英雄譚(8) ヒーローは教育実習中。
あわや貞操の危機を乗り越えて、ひろとは高等部の敷地にある建物へと到着。
そこは取り壊しが決定している、旧校舎だった。
「旧校舎なのに、整備が行き届いているのね」
建物はそこまで古くはなく、鉄筋コンクリート造で、廊下も綺麗なまま。
窓ガラスも磨かれていて、電気も点いている。
「取り壊し、建前、あたしたち、活動拠点」
三階の学園長室に入ると、見知った顔ぶれが並んでいた。
「予定通りの時間ですね。蓬生さん、ご案内していただき、ありがとうございます」
謝辞を述べているリリアス先生と、
「あめぱーと。啓示書は裏切らないの」
この時も修道服を着ているユノ。
「うん、うん。たしかにこれは、本物のシグルズ・ジークフリートかな」
そして、大きな机に腰掛けている茶髪の少女だけは、初対面だ。
体格はジークフリートと同等に小さく、双眸は深紅にギラギラと赫っている。
肩までのショートボブの上には、学園の徽章が刻まれた帽子が。背中のマントにも同じ模様がある。さらにはスーツ姿と、服装はご立派なのに、顔や身体は中学生くらいにしか見えない。
「彼女が、聖華学園の本当の学園長、カガリさんです」
ひろとは、「……え?」と二度見、三度見した。
自分と同級生くらいの子が、学園で一番偉い人だと言われても、ピンとこない。
「落ち着いてください、ひろとさん。これは、ジョークではありません」
「でも……え、だって……実はフーみたいに、すごい存在なんですか? あと、なんだか燃えてますけど、大丈夫なんですか?」
「燃えてはないかな。コレは星が生まれて、消えていっているようなものだよ」
カガリの机や椅子、その周辺は、いまもパチパチと小さな炎が上がっている。
なのに火事にもならず、煙ひとつ立たない上、触ってみても熱くない。
「カガリさんは、ひろとさんと同じく、とある遺物と契約しています。実年齢は、百歳を優に超えています」
「……分かりました。学園長さん、お目に掛かれて光栄です」
カガリはクスっと笑みをこぼすが、瞳がまったく笑っていない。
「カガリでいいかな。そんなに畏まらなくてもいいよ、取って食うわけじゃないし」
あくまでカガリは、ひろとの緊張を解こうと思って声を掛けている。
しかし、カガリからは不気味なオーラが溢れているし、一瞬でも気を緩めたら、本当に取って食われそうだ。この部屋に来た時点で、ジークフリートも彼女の脅威を察している。
「うん、うん。遺物の説明は、終わってるんだよね」
リリアス先生が「左様です」と即答する。
「じゃあ、聖華学園の役割について話そうかな。ああ、キミたちも楽にしなよ。学園長といっても、そこまで偉い存在でもないんだしさ」
カガリがパチンと指を鳴らすと、何もなかった空間に、大きな丸テーブルが生成された。
「キミは、こっちかな」手招きを受けて、ひろとはカガリの隣に。
「聖華学園は、東京の守護を担っている。伊達に、世界三大都市じゃないからね。今日もあちこちで、遺物絡みのトラブルがある」
「東京の守護……日本全体では、ないんですね」
カガリは「うん、うん」と、相槌を打ち、
「事が起きるのは、大抵、東京だからね。地方じゃ遺物自体が出回らないし、実際、ジークフリートのバムルンクだって、展示会は日本だと東京だけ。とても稀なケースではあるんだけどね。未発見で、どこの派閥にも所属していない、遺物っていうのは」
でも、地方を見なくていいっていうのは……どうなんだろう。
遺物絡みのトラブルだって、時にはあるんじゃ……。
「うん、うん。ひろと君は、優しいんだね」
顔色ひとつで、ひろとの胸中を見透かしたカガリは続けて、
「地方にも、英雄たちがいないわけじゃない。坂上田村麻呂、坂田金時、東郷平八郎……日本にも固有の英雄たちがいるよね。雑事は彼らの契約者がやってくれるから、私たちは、都市のガードを固めたらいい」
だったら、地方のことも安心できる。
となると、いま気になるのはやはり例の集団だ。
「うん、うん。アイスストームは、私たちの手で抑えなくちゃいけないね」
え……どうして、ここまで考えが読まれるんだろう。
カガリさんはまるで、ボクの頭の中が読めるみたいだ。
そう顔を引き攣らせるひろとに、クスっと笑い掛けるカガリは、何を思ったのか。
品定めでもするみたく、じっくりと、ひろとの仕草を観察している。
「各勢力も、把握してるよ。ジークフリートが聖華学園の生徒であり、私たち【聖華】の派閥に与したって。だから、きっとどこも手を貸してくれない。アイスストームが、キミを狙っているのなら、これは学園で解決すべき問題だね」
「敵も、東京にいるんですよね。場所とかは、分かっているんですか」
「うん、うん。ひろと君は、頭が回るね」
カガリが、ユノに一瞥を向ける。
ユノは啓示書をめくっていくが、最終的にその首は否定の方向に振られた。
「見ての通りかな。ユノちゃんは、【大天使サンダルフォン】の契約者、その【因子】を与えられているんだけど、三級因子の彼女じゃあ、予知しきれない。おそらく――」
「あっ、あの! え、大天使? ……今さらですけど、天使とか竜とか、もともと地球にいたのでしょうか?」
「いたから、遺物なんて奇妙なモノが存在しているのさ」
カガリが次に指を鳴らすと、学園長室に、縮小スケールの英雄たちが現出した。
大天使サンダルフォン、火竜ファフニール、最古の預言者マーリン、戦神の乙女ジャンヌ・ダルク、半神半人の英雄ヘラクレス、世界を滅ぼす黙示録の獣たち――。
それらはいずれも神話級の怪物で、いわゆる《人間の伝承》とは次元がちがう。
現実の偉人たちがいくら凄くても、これらの前では霞んで見えた。
「私たちごときが、世界を推し量ってはいけないよ。形を変え、世界が捩じれて、いまの時代があるのだから」
カガリが、ふっと息を吹くと、英雄たちは火の粉となって消えていく。
「うん、うん。話を戻そうかな。ユノちゃんは契約者じゃなくて、因子持ち。等級は三。力を最大限に発揮することはできないし、敵の居所も掴めていない」
「敵には……ユノちゃんよりも、強い人がいるんですか」
この間に、リリアス先生は書棚からいくつかの資料を用意していて、カガリはそれらに目を通していく。
「うん、うん。最低でも【三級因子】が数体、それ以上の実力者もいるらしいね。だからユノちゃんの【導き】が、より強大な力によって阻害されているかな」
そして、肝心なのはここから。
聖華学園として、カガリとひろとたちは、どのような立場をとるのかということ。
「私たちは護り手として、アイスストームと、徹底抗戦するよ。彼らにジークフリートが渡った場合、東京どころか世界が脅かされる、邪竜をシンボルとする集団だからね。どんな悪事を企んでいるのか、見当もつかないかな」
「悪は、倒します。それが、ヒーローの務めですから」
……まだまだ青く、新芽のように瑞々しい見習いの英雄。
それでもカガリは、少年の堂々とした宣誓に、英雄の片鱗を感じ取った。
「あっ、いや、その……」
わずかな沈黙が続いて、ひろとは赤面している。
「うん、うん。恥じらうことはないよ、何事も、まずは大志を抱かないとね」
「わたしのヒロだもの、当然よ」
「褒めなくていいってぇ! ――それより、ボクはこれから、どうしたらいいんですか!」
露骨に話を逸らそうとしているが、そこまで詰めるほど、カガリは鬼ではない。
「ひろと君も、今後は、聖華学園として動いてもらおうかな。小峰大翔、リリアス・アマリア、
「カガリさんは、いかないんですか?」
学園長は、お手上げのポーズを取った。
「私には古い誓約があってね、学園から出ることができないんだ」
「でも、カガリさん、とっても強い」
「学園長は、神獣スレイプニルや、豪傑テセウスとも戦ったことがあるの。学園内なら、まず安全なの」
カガリは、「うん、そろそろ頃合いかな」と、みんなに立ち上がるよう指令。
パッと机を消して、窓の外を眺めている。
「それは、頼もしいですね。でもボクは、なにができるのでしょうか。身体が強くなったのは、実感します。でも葵さんみたいに、氷を生み出すことは……」
「それはまだ、【同調】しきっていないからよ。大丈夫、焦る必要はないわ」
ジークフリートは、そっとひろとの胸元に触れる。
そして何かを確かめるように瞳を閉じて……眉根に皺を寄せた。
「ヒロはまだ、資格を持っているだけなの。そのポテンシャルを引き出せるかどうかは、ヒロ次第。契約しただけで最強になれるほど、遺物は万能じゃないわ」
そのはずだろう。元よりボクは、何の努力もしていないのだから。
竜殺しの伝承に、残ったような――大樹を引きずったり、素手で川を作ったり、その身ひとつで森の火災を鎮めたり、あらゆる試練も乗り越えていない。
無数の命を背負っていたフーとは、覚悟の次元も異なるだろう。
「ひとつずつ、積み重ねていきましょう。辛くても、折れずに立ち向かっていく。地道な努力が、魂を崇高にしていくの。大丈夫。きっとヒロなら、大成するって信じているわ」
ひろとは首肯した。
「見ていて。ボクはぜったいに、ヒーローになるから」
これまで外を眺めていたカガリが、「うん、うん」と、横手を叩いて、
「やっぱり、鉄砲玉が来たね。さあ初陣といこうか、ひろと君」
「え……初陣って?」
「アイスストームの使いさ。数は一二、邪気の程度からして、雑魚の五級因子かな」
「そんな――まだ、学校に残ってる人がいるのに!?」
「一般人は巻き込まないはずだよ。暗黙の掟を、守るならね」
カガリの視線の先、まだグラウンドで部活している生徒や、園内を行き交う生徒が多数見られる。無暗に戦えば、犠牲者が出る可能性は非常に高い。
「うん、うん。私たち英雄は、人目の付くところで戦っちゃいけない。遺物や英雄なんて存在は広く知られるべきじゃないし、関係者以外への加害も禁止。これを破れば、世界中の派閥から袋叩きかな」
それじゃあ昼の間は、安全だということだろうか?
「いいえ、過信は禁物かしら。一昨日、ヒロは襲撃されたでしょ。英雄か因子なら、誰だって【人払い】ができる。平凡な魂を、一定領域から弾く力よ」
ジークフリートの説明通り、カガリは今まさに【人払い】を実行している。
自分の胸に手を当てて、鮮やかな炎をその指に灯す。
空中に魔法陣を描くと、効力はつつがなく発揮された。
「うん、うん。いい子だから、帰ろうか」
カガリの命令に応じて、生徒たちはぞろぞろと帰宅していった。
今まで部活動中だったのに、何の疑問もなさそうにしている。
「さて、後はひろと君に任せようかな。戦うのが怖かったら、そう言いなよ。まだ、心の準備ができていないとか、ヘタレな言い訳を聞いてあげる」
「――やらせてください」
ひろとの返事には、打てば響くものがあった。
「敵は南の正面玄関から。まとまって来てるようだから、注意してね」
手短に情報を伝えて、ひろともそれ以上は口を挟もうとしない。
「新たな【特異点】、ジークフリート。どれだけ出来るか、見ものかな」
カガリの見送る先、四名の英雄たちは、既に学園長室を飛び出していた。
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