英雄譚(25) ヒーローの覚醒。
「……ユノちゃん、結菜お姉ちゃん、リリアスさん!」
目が覚めると、今度は森の中にいた。
ひろとが声を掛けたり、揺さぶったりしたところ、彼女たちも意識を取り戻した。
「ひろと……あの女は?」
「分からない。でもどこかで、ボクたちを監視しているはず」
一帯は緑生い茂る森でありながら、空の深みも増している。
虫のさざめきと、ジッと止り木でひろとたちを見据えている鳥たちに、ガサゴソと茂みを揺らす動物たち。
そんな自然が今は不気味に思えて、小さな物音ひとつに怯えてしまう。
「試練じゃないの? あの人が、ユノたちを試しているとか……」
「どうでしょうか。彼女は反英雄……よからぬことを企てている可能性もあります」
リリアスが杖槍を持ち構えると、ひろとたちも背中を合わせて警戒を払う。
「ひろと……お腹、傷……」
ついさっきウラドにやられた傷が、いまも生々しく残っている。
結菜は心配そうに目尻を垂れ、ひろとは痛みを抑えるように顔を顰める。
「フー、ボクの聖気を使って治してほしい」
呼び掛けてみたのだが、なぜか彼女からの反応はなく、
「……フー?」
二度目の問い掛けも、応答がない。何かが変だと、ひろとは急激に不安が大きくなっていくのを感じた。フーがいないなんて……自分は、どうしたら。
「来ます! 警戒してください!」
リリアスの呼び掛けで、ひろとは我に返った。
きっとまた、ウラドが攻撃しにきたんだろう。
あくまでこれは試験の一環、自分たちを試しているだけのはず――。
『グォ……ガァ……ッ!』
ひろとたちは身構えることも忘れて、立ち竦んだ。
森の奥から出てきたソレは、何と形容したらいいのか。スライムのような体を持ち、クモめいた足が八本生えている。顔はなく、口がある。餓狼を感じさせる獰猛な鋭牙だ。全身は鮮血を思わせる赤で、小さな毛が生えている。
そんな得体の知れない化け物が、ゾロゾロと這い出てきている。
「ひーくん! これは、なんなの!?」
「分からない! ボクも初めて見る相手だよ!」
この敵には打撃が効くらしく、ひろとの右手を叩き込むと霧散した。
「血のモンスター。いっぱい、どこから」
「恐らく、【血の眷属】でしょう。かつて吸血鬼は、自らの血を分け与えることで、眷属を生み出したとされています」
自分たちはウラドに、都合のいい餌にされたということか。
「でもやれるよね、ひろと」
「うん……ボクだって、この程度なら!」
ひろとたちは、持ち前の異能を振り翳し、眷属たちを葬っていく。結菜やユノでも殲滅できているあたり、眷属の戦闘力は、三級因子以下でしかないのだろう。
やっぱりこれは、試練にしか過ぎないはず――。
「ひーくん、あれ」
ズシンズシンと、地鳴りを上げて出てきたのは、血の眷属の大型版。それは怪物というより、災害と形容した方が適切か。丘ほどの大きさもあって、移動するたびに地盤が震えて、森が揺れる。やつは獣のような雄叫びを上げると、無数に眷属を生み出した。その肉体から、眷属を分裂させているらしい。
「小さいのは、ユノに任せるの!」
ユノを中心として紫電が迸り、小眷属は拘束状態となった。
「森の恵みよ……やつの弱点を、教えて」
結菜は、豊穣の芽を大眷属に芽吹かせる。その根を張り巡らせて、急所を探ると、
「……中心、口の奥、弱点の
ひろととリリアスは顔を合わせて首肯した。
「私が削ります」
「トドメは、ボクに任せてください!」
リリアスが先陣を切り、ひろとが後に続く。
眷属とて、やられてばかりではない。天に向かって哮り上げると、地表から無数の血の触手を生やす。触手は激浪がごとく荒れ狂いながら、二人を捉えんと切迫する。
「
だが、おぞましい数の触手群は、リリアスによって一掃された。杖槍を超高速で振り回し、そこから生まれた衝撃波によって消し飛ばす広域攻撃だ。
「ひろとさん!」
さらに、リリアスはもう一度【
ひろとを加速させるための、前方への神風。
これにより、ひろとは更なる速力を得て、
「これなら……っ!」
一筋の煌めきが闇夜を駆け、バギンッ! と、痛快な破砕音が轟き渡る。
ひろとが大眷属の核を砕くと、怪物は断末魔を上げて消えていった。
「やっぱり、やれる……ウラドさんに比べたら、この程度!」
四人は歓喜を上げて、自分たちの力と連携に酔いしれた。
しかし彼らが掴み取った平穏は、そう長く続かなかった。
「この邪気は……っ!!?」
リリアスの振り向いた先、眷属より数十倍も、濃密な邪気を纏う【何か】がいる。
「血の魔物」
それは反英雄の血と邪気を濃く分け与えられた、《魔物》。
やつの戦闘力は、英雄に力を分け与えられた《因子》にも匹敵する。
吸血鬼は、人間を介さず独自で分け身を生み出すことが可能ななのだ。
加えて《血の魔物》は、人間よりも獰猛かつ、遥かに凶暴な存在であること。
反英雄の力と、その邪気を継いだ《魔物》は、まさに殺戮兵器と言える。
「……ユノちゃん、結菜お姉ちゃん! さっきみたいに時間を稼いで、ボクとリリアスさんが、前に出てあいつを――」
二人からの返事がない。
ユノはぺたんと尻餅を付いていて、結菜は石みたいに硬直している。
彼女たちを「臆病だ」と言うのは酷だろう。
なぜなら《血の魔物》は、あまりにも怪異じみた様相をしていたからだ。
『オ……ォ、……オ、ォ……』
七つの洞が空いた樹木の面、そこからうねうねと伸びている触角、明らかに人とは違う頸椎、胸椎、腰椎は剥き出しとなっている。
前腕はあるが、後ろ足がない。腰から下もなく、そこには太く長い触角が生えていて、不気味にも空中を漂っている。あばら骨もバックリと開き、さながら大きな牙に見える。
「動いてください! アレは血の魔物……推測するに、上級因子相当の力があります! 怯えている場合では――」
次に瞬きをした時、目前には、《血の魔物》が迫っていた。
「ぐ……あぁっ!」
「ひろとさん!」
隙だらけのひろとを、《血の魔物》が襲う。
やつが右腕を振り払うだけで、ひろとは藁屑も同然に吹き飛ばされてしまった。
勢いよく立木に衝突し、ひろとは地面に倒れ込んでしまう。
「そんな……これはただの、訓練じゃないの?」
ユノの拘束術も、まったくもって意味をなさない。
どれだけ熾烈な紫電を練り上げようが、やつはバツンッ! と雷を弾き飛ばす。
「……っ」
きっと、自分たちじゃ敵わない。
《血の魔物》は、自分よりも遥かに格上の相手なんだ。
そう弁えた上で、ユノは憤然たる気概のままに《血の魔物》を睨み据えた。
「怖い……こんなこと、啓示書にも書いてなかったの。だけど……ひーくんを傷つけたことは、許さない!」
ユノが紡ぎ出した灼然と輝く紫電の束が、魔物の総身を縛り上げる。
「弟を守るのは、お姉ちゃんの役目!」
結菜も、恐怖に震えながらも戦闘に臨んだ。
豊穣の力が、周囲の自然を格段に強化し、それらは翠緑の光を放ちながら形を変えていく。幾万の草木が一体と化し、形成されたのは、極大の弓矢。その矢はギチギチと限界まで引き絞られ、いざ撃攘の一矢を掛け放つ。
「「そんな……っ」」
しかし草木の矢も拘束術も、《血の魔物》が腕を払うだけで一蹴された。
反撃とばかりに、ドドドドッと触角で二人を刺し貫く《血の魔物》。
あっという間に、ユノと結菜もダウンしていまった。
「私は、偽りの教師でしかない……だが」
リリアスは持ち得る限りの聖気を、その得物に籠めて喝破する。
「私の生徒を傷つけるなど――貴様は、万死に値する存在だ!!」
ダッと、リリアスが地を蹴ると同時に放たれた、戦技の数々。
杖槍による刺突の【
ただ、どれ一つとして、《血の魔物》には通用しなかった。
「バカな」
纏う邪気が強すぎて、攻撃が命中する前に消え失せてしまう。悔しくも、今のリリアスではどれだけ聖気を籠めたところで、そもそもの地力が違う。
『オ……』
地面に倒れ込む人間が、三になった。自分に歯向かってくる愚か者はもういない。
しかし《血の魔物》にとって、そんなことは関係がなかった。
視界に映る人間共を、ただ殺すだけ。
《血の魔物》は、まず金髪の女に狙いを定めて、触角で急所を突き刺そうと、
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオォォ!!!」
「ッ!!?」
した瞬間、弾丸がごとく駆け抜けてきた少年が、《血の魔物》を吹き飛ばした。
「許さない……許さないぞ、お前!!」
バギンッ! と《血の魔物》の胸郭が割れ砕けても、ひろとは追撃を緩めない。
だが、直撃を許したのは一発だけだ。どれだけひろとが拳を振り払おうと、《血の魔物》は以降の被撃を許さないでいる。更に、魔物とひろとでは手数が違う。《血の魔物》は、数十とある触角をひろとに向けると、
「う……うおおおおおおおおおおっ!!」
ひろとは、右腕を繰り出した。どれだけ自分の身体が刺し貫かれようが関係ない、
肉を切らせて骨を断つ一撃は、《血の魔物》の胸椎を完膚なきまでに破壊した。
トドメにもう一発と踏み込んだひろとには、魔物も脅威を感じたのだろう。
「……えっ?」
だから魔物は、最善手を打つことにした。
「っ……あ、っ……ああああああァっ!!?」
サンッと軽い音が鳴った直後、ひろとの右腕は【地面に落ちた】。
格上にも通用する、【竜殺しの右手】は、易々と魔物の邪気を貫通するほど最強だった。
しかし最強なのは、右手だけだ。
右腕ごと切り落としてしまえば、どうということはない。
「い…………はっ、……あァっ!!!」
魔物はひろとの顔面を掴んで引きずり回し、最後は立木に向かってぶん投げた。
右手は無く、左腕は折れ、臓器の損傷は甚大で、口からも血が溢れてくる。
戦うどころか、まともに立てる状態ですらない。
――けれど守るべき【彼女たち】が目に映ると、自然と足腰が動き出した。
「痛、い……痛い、よ……本当に痛くて、痛くて、苦しいんだ、……は、ははっ」
目の前の敵を思うと、自分の弱さがいっそうと浮き彫りになって、ひろとは自虐的な笑いを漏らしてしまう。
弱い。
本当になにが英雄だって、本物の英雄から鼻で笑い飛ばされるくらいには、弱くて、弱くて、弱々しい。
でも、自分は
あの日のように、いじめられて逃げ出してしまったように……。
何もできないままの自分は――もう、嫌だ!
『いいのかい少年? 今度こそ、死ぬよ』
どこかから響いたヴラドの声にも、ひろとの決意が変わることはなかった。
「ヒーローは、絶対に
魔物が大地を駆け、奴が繰り出す無数の触角が、ひろとを刺し穿たんと迫り来る。
ひろとは、両手も両足も動かせない。出血と損傷もまた甚大。意識は朦朧と、血が不足しているあまり全身はぶるぶると痙攣している。
だけど、それが何だと言うのか。
手足が使えないのなら、噛み殺せばいい。
歯が無くなったのなら、頭突きで殴り殺せばいい。
『誰のために?』
少女の声が聞こえる。
『何のために、ひろとはそこまでして戦うの?』
答えなんて、決まっている。
――ただ守ると決めた、己の《誇り》のために!
「っ……これは」
その武器を目にしたのは、本当にいつ以来だろうか。
黄金の柄、嵌め込まれた青い宝石、月のように白銀と輝く幅広の刃。
それはジークフリートと契約したあの夜に目にした錆びた大剣――《
「うおおおおおおおあああああああっ!」
『……ッ!』
両手は使えない。だからひろとは口で大剣を携え、放物線を描き切った。
触角も、魔の手も、魔物の身体も、すべてを両断するバルムンクの一撃。
かくしてひろとは、見事に《血の魔物》を撃破した。
『知っているかい、少年? 英雄はね……死んで名を遺すから、英雄なんだ』
が、戦いはこれで終わりではなかった。
追加で投入された、五体の《血の魔物》。先の個体と、寸分変わらぬ邪気を纏っていて、つまりこの展開は、ひろとにとって絶体絶命を意味していた。
どこからか響いて来るウラドの声音も、ゲームオーバーだと言いたげに浮ついている。
「ちがう――英雄は、生きて帰るから英雄なんだ」
だが、それはあくまでもさっきまでの話。
〝英雄〟の魂に至り、遂にバルムンクを呼び出したひろとの聖気は、先までとは天と地ほどの開きもあるほど高まっている。【不老不死】の効果も自分で使いこなし、折れた左腕も、断たれた右腕も元通りに完治している。
つまり覚醒したヒーローにとっては、《血の魔物》など雑魚も同然だった。
「……ここまで、か」
聖気も死力も尽くして、ひろとはふらりと倒れ込んだ。
そんな彼の元に、相棒である少女はやっと姿を現して、
「よく頑張ったわね、ヒロ」
彼女の胸の中で、ヒーローは安らかに眠った。
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