英雄譚(34) ヒーローの青い信念。


「うん、うん。今後は、芹澤葵に接触しない方がいいかな」


 次の日の昼休み、ひろとは学園長室でそう警告された。

 敵対中の反英雄派閥であるアイスストーム、その組織員である葵と、一緒に遊んだなんて、あり得ないことだ。いつも平静な顔をしているカガリに睨まれるのも致し方なく、ユノ、結菜、リリアスにも心配された。


 自分たちは葵と敵対関係にあり、いつ殺し合いになってもおかしくない。

 そうは分かっていても、ひろとには葵を敵視できない理由がある。


「でも昨日の葵さんに、敵意はなかったんだ。だから……」

「敵意は感じるものじゃない。備えるものだと、教わらなかったかな?」

「それは……」


 目をつむれば、「甘えるな」と、彼女の声が聞こえてくる。

 もしも葵ではなく、ウラドならば殺しにきていただろう。

 ひろと自身も、これが甘え以外の何でもないことは分かっている。

 分かってはいるのだが……。


「なかなか、冴えのある工作かな。アイスストームは芹澤葵を使って、ひろとくんの心に揺さぶりを掛ける。昨日のデートは、精神攻撃だったわけさ。そしてひろとくんの弱みを掴んだところで、ズドン。緻密に練り上げられた陰謀さ」


 そんなこと、カガリに言われなくても分かっている。だけど、昨日彼女が見せた物寂しげな葵の横顔を、ひろとはどうしても忘れることができず、


「一度だけ、チャンスをくれませんか。もしも葵さんが、悪い人じゃないのなら……誰かに、利用されているだけだったとしたら――」


 ふわりと、身体が宙に舞い上がるような浮遊感がひろとを襲い、


「ぁ……ぐっ!!?」


 次の瞬間には、ひろとは床に張り倒されていた。

 彼の上体を膝で押し付け、ぎちぎちと首根っこを捕らえるカガリ。

 その眼光はひどく凍て付いていて、同情の欠片もないと分かる。


「ひろと君……君は本当に、自分の立場を理解していないようだね」

「りっ、理解して、ます……それでも、ボクは……っ」

「君の身体には、【ジークフリートの遺物】が隠されているんだ。アイスストームと芹澤葵の狙いは、間違いなくそれだ。君にもしものことがあれば、【遺物】は連中の手に渡ってしまう」

「だけど……だからといって、葵さんを……見捨てる、わけには……っ!」


「どんなに強くとも、神に創られた一体であっても殺し尽くす、【至宝の竜殺し】――バルムンク。……あの大剣の真価は、ひろと君も知り得ているだろう? あんな力を、みすみす悪党に譲るわけにはいかないからね。その甘えた考えを捨てないのなら……私がここで、【預かって】おくよ?」


 ひろとの胸郭へと、そっと指先を伸ばすカガリ。

 その面貌に漂わせている殺気からも、彼女が本気だと見て取れる。

 ひろとがまだ口ごたえしようものなら、英雄と人間の魂を分離する儀式を始めるのだろう。そんな彼女のプレッシャーに気圧されて、ひろとは思わず口を噤む。

 

「以降は、芹澤葵との接触を禁止。もしもはち会ってしまった場合は、それを交戦の合図とする。アイスストームを駆逐し、私たち聖華学園は東京の平和を堅守する。――ひろと君も、それでいいよね?」


「……分かり、ました」


 英雄と反英雄。

 両者は決して相容れない存在であり、今回の騒動ひとつ取ってみても、話し合いで決着できるほど生温くはいかない。

 時にはカガリのように、冷酷な決断を下していかなければならないのだ。

 ひろとも、それは納得している。

 頭では、葵を討つべきなんだと理解もしている。

 だが少年の心は、そんな残酷な結末をよしとしていない。


「英雄として、悪を滅ぼすのは正しいこと……なんだよね。でも……だけど……それじゃあ、ボクは……何の、ために……」


 守るべきものを守るために、この力を鍛え上げたはずだ。

 かつていじめられて逃げ出してしまった自分を変えるために、立ち向かえる強さを備えたはずだ。

 それなのに……どうして、葵さんを見捨てることができるんだ。


 女の子ひとり、救えない。


 そんなヒーローに何の価値があるのかと、ひろとは本当に悔しくて堪らなかった。

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