英雄譚(28) ヒーローはシスターの既成事実を回避する。


 吸血鬼ウラドによる《血の眷属》を用いた演習は、昼の12時から夕方の18時まで行われた。休憩はなしのぶっつ続けだ。ウラドにしては優しいスケジュールとも思えるのだが、本人いわく「朝は起きられない」からとのこと。


 そして、英雄であるひろとと因子である彼女たちは、夜も欠かさず訓練を命じられている。もちろんその訓練とは、ひろとのお世話・・・だ。


 彼女たち、お姉さんの依り代が、みんなの弟であるひろとにある以上、これは極めて合理的な訓練なのである。ひろととの親和性を高める上で、お世話は必須だ。


 一日目の夜――お世話くんれん当番は、ユノだ。ひろとのお世話をつとめる前に、ユノは軒先の下で座っている。彼女の隣には、もちろんひろとが。


「ひーくんとは、最近二人っきりになれなかったの」

「けっこう忙しかったからね、ボクもユノちゃんと話したかったよ」

「うん……ユノも、ずっと話したかったの」


 二人の出会いは、あの保健室。全裸で保健室のベッドに寝転がっていたユノは、偶然にも訪れたひろとに抱き着き、刺激的な記憶を残した。


 しかし、それからも二人は行動を共にし、ユノの表情にも少しずつ変化が現れた。

 一人きりだった自分の世界が、徐々に明るくなっていく。

 ひろとと初めてしたデートと、そこで掛けてくれた彼の言葉を、ユノはずっと記憶している。


『嫌でも明日は来るんだし、だったら、楽しんだ方がいいんだと思う。明日は、なにがあるのかなって。ボクもずっと孤独だったから、少しでも良い未来を掴みたいんだ』


 ユノの悩みに対して、ひろとも真摯に悩んでくれた。

 彼がユノの贈った言葉は、いまも彼女の胸に灯り続けている……。


「ねえ……ひーくん」


 いつにもまして、乙女チックな声音で、そっと囁くユノ。


「ひーくんは、ユノのこと……好き?」


 シスターは耳まで赤く染めながらも、ハッキリとそう口に出した。

 心臓の高鳴りも著しい。

 けれど彼女にとって、この一言は是非とも問わねばならなかった。


「うん、ボクはユノちゃんが好きだよ」

「……っ!」


 しかし善人かつ純粋無垢なひろとは、これを友達的な意味だとして捉えてしまう。

 もちろん、ユノが受け取った【好き】は、異性的な意味である。


「ユノちゃん?」

「うん……ユノも、ひーくんのことが好きなの」


 満面の笑みを閃かせながら、ユノはひろとの手を取って歩み出す。

 もう十分に日が暮れており、知覚の滝場も無人となっているだろう。


「ひーくん、こっちなの」

「ユノちゃん、足場に気を付けてね!」

「んっ……ひーくん、優しいの」

「これくらい、当たり前のことだよ」


 ひろとはユノの手を取って、滝が流れ落ちる水場へと行く。

 時期的な問題もあってか、滝といってもそこまで激しい水流はない。

 だが、身体を清めるには申し分ない程度には降り注いでいる。


「ひーくん、今日も洗体を見守っていてほしいの」

「あっ、うん! 前もやっていたやつだよね……分かったよ!」


 シスターであるユノは、定期的に洗体の儀式を執り行わなければならない。

 清水を浴びて、身体のけがれを払う。

 それには清き心を持つ第三者に見守られる必要があり、ひろとが適任だ。


「ひーくんも、ほら」

「う、うん……脱がなくちゃ、なんだよね」


 洗体にあたって、ひろとも衣服を脱ぐ必要がある。

 この儀式の中では、衣服の汚れも厳禁とされているからだ。

 付着したけがれを洗い落とすため、ユノは滝口へと移動する。


「ひーくん?」

「な、なんでもないよ……大丈夫!」

「うん。それじゃあ、始めるのなの」


 月光に照らし出されて、ユノの身体が鮮明に浮かび上がる。

 彼女の首の下には、おわん型の高嶺がぷるんと水を浴びて揺れている。

 大きさは他のお姉さんたちに劣るが、形は誰よりも完璧だ。


 球体の丸みは、正確には完全でないとされているが、ユノのそれは宇宙を超えた美しさを誇る。研ぎ澄まされた究極の丸が、絶妙な大きさを保ち、ピンク色の円もまた理論値最大の調和を形作っている。


 ユノの白髪は月光に輝き、透明な水しぶきがキラキラと彼女の白い肌を飾る。


 そんな清らかなシスターの前に佇むひろとは、邪念を殺して、しかと彼女の全身を目に焼き付ける。


「ユノちゃん、終わった?」

「ん……終わったなの」

「それじゃあ、お寺に戻って――」

「今度は、ひーくんの番なの」

「……えっ」


 なにか嫌な気配を感じ取ったひろと。

 ひろとが表情をピシっと固める一方で、ユノは目を輝かせている。


「ひーくんも、洗体をするの」

「で、でもっ、ボクはシスターとかじゃ……」

「いいから、ひーくんも清めるの。ほら、早くなのっ」

「ゆ、ユノちゃん……うわあっ!?」


 こんな水場で掴み合うから、二人は足元を滑らせてしまう。

 ダバンッと浅瀬に転けたひろととユノ。


「いってて……ユノちゃん、だいじょうぶ――」


 ひろとがハッと目を開けた先には、押し倒されているユノの姿が。

 もちろん、押し倒しているのはひろとである。


「ごっ、ごめんユノちゃん、その……」


 ひろとはすぐ起き上がろうとするが、ユノに手首を掴まれてしまう。


「いい……なの」

「えっ……いいって、なにが……」

「ひーくんになら、その……ここで、したいの」

「……っ」


 蠱惑的な囁きを受けて、ひろとはユノをそう意識してしまう。

 誰もいない夜更けの滝場で、一糸纏わぬ少年と少女。

 こんなシチュエーションで、「したい」と言われれば、流石のひろとでも察しがついてしまう。


「で、でもユノちゃん、それは……っ!」

「強くなるには、英雄さまとの親和性が大事――吸血鬼の人も、そう言っていたの」

「たしかに、だけど……」

「ここでひーくんと交わることで、ユノはもっと強くなれるの。それに……ううん。ひーくんになら、全部、預けてもいいって思うの。だから……っ」


 ユノが甘えたそうに両腕で嶺を寄せて、桜色の唇に指を添える。

 いいよ、の合図だ。

 シスターとは思えない、魔性の誘惑である。


「くっ……うっ……」


 だが、これほどの誘惑を受けてもひろとは理性を保っている。

 そういうことは、ちゃんと段階を踏まえてからだという常識と、英雄たる自分が、淫らなことをしてはいけないという強固な信念がある。


「ユノちゃん……ボクたちはまだ、そういうことをしたら」

「でも、でも、ひーくん……とっても、苦しそうなの」


 月明かりの中で、ツンと立った慎ましいそれに、ユノはふふっと微笑む。

 ひろとは理性を保っているが、もうひとりの彼は、そうではないと分かる。

 ひくひくと引き攣って、いまにも暴走してしまいそうだ。


「苦しいって? ボクはケガもしていないし、聖気もいまは……」

「むうっ……」


 ユノは分からずやな彼の手首を掴み、力任せに引き寄せる。


「わ、わわわぁっ!!?」


 すると極限にまで身体が密着し、肌と肌がこすれ合う。

 あと少し、ひろとの腰が引けていなければ、既成事実が出来ていただろう。


「ひーくん……」

「ユノ、ちゃん」


 二人の熱い吐息が交わり、色のある視線も交差する。

 あと一歩。たった一歩踏み出せば、最高潮の快楽が待っているだろう。

 そんな欲望に掻き立てられ、ひろとはごくっと息を呑む。

 ユノはただその瞬間を待ち、もの欲しそうに舌なめずりをした。

 一秒一秒と……濃密な静寂は続いていく。

 そして遂に、ユノがダメ押しをしようと思ったところで、


「行け、行け、シスターちゃん! あと少しで、その青春は君のものだ!」


「「……えっ?」」


 岩陰の裏から、興味津々と野次を飛ばしている吸血鬼のウラド。


「ひろと……お姉ちゃんは?」

「時期尚早ですね。まだ、お互いに学生ですよ」

「ふう。まったく、危ないところだったわね」


 そして続けて姿を見せた、結菜とリリアスとジークフリート。

 残念ながら、彼女たちは最初から邪魔する気満々だったのである。


「はい、今日はこれで終わり! 行くわよ、ヒロ」

「ど、どうしてフーが怒ってるの!?」

「いいから、行くわよ。……やっぱり、徹底的にお仕置きが必要なようね」

「え、えええっ!? な、なんで……」

「ひろと。お姉ちゃんに教えないなんて、絶対ダメ」

「結菜お姉ちゃんも、怒ってる……どうして……」

「ひろとさん。そういうことをしたいのなら、私に報告してくださいね」

「リリアス先生……すみません……」


 そうして無理やり引き剥がされて、取り残されたシスターのユノ。

 なの~……と切ない声だけが、静かに流れ落ちる滝場に響いていた。




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