英雄譚(5) ヒーローはちっぱいにも負けない。


「わたしは、シグルズ・ジークフリート。好きに呼んだらいいわ」


 しゃくしゃくしゃくと、ひろとは少女の髪をシャンプーしている。


「……ボクは、小峰大翔」

「ええ、知っているわ」

「どうしてボクは、フーの頭を洗っているの?」

「フー……そう呼ばれたのは、初めてかしらね」

「ジークフリートの、フーだけど……ほら、フーの可愛い見た目に合うかなって」


 ピクリと、ジークフリートは眉で反応した。


「わたしが、カワイイ?」


「お世辞抜きで、世界一可愛いと思う。ボクは、フーみたいな女の子、見たこともないし――わ、わわわっ!?」


 突然、ジークフリートは振り返った。

 ツンと控えめに立った丘を見まいと、ひろとは慌てて視線を逸らす。


「教えてあげるのだけれど、わたしはこう見えて、何百年と生きているの。小さいと思ってそう評価したのなら、とんだお門違いよ」


 どうして彼女は、ここまで堂々としているのだろう。

 全裸なのに、ほんとうに見られても問題ないかのような振る舞いだ。


「な、なにか身体に巻いてよ、フー! その、ほら……タオルとかさ!」


 ひろとは腰にタオルを着けているが、ジークフリートは全裸のまま。

 普通、こういうのは逆なんじゃないかとひろとは思う。


「どうして? わたしに、欲情しているのかしら」

「そうじゃなくて! 可愛い女の子が、はしたない真似してちゃダメでしょ!」

「むっ……またわたしを、カワイイって」

「ウソじゃないよ。本当にそう思ってるから、ボクも困ってるんだ」

「……ふぅん。そう」


 するとジークフリートは、途端にしおらしくなって、椅子に戻った。


「あれ、フー? どうしたの?」

「いいから、続けなさい。これが日本流の、おもてなしなのでしょう」


 顔は平静を保っているが、内心、ジークフリートは動揺している。


 彼女が、何百年とこの世界にいるのは事実だが、そもそもここ三〇〇年は、ろくに人と接していない。男子への抵抗もないに等しく、端的に言うとチョロかった。


〝まったく……子供のくせに、口だけは達者なんだから……〟


 ぷるぷると、小刻みに震えているジークフリート。

 僥倖にも、ひろとには自分の変化に気付かれることはなかった。


「ちょっ、ちょっと! ボクは、いいから!」

「ダメ。わたしたちは、対等な関係なのだから。ヒロにだけなんて、許せないわ」


 今度は、ジークフリートがひろとの頭を洗うことに。

 もちろん、鏡を見るわけにはいかない。

 ひろとの頭上には、ちょうど彼女の胸部がピンポイントに映されているのだ。


「その……フーは、伝承の【ジークフリート】なんだよね?」


 気を紛らわせようと、ひろとは気になっていたことから聞いてみる。


「竜殺しの大英雄、シグルズ・ジークフリート。ヒロも、男だと思っていたのかしら」


「うん、だって……どの本にも、フーは男性だって書いてあった。肖像画も、全部、男性だったし……」


「認めがたかったのよ――英雄の正体が、少女だなんて。王国も、実の父母も、わたしを排除しようと躍起だった。この時代の伝承は、ほとんどが作られたもの」


 淡々とした声音ながらも、ジークフリートの表情はもの寂しい。

 聞いてもいい話だったんだろうか?

 心配するひろとを安心させるよう、ジークフリートはクスリと笑った。


「かつて、王国は象徴を求めていた。民草は飢え、敵軍の数は、自国の数倍。そんな時、ようやく現れた英雄が幼い少女じゃあ、牽制になるどころか、逆効果よね。でもわたしは、自分の力を証明し続けた。愛する祖国を守りたかったから、竜も狩った。きたる脅威を、ことごとく跳ね除けた。……けれどそのたびに、敵は増え続けた」


 シャンプーが終わり、次は身体を洗うことに。


 ひろとはするすると、ジークフリートの柔肌にボディタオルを滑らせていく。「前もお願いね」さりげなく、地獄のような注文が確定された。


 彼女の肌はまるで淡い桜色の花びらであり、手首から肘にかけては、絹のようになめらかな質感が広がっている。


「……っ」


 そうして腕が終わり、首、胸とボディタオルを滑らせていく。

 柔らかい。いかに小さくとも、この濃密に過ぎる軟らかな質感が、ひろとの手全体に伝わっていき、ひろとはいまにも動悸不全で倒れてしまいそうになる。


「こら、ちゃんと手を抜かずに《全身を》洗いなさい」

「で、でもっ、それは……その……っ」

「いいから。ちゃんと、抜かりなく《綺麗にする》のよ」


 ひろとはドッドッと鼓動を昂らせながら、彼女のツンと突っ張った山に手を伸ばしていく。どんな花びらよりも綺麗な桜色の孤峰は、右と左にひとつずつ。余すことなくきっちり泡で包み込み、きゅっと先端にも洗いを施していく。


「ふっ、フー……」

「その調子よ。ちゃんと、綺麗にしなさい」

「う、うう……っ」


 耳元で聞こえてくる彼女の甘い声も、いまは知らないふりをした。


 柔らかな泡立ちのボディタオルが滑り、ふんわりと柑橘系の香りを広げる。泡立つ白い泡が、彼女の肌を包みこみ、するすると指先ひとつあますことなく洗っていく。


 最後まで見事に洗い切った彼は、なるほど、英雄の素質がある。

 ジークフリートはひろとを、そんな意味不明な評価で称賛した。


「祖国……アイテルフタは、わたしの暗殺を計画したわ。そうして生まれたのが、偽りのジークフリート。ほんとうに、皮肉なものよね。彼はわたしの武器だけ受け継いで、なんの努力もしてこなかったのに。アイテルフタは、目に見えて被害が減った。――英雄の男というだけで、皆が褒め称え、敵も脅威だと思ったのよ。少女姿のわたしなんかとは違い、彼は後世まで讃えられる、大英雄となった。わたしの存在は、どんな文献にも残されずに、ね。……でも、いいの。わたしがやってきたことは、確かに人々の助けとなったのだから。ただ、容姿を満たしていなかっただけ」


 ジークフリートの横顔には、後悔や怒りは感じられない。

 それでも伏せた睫毛からは、隠しきれない哀愁が漂っている。


 頑張って、頑張って、頑張り続けたのに、認められず、存在ごと消された彼女は、どれほどの苦しみを抱えているのか。


 だから彼女は、『可愛い』という言葉を、否定するのだろう。

 彼女にとってそれは、呪いのようなものなのだから。


「あっ、ちょっと、フー……そこは!」


 いまはジークフリートが、ひろとの身体を洗っている番。

 彼女はひろとの腰へと手を伸ばしたとしたところで、にやりと笑った。

 まるでこれは、内なる欲望を叫び出さんとする男の咆哮だ。立派に哮り上げているそれは、まだ青く小さく、ジークフリートは愛おしそうに見つめている。


「どうしたのかしら? そこって、体の一部でしょ?」

「そ、そうだけど……っ」

「身体を洗うだけなの。ほら、何もおかしいことはしていないわ」

「た、確かに……フーの言う通りだね」


 何でもない、これはただ身体を洗っているだけなのだ。

 純粋無垢なひろとは彼女に丸め込まれ、ただ大人しく座ることに。腰から下にかけてもボディタオルの手が及ぶも、ひろとはひたすらに無心をつとめた。



「――フーの過去は、とってもひどいことだって思うんだ。だから……ボクに、なにかできることはある?」


 無事、洗いっこは事もなく終わり、ひろとは話を本題に戻した。

 ジークフリートは彼の温かさにこくりと頷き、けれど同意はできないでいる。


「ヒロは優しいのね。けれどわたしに、同情は不要よ」

「同情じゃないよ」


 力のある即答を受けて、ジークフリートは眉根を顰めた。 


「じゃあ、どんな理由があるのかしら。言っておくのだけれど、わたしは竜殺しの大英雄として生きてきたの。そのわたしに、慰めなんて――」


「頑張ったのなら、報われるべきだよ! フーがひどい目に遭うなんて、そんなのは絶対に間違ってる!」


 突然のひろとの訴えには、思わずジークフリートが呆気にとられる。まさか、彼がそこまで思ってくれているなんてと、ジークフリートの開いた口が塞がらない。


「あっ……ごめん、えと……」


 出過ぎた真似だったかもしれない。こんな自分が、英雄さまに口答えなんて……。

 ひろとがそう思っていることが、ただ純粋に、自分の不条理に怒ってくれたことがジークフリートにも伝わった。


 だから彼女は、笑みを浮かべた。


 誰よりも優しく、誰かが傷つくことに許せない、誠実な信念。

 彼はやはり、【英雄】としての器を持ち合わせているのだろう。

 これまで誰にも知られず、何の賞賛も同情も受けてこなかったジークフリートは、ひろとの言葉に嬉しさを感じてしまう。そして、彼と契約できたことに、心の底から良かったと思えた。


「えっと……フー?」

「いいのよ。ありがとう……ヒロ」


 ジークフリートは感謝を込めて、そっとひろとを抱擁する。

 じんわりと伝う温かさが、二人の距離を縮めていく。

 気恥ずかしそうに赤面するひろとに、ジークフリートはまた微笑を向けた。


「でも、大丈夫。わたしはまだ、死んでいるわけじゃないから。なにも、希望がないわけじゃないの」


「え……っ? 暗殺されたんじゃ……」

「それは、伝承の男の方でしょ。わたしは、何とか生き長らえたわ」

「いまも……フーは、生きているの?」


「不死なのだから当然でしょ。とは言っても、ほとんど概念のような存在だけれど。意識は、とっくの昔にバムルンクへ移していたし、いまはこっちが本体みたいなものよ。置物の容姿も、こっちと全く変わっていない」


「みんな、そんな感じなの? かつての英雄は……実は、いっぱい生きていたり」


 ジークフリートは、頭を左右に振った。


「わたしは、かなり特殊な方。ほとんどの英雄は、死んでいるわよ」


「でも、魂が宿ってるんだよね。聖遺物、だっけ。英雄の遺物には、その魂が宿っているの?」


「そうね」ジークフリートは、相槌を打ってから、


「世界に名を遺すほどの【特異点】は、死してなお、遺物に魂を囚われる。世界にとって良い功績を残した者は、【英雄の聖遺物】として。悪評を広めた者は、【反英雄の忌物】としてね」


 ひろとが湯船に浸かると、ジークフリートも同じように浸かった。

 彼女はまたもや、ひろとの上に乗っている。

 どうやらこの英雄さまは、誰かの上に座ることが好きらしい。


「聖遺物も、忌物も、その霊魂を人間に移して、同調することができるの。選ばれた人間は、英雄の力を行使できるわ」


「選ばれたってことは……聖遺物をゲットするだけじゃ、だめなの?」

「もちろん。だれを【次の英雄にするか】、全ての決定権は、わたしたちにある」


 ザバッと立ち上がり、ひろとの方へと向き直るジークフリート。

 絹みたいにつるつるな素肌が、視界一面に覆われる。


「わっ、わわわわっ!!?」


 その絶景はかなり刺激が強かったのか、ひろとはあわてて湯船に沈んだ。


「いいから。ほら、立ちなさい」


 だけど強制的にたたき起こされて、面と向かい合うことに。


「もう、分かるかしら? わたしが、ヒロを選んだ理由」


 仮にジークフリートが、ボクの心を見透かすことができたのなら……。

 だから彼女は、自分を選んでくれたのかもしれない。


「ボクは……小さい、小さいって。男のくせにって、バカにされてきた。そんなボクの夢が、英雄になりたいなんて、誰が聞いても笑うよね」


 親にも言えてない、一四歳の理想。

 言えば「現実を見なさい」と、諭されると知っているから。


 それでもボクは、悪をやっつける英雄ヒーローに、ずっと、ずっと、憧れている。


「昔、ボクはクラスメイトに相談したんだ。みんなのヒーローになりたい。警察官とか、どうかなって。でもね、お前はチビだから無理だよとか、かえって治安が悪化するとか。見た目が原因で、たくさんのことを否定されてきた」


「諦めないの? あなたの身体じゃあ、満たしていないかもしれないのに」


 ひろとはかぶりを振った。


「関係ない。誰に認められなくても、ボクは絶対に、ヒーローになるんだ」


 揺るぎのない信念、恥じらいを捨てた覚悟と、いまこうして宣戦できるだけの度胸。

 いまいちど見返しても、ひろとが自身と重なる点はあまりにも多く、


「さあ。シャワーを浴びて出ましょうか、ヒロ」

「えっ……あ、もういいの?」

「湯冷めしちゃうでしょ。それとも、わたしに風邪を引かせるつもり?」

「ううん、そんなつもりは……って、あれ。もしかして、『ヒロ』ってあだ名は」


 シーっと、ジークフリートは指でジェスチャーする。

 それは自分が、英雄ヒーローに成ることを期待してのあだ名――。


「フーって、身分は高かったんだっけ……」

「支度は、全てメイドに任せていたわね」

「あぁ……そういう……」


 しかし、いい感じのまま終わらせてくれないのが、英雄さまの憎いところだ。

 ジークフリートはすっ裸のまま、ひろとにタオルを渡している。

 わたしの身体を拭け、の合図である。


「ボク、反英雄にならないよね……?」


 生唾をごくりと飲み下しながら、ひろとは作業に取り掛かった。



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