英雄譚(3) ヒーローに降りかかる災難。


「急遽、担任が変更となりました。2組の授業は、今後私が受け持たせてもらいます」


 がやがやと教室が騒がしくなってしまうくらい、突飛もないお知らせだった。

 昼休みが空けると、金髪のお姉さんがひろとのクラスに入ってきた。

 高身長、金髪のゆるふわボブに、赤い瞳、葵さん以上に爆裂級のとんでもない房。見るからに外国人の先生だけど、ひろとにとってそんなことはどうでもよかった。


 まるでこの数時間は、お互いに高度な駆け引きをしているようだった。

 葵とひろとは、ついさっきSNSでも連絡を交わした。

 そしてやってきた五限目の数学。葵からの通知は、ひっきりなしに続いていて、


「……っ」


 胸を机に乗せている葵の写真、手には「エッチ」と書かれた切れ端を握り、指先を舐め回す自撮りも送ってきた。


 きっとこれは、試されているんだ。

 葵さんは、ボクが不純な男子かどうかを、見定めているに違いない!


 ひろとはそんなことを思い、怒涛の連絡も、あえて見ないよう努力した。

 すると休憩時間に、「私のこと、興味ないの?」と、メッセージが飛んでくる。


『そ、そんなことないよ』慌てて否定するひろとだったが、『ふーん……エッチなんだね、ひろとくんは』、と返されて、こんがらがった。


 六限目の国語でも、誘惑は続いた。


『ねぇ、いまグループディスカッションなんだけど、ひろとくんは、コレをどう思う?』


 送られてきた葵の写真は、シャツを第二ボタンまで外していた。

 ひろとに、その海溝のごとく深い谷間を見せるためだ。


『ええっと……まあ、良いんじゃないかな』


 なにが良いのかは、決まっている。

 もはやディスカッションの議題ではなく、煩悩のことしか頭にない。

 他の生徒が話している間も、構ってほしそうに、葵はメッセージを送りまくる。

 視線をやれば、またあの三大欲求の塊が目に映る。

 そんな地獄の時間を乗り切って、ひろとは何とか放課後までたどり着いた。


 夕暮れ時の東京。


 帰り道は、葵が人通りの少ないルートを回り、自然と『そういう雰囲気』も出てきた。


「ひろとくん……ここで、いいかな」

「う、うん」


 場所は川沿いの土手。二人きりになったのを確認して、葵は腰を下ろした。

「座って」ひろとも促されるまま、彼女の隣に。


「「……」」


 濃密な静寂は、無駄に相槌を交わすよりも意味があった。

 視線での応酬、生唾を飲む音、鼓動や、仕草ひとつすらも見て取って、お互いに、どう切り出すかを考えている。


「ひろとくん。私……ずっと、伝えたいことがあって!」


 そしてついに、その時は来た。


「まっ、待って葵さん! ボクまだ、心の準備が――」


 立ち上がった彼女に合わせて、複数の影が、ひろとを取り囲む。


「葵、さん。……この人たちは?」


 男たちは蒼色のローブを纏っていて、剣、槍、槌、杖など、氷造りの得物を手にしてる。

 数は全てで八体、どの切っ先も、ひろとに向けられている。


「ねぇ、教えてほしいな、ひろとくん。昨日……バムルンクを手に取ったとき、そこにはもう、【竜殺し】の気配はなかったの」


 葵が口にする内容なんて、ひろとが知るはずもない。

 もしかして、告白はドッキリだった? ずっと、からかわれてただけ?


 黙ったままいると、葵さんは、ギロリと睨んでくる。「知らないフリをするな」なんて、言いたげな顔で。


「なんでだと思う? 私はね、バルムンクがレプリカだと思ったんだ♪ だって、本物の【聖遺物】なら、そこには【霊魂】が宿ってるはずだもん♪」


 本物の聖遺物? ……霊魂?


 これでも英雄に憧れた手前、ひろともそれなりに、偉人たちの勉強はしてきたつもりだ。


 でも、そんな単語は聞いたこともないし、やっぱりこれは冗談なんだろう。


「けどね――違ったの。アレは本物のバルムンクで、霊魂は、存在を隠していただけみたい。【竜殺し】と契約した泥棒は、だれかな? それはもう、分かり切ってるよね♪」


 葵はひろとに詰め寄り、前かがみになって、豊満なそれを見せつける。

 けれどいまはそれどころじゃなく、ひろとは視線を、うろうろとさせて、


「え、えと……なんの、話? ボクには、葵さんの言ってることが……」

「【英雄化】。できないなんて、言わないよね?」


 パチンッと、葵が指を鳴らし、その衣服を消滅させて、例の鎧を纏い始める。

 変身中、一瞬だけ全裸となって、葵の身体美を、ひろとはまざまざと目に焼き付けた。


 白い素肌、芸術的に大きく華麗な二つの球体、対極的に小さな桜色の輪……。


 しかしそれらの煩悩も頭にはなく、ひろとは尋常じゃない恐怖に支配されていた。


 昨日、自分を殺したあの竜人が、目の前にいる――。


「力の源は、リントブルム。私の場合は、【反英雄化】なんだけど……ひろとくんもできるよね? だって私は、見ちゃったんだ。今朝、ひろとくんがトラックを、片手で止めているところを。何より、殺したはずなのに死んでいない。それはジークフリートの、【不死性】だよね♪」


 分からない。葵さんがなにを言っているのか、最初から最後まで、分からない。


「ひぃ……っ!」


 殺される。そう思ったひろとは、ダッと駆け出して、


「あっ! ……がぁっ!」


 だが男たちに串刺しにされて、ひろとは地面へと叩き伏せられた。


「悪い子だね、ひろとくんは♪ 遺物を渡してくれたら、乱暴しなくても済むのに」

「なにを、言って……ボクはそんなものは、持ってな――」

「持ってるよ。じゃなかったらその傷を、どう説明するのかな♪」


 ひろとはたったいま、正面から刺し貫かれた。


「……うそ、でしょ」


 そのはずが、もう腹部の傷が完治している。


「ほらね、私の言った通りでしょ♪」

「でも……どうして葵さんは、力が欲しいの? ボクは、こんなもの……」

「知らなくていいよ。それは、ひろとくんに関係がない」


 葵さんの顔つきが、急変した。

 この氷のような表情は、昨日ボクを殺した時と、まったく同じ顔――。


「素直に渡してくれたら、これからも私たちは、友達でいられる。ううん……もっと、もっと、いい関係にだってなれるんだよ? 私、優しい男の子が好きだもん。ひろと君にも、そうなってほしいなって!」


 なんて言いながら、葵は氷の槍を構えている。


 色仕掛けなのか、脅迫なのか、あるいはその両方を使ってでも欲しいくらい必死なのか。


 そもそも、どうやって遺物? を渡せるのか。自分はいつ、契約したのか。


 分からないことだらけの中でも、ひろとには、一つだけハッキリしていることがある。


「嫌だ……」


 身体と喉を震わせながらも、真っ向から葵を睨み据えて、


「ボクは、ヒーローになるんだって決めている! 誰にも、ボクの夢は邪魔させない!」


 葵は、忌々し気に舌打ちをした。


「そう――だったら、徹底的になぶってあげる!!」


 いよいよ体裁を気にしなくなった葵は、ひろとへと総攻撃を仕掛ける。

 死なずとも苦痛を科し続ければ、先に心が折れて、ごめんなさいと平謝りするだろう。


 そんな残酷な算段を立てて、ひろとを八つ裂きにするつもりだったのだが、


「いい心掛けですね。私は、ひろとさんの意思を尊重します」


『っ!!?』


 ズガガガガガッ! と何者かが高速の刺突を繰り出して、葵以外を一掃する。


「あなたは……」


 ひろとを守るように立ち塞がっているのは、金髪の女性。

 たしか彼女は……急遽、2組の担任となった。


「リリアス・アマリアです。私のことは、リリアス先生と呼んでください」


 二メートルはあろうかという、杖と槍が一体化したような得物。

 それが、彼女の武器だった。


「魔法戦士、オイフェの英雄化……どうして、こんなところに」


 葵が睨むも、リリアス先生は涼しい顔のままだ。


「良くない気配が、しましたからね。忌物きぶつの霊魂――源流は邪竜のリントブルムですか。氷と嵐を司る、反英雄化。……いえ。あなたは、その因子に過ぎないようです」


 葵はチッと舌打ちして、空間に手を伸ばした。


「待ちなさい! まだ話は終わっていません!」


 空間はビキビキとひび割れ、そこから氷のポータルが出来上がった。

 彼らはポータルに身を投じ、葵は去り際にひろとを一瞥する。


「ジークフリート……次は、必ず」


 勝手に攻撃してきて、勝手に消えていくなんて、どういうことか。

 ひろとは文句の一つや二つを言いたくもあったのだが、身体の異変に苛まれてそれどころではない。


 視界はきゅうきゅうと狭まって、全身の関節が、猛熱に侵されているように痛い。

 酷い頭痛と眩暈もあり、とても立ち向かえる状態ではなかった。


「ク、ソ……なにが、起き、て……」


 パタリと倒れ込むひろとを、リリアス先生が抱きかかえた。


「まだ、《調整中》だったのですね。あなたが英雄化できないことに、納得しました」


 調整中? 英雄化?


 おぼろげな意識の中で……うっすらと見えたのは、あの絶世の美少女。

 裸姿のまま、ツンと胸の三角錐を突き立てて、ふふっとひろとの視線を受け入れるかのように微笑む。淡いピンク色の峰がぷくっと顔を出し、けれど少女は恥じることもなく倒れ込むひろとへと歩み寄る。


『大丈夫。もうすこしの辛抱よ、ヒロ』


 それだけを告げて、謎の少女はひろとの頬へと口付けをした。

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