英雄譚(37) ヒーローを追い求めた果てに。


「うん、うん。芹澤葵を利用して、ジークフリートをおびき出す。デスペラードの連中は、ひろとくんを聖華学園や、無縁寺院での籠城を防ごうとしているわけだ」


 葵の拉致をひろとから聞き取ったカガリは、悩む間もなくそう結論付けた。

 ひろとも、奴らデスペラードがなぜ葵を狙ったかを理解している。

 アイスストームとデスペラードは、ひろとの【竜殺し】を奪い取るために結託していたはずだ。

 それがどうして、デスペラードは協力関係にある芹澤葵を襲撃したのか。

 葵にお熱なひろとを、敵地に引きずり出すためだ。


「でも……違和感があるんです。あの場では、ボクも孤立していましたし、葵さんを狙うには、別の目的があったような……」


「何だっていいかな。重要なのは、ひろと君が想像以上のヘタレだったということ」


 カガリは学園長席から立ち上がり、つかつかとひろとの元へと歩み寄る。


「か、カガリさん!」

「ひろとは、悪くないと思う」

「私も右に同じく、彼は英雄として然るべき対応だったと判断します」


 ユノ、結菜、リリアスがすかさずひろとを擁護するが、カガリの足取りは淀みない。彼女は周囲の雑音になど目もくれず、小さな英雄の眼前で佇んだ。


「……」


 カガリの赫々かっかくたる双眸はいま、闇のように仄暗く沈んでいる。

 それは彼女に明らかな殺意があることの表れであり、実際に彼女はいま、ひろとをどう始末しようかと思案している。


 北欧神話、竜殺しの【ジークフリート】を敵に渡す羽目になるのなら、ここで彼を殺しておいた方がいい。反英雄派閥の連中では、【ジークフリート】と契約までは取り次げないだろうが、手段がないことはない。それに、闇市に流れる可能性だってある。ひろとを生かしておくメリットよりも、後々に生じるリスクの方が高い――。


 カガリの頭の中では、既に結論が八割方出ている。総身から溢れる殺気は、とめどない聖気の奔流として、学園長室に吹き荒れる。


 にもかかわらず、ひろとは物怖じせず真っ向からカガリと睨み合っている。

 なにか、勝算があるわけではない。ましてや、打算があるわけでもない。

 それでもひろとには、芹澤葵を見捨てられないだけの【意地】がある。


「ついさっき、言ったはずかな。次に芹澤葵と出会ったときは、即交戦だと。なのにひろと君は、悠長にお喋りをしていたらしい」


 言の葉ひとつひとつに殺意と聖気が籠められたカガリのプレッシャーは、常人なら耳にしただけで泣き崩れてしまうだろう。

 だが、この小さな英雄には、カガリの脅しでさえも通用しない。


「信じてください! 葵さんは、悪い人なんかじゃありません!」


「だったら、どうして【邪竜リントブルム】の因子を授かっているのかな。リリアスの報告だと、芹澤葵の邪気は、上級因子相当らしいね」


 知っている。現に彼女と相対して、とてつもない強敵だとひろとも分かった。


 それこそが、葵は邪竜と親和性がいい証拠であり、実際に彼女の行動理念は、泥のように陰鬱としていた。――それでもなお、ひろとは彼女との約束を捨て切れない。


「必ず助けると、約束しました。それが、ボクの至上命題だと思っています」

「度胸はし。けど、残念なことに実力が伴っていないかな」

「……っ!」


 カガリが伸ばした指先はいま、ひろとの胸元に添えられている。

 

「英雄と契約者の誓約は、【儀式】によって解除できる。一晩もあれば、十分かな」


 カガリが口にした最悪の選択肢には、ひろとの顔も苦渋に歪む。

 戦う前から分かる……自分ではどうしたって、カガリさんには勝てない。


 ひろとは抵抗の余地もなく強引に【ジークフリート】との契約を破棄されることに途方もない恐怖を懐きながら、そんな弱気さえも吹き飛ばすように首を振る。


 たとえ首筋に切っ先を突きつけられていようが、最後まで諦めない。

 それがひろとに導き出せた、自分なりの英雄像だった。


「彼らが反英雄派閥である以上、いずれ摘発しなければなりません。ここでひろとさんを失うのは、大きなデメリットではないでしょうか」


 リリアスの助け舟が入ると、ユノと結菜も彼女に続いて、


「ひーくんは、前よりもとっても強いの! どうか一度だけ、チャンスを与えてほしいの!」

「私も、弟を信じてる。学園長さま……お願い」


 勝手に結託している彼女たちとは違い、カガリはやれやれと呆れ果てた。


「これは、勝ち負けの問題じゃないかな。ひろと君が連中に捕まり、その遺物を持っていかれでもしたら、大問題だ。そうなるリスクが、あるのなら――」


「絶対に、負けません! 行かせてください!」


 本当に、馬鹿馬鹿しい話だ。ひろとの言葉には理合いがなく、意思決定に結びつけるだけの論理もない。ここが学術的な場なら、門前払いを受けているだろう。


「ふっ……そうだね」


 しかし自分たちはなにも、ここで有識者による発表会や、理路整然としたディスカッションを開きたいわけじゃない。問題なのは、【英雄としてどう在るべきか】だ。


 およそ二週間前――カガリはひろとにこう言った。


『だから、でも、だって、いまは……星々や英雄が、そんなくだらない事情に、感化されると思うのかい? 彼らは……【そこに在る】んだ。ただ生まれ持った才覚を、本能に刻み込まれた使命で果たすだけ。唯一無二の、揺るぎない信念。そうでなくても、せめて狂人クラスの精神強度タフネスさが、英雄には必要』


 理論ではない。理屈でもない。

 だが、その【ただの意地】は、英雄として何より必要な絶対条件だった。



「いいかい、ひろと君。これは、キミが言い出したことなんだ。必ず芹澤葵をアイスストームから切り離し、デスペラードも壊滅させること。いいね?」


 遂に勝ち取ったゴーサインを受けて、ひろとの顔は霧が晴れたように輝いていた。


「――ありがとうございます、カガリさん!」


「お礼は全てが終わった後で、かな。データを送ったから、確認しなよ」


 スマホに鳴った通知音に合わせて、ひろとたちは一様に目を通していく。

 彼ら聖華学園のSNSグループには、デスペラードの所在地が載っている。 


「カガリさん……この情報は、いったいどうやって……」


「あれだけの集団で動いてたんだ。邪気の痕跡を辿っていけば、それなりに掴める。それはいいから、今は行きなよ。ひろと君は、芹澤葵を助けるんだよね」


 もちろんだ。これが正真正銘のラストチャンス。

 しくじることは、絶対に許されない。

 これまでに積み重ねてきた研鑽の証を、四人で示し合わせる時が来た。


「カガリさん、行ってきます!」


 飛び出していく彼らの後ろ姿をカガリは見送り、窓辺に向かって独り言ちた。


「うん、うん……英雄と至るか、反英雄と堕ちるか。しばらくは高みの見物、かな」

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