英雄譚(6) ヒーローは保健室で秘密の……。


「あら、随分と眠たそうね」


 翌日の早朝。ひろとがあくびをかみ殺して家を出ると、ジークフリートは他人事のように言った。


 眠気の原因は、率直に申し上げると男子特有の興奮なのだが、何もひろとがエロガキというわけではない。「さあ、脱ぎなさい。これは大事な儀式だから」と、彼女から素肌同士をくっつけて寝ることを命じられ、結局、朝の五時までバチバチに目が冴えていた。


 しかも、ジークフリートの寝相は悪い。彼女がもぞもぞと動くたびに、慎ましい双丘がふにふにとひろとの胸板をくすぐる。


 お互いの足が絡まり合うこともあった。極めつけには、「うーん……」と唸りながら、ジークフリートはひろとの手を自分の胸に押し付ける。


 ひろとの理性が強くなければ、朝チュンは間違いなかっただろう。


「フー……もしかして、これから毎日あれをするの?」


 ジークフリートは、霊体化といって半透明の状態になっている。

 これなら一般人には彼女が見えず、その声も聞こえない。


『まだ、完全な状態とは程遠いのよ。わたしとヒロは、密に同調する必要があるわ。そうじゃないと、聖気の供給もままならないの』


「聖気……それって、魔力みたいなもの?」

『魔ではないわ。それは反英雄が好む邪悪なエネルギー、邪気と呼ばれるもの』

「英雄の区分によって、使う力が変わるんだね」


『人間の本質には、善も悪も眠っているから。その気力を、わたしたちが固有のエネルギーとして変換してるの。でも服があるとノイズになるから、素肌同士が一番いいわ』


 やたら裸を触らせてくる行為には、ちゃんと意味があったんだ……。

 ひろとが、独りでにそう納得していると、


『ほかに、どんな意味があると思ったのかしら?』


 しっかり胸中を見透かされて、ぎくりと肩を震わせるひろと。


 てっきり、エッチなお姉さんだと思ってました、はい。


「おはようございます。昨晩は、よく眠れましたか」


 通学中、二人の元に現れたのは、担任のリリアス先生。


「あっ……先生! 昨日は助けていただき、ありがとうございました!」

「大丈夫ですよ。ひろとさんは、私の生徒なのですから」


 リリアス先生は、ジークフリートにも視線を送った。


「竜殺しさま、具合はいかがですか」

『悪くはないわ。――それで、昨日言っていた話なのだけれど』

「これからご案内いたします。さあ、こちらに」


 担任に連れられるまま、リリアス先生の後へ続くことに。


 学園に入る手前、リリアス先生は制服をジークフリートへ手渡した。いまの格好は、ひろとのTシャツを借りているだけで、みすぼらしい。下着も用意してくれていて、これでひろとが(突然の裸ハプニングに)困らされることはないだろう。


「おい見ろよ、あのチビ……」

「リリアス先生が、どうして陰キャのひろとに!?」

「これから、保健体育の補修ってわけか……ぐあああぁ、羨ましい!」


 校舎に入ると、男子たちのバカな憶測が飛び交いまくった。


 それもやはり、リリアス先生の圧倒的乳力が原因で、男子はリリアス先生の授業になると、いやらしい目つきに変わり知能指数が3まで下がる。普段そういうことに関心のないひろとでさえ目が行ってしまうくらいには、男子の妄想を具現化したようなバストを持っているのだ。


『わたしのよ。ヒロは、誰にもあげないわ』


 そして隣からは、謎に対抗心を燃やしている彼女が。

 触らぬ英雄ロリに祟りなしか、いまは気にしないのが一番だろう。


「こちらに、お願いします」


 到着した場所は……え、保健室?

 まさか、ほんとうに『そういう補修』を、始めるとか――。


「ふぅ~ん。ヒロは、大きな贅肉が好きなのかしらね?」


 ぷっくりと、頬っぺたを膨らませているジークフリートさん。


「ちっ、ちが! ボクはその、なんで保健室なのかなって!」


 必死に弁明しようとも、彼女の機嫌は、悪化する一方で、


「言っておくのだけれど、わたしだって、無いわけじゃないのよ。戦うために、身体を効率化しているだけ。むしろこのくらいの大きさが、男の子にとって、一番嬉しいサイズでしょう? 手のひらで収まるくらいが、ちょうどいいって聞くものね」


 ……彼女は、なにを言っているのだろう?


「どうしたの、フー?」


 みるみるうちに、ジークフリートの顔が真っ赤に染まって、「っ……バカ」なんて出た悪態は、自分が変なことを言っていることに気付いたのかもしれない。


「リリアス先生、どちらに行かれるんですか?」

「すみません、これから2組のホームルームがありますので」

「えっ……ボクも、あるんじゃないですか?」

「ひろとさんは、大丈夫です。また指導室に呼ばれて、叱られることはありませんよ」

「じゃあ、ここで待っていたらいいんでしょうか」

「いえ。私の代わりに、彼女が説明してくれます。それではまた、放課後に」


 よく見ると、保健室のベッドはひとつだけカーテンが降りている。

 う~ん、と眠たそうな声も聞こえてきて……だれか、中に入っているのだろうか?

 試しに、カーテンの中へと手を伸ばしてみると、


「うわぁっ!!?」


 ぐいっと手首を掴まれ、強制的に引きずり込まれた。


「ね、ねえ、ちょっと!」

「ふにふに……しゅわしゅわ……」


 ベッドには女の子が寝ていて、がっちりと絡み付いてきて離れない。

 どうやら、寝ぼけているらしい。

 しかしそんなお寝ぼけ以上に、問題というのは……。


「~~っ!!?」


 最近の流行りは、全裸就寝だったりするのだろうか?


 ひろとは、見知らぬ女の子に裸で組み付かれている。身長差により、顔面は少女の胸の中に。少女はそこそこ発達していて、むにゅんと柔らかな弾力がひろとを包む。


「ね、ねえ、ちょっと――むぐわぁっ!!?」


 むにゅむにゅむにゅと、ひろとは少女の胸の顔にもてあそばれる。

 もしも大きなマシュマロがあれば、きっとこんな感じで埋もれるのだろう。

 幾度となくひろとは少女の谷間に挟まれて、足は密に絡まり合っている。


「くぅ……不覚だったわ!」


 いったいなにが不覚なのかは知らないが、ここぞとばかりに全裸になる英雄さま。


「リリアス先生! ……リリアス先生ぇ!」


 果たして、彼女がこの光景を見たらどう思うだろうか。

 しばし夢のような時間を過ごした後、ひろとはようやく解放された。


「えーうかると……導き、天啓。ユノは、やっぱりこの時間に起きるの」


 無地のキャンバスみたく真っ白な頭髪には、紫色のインナーカラーが入っている。

 両目は月みたいに綺麗な銀色。

 学生服ではなく、銀色の修道服を着ているところも変わっている。

 口も鼻も小さく、すんと澄ました無表情顔が特徴的だ。


「リリアス先生から、案内されました。こっちで話を聞くようにって、それはあなたのことでいいんでしょうか?」


 少女は、「?」と首をかしげて、裾から分厚い書物を取り出した。

 啓示書だろうか?

 少女は、パラパラとページに目を通していくと、


「こみねひろと。ジークフリートの器で、この世界の新たな特異点」


 ひろとは、彼女がリリアス先生の紹介なのだと確信できた。


「ボクは、話があるって聞きにきました。詳しいことは、まだなにも――」

「むぺーかると。私の名前は、天音諭乃あまねゆの。ひーくんは、ユノちゃんって呼ぶんだね」


「……え」


 初対面で、呼び名を確定されることなんてあるんだ……。


「えと……あれ、ボクたちって同級生ですか?」

「あれあふだー。ひーくん、ユノの身体に興味があるの?」

「っ!? ちょ、え……なに、どういう話!?」

「たふた。最近ね、ちょっとお胸が、大きくなったの。毎日、豆乳を飲んでいたの」


 アピールとばかりに、ユノは、たゆんと両手でそれを持ち上げる。


「ぼ、ボクはべつに……ユノちゃんのそれに、興味は……」


「ユノは、あるの。稀代の特異点……竜殺しの適任者。ひーくんの種子は、きっと莫大な価値があるの。ほら……試しに、交わってみるの?」


「まじわ……っ!?」


 ユノは真顔で驚くひろとに「?」と疑問の様子。彼女はジークフリートと違って、からかっているのではなく、真剣にそう考えているだけのこと。するりと衣服をはだけさせても、恥じらいひとつ見せていない。


「あら。わたしのヒロに手を出すなんて、いい度胸ね」


 ふんと胸を張って、ジークフリートが牽制する。


 するとユノはパラパラと啓示書をめくり、「うーえー。交尾したら、竜殺しとの敵対は避けられないの」、残念そうに肩を落とした。


「はんらえう。英雄たちには、派閥があるの。彼らは例外なく、どこかのグループに所属していて、勢力を拡大しようとしているの」


 ユノが手を伸ばすと、空中に光で編まれた東京の縮小図が現れた。

 地図にはいくつかマーカーが立っている。ひろとの聖華学園もそのうちのひとつだ。


「勢力を拡大して、どうするの?」


「より多くの遺物を集める。遺物を集める理由は、さまざま。お金を得るためだったり、敵対勢力を滅ぼすためだったり、秩序のためだったり、組織の目的に直結してるの」


 きっと彼ら……リントブルムの異能者たちも、思惑があって、ジークフリートの遺物を奪いに来たのだろう。葵の目的は不明だけど、それは組織の狙いが分かれば読めるはず。


「遺物って、ひとりでいくつも契約できるの?」


「いぇへすた。絶対にできない。ひとつの器に、ひとつの魂。人間が契約できる遺物は、ひとつだけなの」


「じゃあ葵さんは、フーの力が欲しかったわけじゃないんだね」


 ユノは、こくりと首を縦に振った。


氷嵐を歩む者アイスストーム。近年誕生した新勢力。人数はそんなにだけど、他勢力に睨みを利かせるくらいには、厄介な派閥」


 見たところ、東京だけでも英雄たちのグループは、数十とある。

 それだけあって、昨日も横槍が入らなかったというのは、確かな権威の証だ。


「でも……あれ? 人間は、ひとつの遺物としか、契約できないんだよね。昨日はたくさん、氷の能力者がいたような……」


「ぺるたるた。遺物と最初に契約した人間は、【器】と呼ばれる。【器】は、自分の魂の一部と肉片を、他者に分け与えることが可能。分け与えられた者は、【因子】と呼ばれる。親と、子のような関係。でも子は、親と比べて大した力は持ってないの」


 なるほど、薄めたカルピスみたいなものか。

 たったひとつの遺物でも、そうやって無数に薄めていけば、多くの【因子】を量産できる。因子が増えると、勢力はさらに拡大する。組織が強い遺物を狙うわけだ。


「みーえい。眠気が限界……ひーくん、また放課後に集まるの」

「ゆっくり休んで! ありがとう、ユノちゃん!」


 二人は教室へ戻ろうとしたのだが、どうにも彼女のご機嫌が斜めの様子。


「どうしたの、フー?」


 英雄さまは立ち止まって、ふにふにと自分の胸を確かめながら、


「この時間に、購買は開いているかしら」

「お腹が空いたの?」

「そうね。とりあえず、豆乳を買ってきてくれないかしら」

「……」


 なんだか、突っ込もうにも、色々と残念な気持ちが込み上げてきた。


「どうしたの? 言いたいことがあるのなら、聞いてあげてもいいのだけれど」

「いっ、いや! べつに……うん、買ってくるよ!」


「一応、言っておくのだけれど、これはヒロのためなんだから。大きなお胸が、大好きな大好きなヒロのために、契約者として、できることはしてあげようかしらと――」


「ひ、一言もそんなこと口にしてないよ!」


「あら、誤魔化さなくてもいいのよ。葵の時も、ユノの時も、わたしの胸を触った時より興奮していたじゃない」


「してない! それはほんとうに、誤解だって!」

「いまに見てなさい……一か月もあれば、追いついてやるんだから……」


 ぐぬぬとストローを噛むジークフリートには、どうか触れないでおこう。

 そもそも不老不死である彼女は、老いもしないが、成長もしないはずなんじゃないか……なんて小言を挟むのも、残酷すぎる。


「チビ助、リリアス先生の特別補修はどうだった!?」

「当然、エロイことをされたんだよなぁ!?」


 2組に戻るや否や、男子たちからの下心全開な質問攻めが始まった。

 そんなことを聞かれても……と、ひろとはジークフリートに助けを求めようとして、


「リリアス先生のおっぱいは、柔らかかったよ!」


『っ!!?』


 意図せず勝手に言葉が出てきて、みんなあんぐり。


 これはどうしたものかと思っていると、隣で「ふふん♪」と、満足気な彼女が。

どうやら契約者である彼女は、ボクの身体を自由に操作できるらしい。


「おいこらクソチビ、どういうことだぁ!!?」

「もっとこう、的確に伝わるレビューを!」

「あのパイは、AppStoreでいうと、星いくつだ!? 星4か、星5か!?」


 ジークフリートの憂さ晴らしによって、ひろとの苦難は、しばし続いた。

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