のジークフリートである彼女が受けてきた、不条理の世界が、この景色なんだ。
「やめろよ……フーは、何も悪くないじゃないか!」
ボクがどれだけ怒鳴り散らかしたところで、記憶の人々には届かない。
そうと分かっている。無駄だって分かっている。
だけど、認めるわけにはいかなかった。
ただ体つきが幼かったからという理由だけで、どうしてこんな仕打ちを受けなくちゃいけないんだ。ジークフリートは間違いなく、人々のためにと戦ったはずだ。
『…―のためよ』
幾重もの敵軍を葬った。国すらも滅ぼす竜を討った。
――なのに、ジークフリートへの迫害は止まらない。
むしろ、悪化する一方だった。
皆が『彼女の容姿』がおかしいとまくしたて、魔女であるのだと断罪した。こんな見た目でこれほど強いわけがないと、悪魔を疑った。
彼女と唯一、親切に接してくれた少女は、『魔女』と審判されて処刑された。帰ったら、寝床も、匿ってくれていたお婆さんも燃えていた。
「ク、ソ……どう、して……どうして、なんだよ……っ!」
それらの理不尽が、全てボク自分のことのように感じてしまって、鼻口から、涙と鼻水が溢れて止まらなかった。
やめてくれ。……こんなことは、致命的に過っている。
ボクがそう願ったところで、世界は彼女を許してくれない。
ひとつ、過酷が終わると、次の地獄が待っている。その繰り返しをする中で、ジークフリートは、何を思ったのだろう。迫害されようと、竜を殺そうと、唯一の友が葬られようと、お婆さんが燃やされようと、彼女の表情は、眉根ひとつ変わらない。
「のためよ」
ふと顔を上げた時、今度こそ、ボクの知っている彼女はそこにいた。
終わりゆく世界。崩壊していくアイテルフタの中で、フーは佇んでいる。
「わたしが、なんて言っていたのか。いまのヒロなら、分かるかしらね」
「世界の……ために」
フーは、瞳を閉じて頷いた。
「そう。これが、大英雄ジークフリートの全て。偽りのない、本当のわたし。ヒロは幻滅したかもしれないわね」
彼女にも、最初は英雄としての
自分の信念を貫き通し、自分の魂を信じて、人々を救う英雄に成った。
いつかは人々から、『英雄さま』と崇められる理想もあったのかもしれない。
だけど、そんな理想を夢見るには、世界はあまりにも残酷で……。
幾重もの試練を超えていくうちに、フーは《諦める》ようになった。
それは、英雄として見られる自分であったり、仲間として受け入れてくれる期待であったり、功績を重ねて普通に暮らせる平穏であったり、いつか報われるという希望だったり……。
でも最終的に、ジークフリートに待っていたのは、【暗殺】だった。
《彼女が悪いに違いない。これだけの敵が襲ってくるのも、彼女が魔女だからだ》
皮肉なことに、彼女が早々に全てを諦めて、心を殺したのは正解だった。
仮に夢を見ていたまま頑張っていたのなら……彼女の人格は、当の昔に崩壊していただろう。
「だけど……そうだったとしても! こんな、機械みたいな生き方は……っ!」
「その通りよ。世界の秩序を守る――英雄は、部品のひとつに過ぎないの」
ジークフリートが右手をかざすと、そこには【芹澤葵】の幻影が現れた。
「選びなさい。わたしか、彼女か」
カランッと、ボクの足元に、一本のナイフが放り投げられた。
「フー? どうして、こんな……」
「ああ、心配しないでいいわ。刺したところで、わたしも芹澤葵も、死ぬことはないの。ただ血は流れるし、本物のように苦しみもするわ」
「だから……どうして、こんなことを――ッ!」
「迷ったでしょ。あの男を殺す前に、殺していいか、どうかを」
……もうなにも返せないくらい、フーには、ボクの考えが筒抜けだった。
「お願い……ヒロ。これは、ヒロに必要な荒療治なの。あなたには、信念はあるし、気概もある、あと必要なのは……世界に希望を見ている、その甘さなの」
いやだ……ボクはフーも、葵さんも、殺したくない!
「ダメよ。わたしの過去を、知ったでしょう? 英雄になるとは……全てを受け入れることなの。命を奪う過酷さも、人々から疎まれる不条理も、全てを浴びて乗り越えるしかない。だから、ヒロ……ここで、《命の選別》を覚えなさい」
そんな……身体が、勝手に動く。
ズルズルと、誰かに押されているように身体が前に進んで、両手にはナイフが握り締められている。ボクの前には……右に、葵さん。左には、フーが。
どちらかを、刺さなければいけない。
命を、選択しなければならない。
絶対に、片方しか救えないのだとしたら――ボクは、
「っ!!!」
フーは、宝石みたいな両目を驚きのままに見開いた。
だって、そうだろう。
こんな結果は、フーにも想像できなかったはずだ。
「かっ、かは……ァ……っ!」
ドバドバと首筋から血が溢れ返って、身体は生理反応で震えている。
驚いた……ナイフで首を刺されたら、こんなにも、痛いものなんだって。
「そんな……自害!!? なんてことを……ここは、ヒロの精神世界なのよ! ここで死んだら、ヒロは無事じゃ済まないわ!!!」
何だっていい。
ボクが死のうが、死ぬまいが……誰かを殺すのだけは、絶対に御免だ!
「理解しなさい、ヒロ!!! あなたはわたしで、わたしはあなたなの! いずれヒロはわたしと同じ世界に至るわ! 何をしても否定されて、どこに行っても、疎まれ続ける! いま一緒にいる彼女たちも、巻き込まれて殺されるかもしれないわ! そんな理不尽に苛まれた時、今のヒロじゃ、絶対――」
「ボクは、なにがあっても諦めない! 小峰大翔は、機械じゃなくてヒーローなんだ!」
血を吐き出しながらも、痙攣と嘔吐に蝕まれながらも、自然とボクの声は止まってはくれなかった。
「分かっているよ、ボクは、弱いんだ!!! だけど、どんな理由があったって、
よろよろと、覚束ない足取りでフーに向かう。
フーの両肩を掴んでみると……やっぱり軽い。
こんなに可憐で、力強い彼女は、《自分の幸せすら選別してしまった》んだろう。
ボクは、それも納得できない。まったく、仕方ないとは思えない。
だから、たとえ嫌われたって――この機会に、言ってやる!
「ボクの全てには、フーのことも入ってる! 傲慢で、馬鹿げていて、分不相応な願いなんだって思うよ! だけど、やっぱりボクは、フーに報われてほしい! いつか、『頑張って良かった』って言って欲しい! 世界で誰よりも幸せになって、フーに笑って欲しいんだ! そのためにできることがあるなら、何だってボクに教えてくれよ! これまでの不満もぶつけてくれたって構わない! ボクにとってフーは恩人で、英雄で、憧れで、希望で――本当に、大好きなヒーローなんだから!!!」
フーはボクの訴えを、どう思ったんだろう。
少しの静寂の後、フーは僅かに口元を歪めただけだった。
「……もうすぐ、この世界は崩れるわ」
「そうみたいだね」
「わたしとの親和性は、どうなってるか分からない。だって、ヒロの信念は……むしろ前より、わたしとかけ離れていると思うから。でも……託したわ。ヒロは、わたしの夢なんだもの」
「……え? フーの、夢って」
希望は、全て諦めたんじゃなかったのか。
そう聞こうと思ったけれど、燦然とした光に包まれて、世界は明転していく。
微かに見えた、フーの目元に伝う雫の意味も、いまは後回しにしよう。
彼女に失望されないためにも、ボクにはやるべきことがある。
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