五十三話 名もなき墓は、水と消えて

 溜まっていた水ごと全て、綺麗さっぱり一瞬で消えてなくなる。

 水がなくなり露わになった底には、おびただしい白骨が積み重なっていた。


「い、行っちゃった……?」

「ああ。ここにいたものあったもの、全部連れて逝った」

「……天国に、行ったの?」

「…………きっとな」


 和は、少しだけ目を細めて天井――穴の開いたそこを見つめると、静かに笑って頷いた。

 

「そっか……」


 月乃もそれ以上は問わず、小さく頷く。

 正直、安心した気持ちが強かった。自分はあの手のものには無知無力だと、他ならぬ月乃自身が自覚している。

 だが、今はできないことを嘆くよりも、和の無事を確認したかった。


「和くん、立てる? どこか痛いところは? 苦しくない?」


 月乃はペタペタと和の顔に触れる。困惑した顔でその行為を許していた和だが、ミコまで加わってペロペロと顔を舐められると、さすがに「しつこい」と辟易した様子でひとりと一匹を自身から引き離す。


「大げさだ」

「大げさじゃないよ……! 心配したんだよ? 祭さんだって……」

「――」


 和がふいに表情を引き締める。その、自分を通り越す視線の先に誰がいるかなど、考えるまでもない。


「やらかしたねぇ、なごちゃん」


 飄々とした祭の声がする。

 和の顔が分かりやすくしかめられた。決まり悪げなその表情を見てなんと思ったのか、祭が愉快そうに笑う。


「まぁ、うちが返事する前に強引に乗り込んできて下手こいたのは本部の人員だし? これを応援に引き継いだら帰ろうよ」


 これとは、周りや水が抜かれたせいで露出した数多の人骨か――それとも、骨を見て「ひゃぁあっ!」と悲鳴を上げている藤原のことか。

 藤原は祭に胸ぐらを掴まれて強引にここまで引っ張られてきたらしい。帰る帰ると駄々っ子のように泣く男を見て、和はギョッとしたようだった。


「……なんで泣いてんだよ、あれ」

「え、えぇと……色々あって……」


 月乃が言葉を濁すと、和は怪訝な顔をして自分の片手を開く。

 そこには、中身がなくなった小袋が握られていた。


「これ、あの男に持たせてたはずだけど……」

「あ、あの、それは」


 藤の様子を目にした和は、彼が自分から身を守る術を手放すはずがないと思ったのか不思議そうに呟いた。


「そ、それっ! それ返せ!」

「は?」

 

 中身はすでに無いことを知らないのか、それまでは逃げようとしていた藤原が目の色を変え、今度は和へ飛びかかろうとした――が、祭にネクタイを引っ張られ阻止され「ぐえっ」と潰れた声を上げる。


「返せ、じゃないよねぇ? 言葉遣いには気をつけようかぁ?」

「――っ」


 笑顔で注意をうながす祭に対し、藤原は顔を蒼白にしてかくかくと頭を縦に振った。

 よろしいと頷いた祭は、にこやかな笑顔のまま和に視線を向け――。


「子どもの頃にあげたやつ……まだ持ってたんだ?」

「…………」

「可愛いとこあるじゃない、ヒネ坊主」

「うるせぇ、じじい」

「でも、役に立ったでしょ?」

「……今回はな」


 和が言い返せば、祭は楽しそうに声を上げて笑う。その様子を見て、月乃は思った。やっと、いつもが戻ってきた、と。


「じじい呼びは止めなさいって」

「クソじじい」

「なお悪いから! あ~、もう、ほら、ふたりとも立って。歩ける?」


 月乃と和がそろって頷くと、祭は「よし」満足そうに頷く。


「それじゃ、これを応援に引き渡しがてら、帰ろうか」


 なんだかんだとまだ喚いている藤原を引っ張って、祭が先を歩く。

 月乃はパーカーを羽織り――その場に散乱している骨に手を合わせた。


「なにしてるんだ」

「あ、うん……水の中にいたってことは、さっき見た黒い手も、あの化け物も、死んじゃって見つけてもらえない人たちの無念なのかなって思ったから……」


 せめてこれからは安らかにと――気休めにもならないかもしれない、なによりただの自己満足かもしれないが、月乃はそうせずにはいられなかった。

 和はそんな月乃をしばし見つめ……「そうか」と小さく呟く。


「ここはな……大昔、墓だったんだ」

「お墓?」

「……海の底には龍が眠っていて、不漁が続けばそれは龍の怒りに触れたからだって信じられてた――そういう時、大昔の人間は生贄を捧げたんだと」


 つまり、自分たちが潜った穴は生贄にされた人が沈められた場所だったのかと月乃はショックで口元を覆う。


「けど、小さな村なんて全員が見知った者同士だ。村の人間を生贄にするなんて良心が咎める――だから、一番罪悪感がない方法をとった。人間ではないモノを、生贄にする方法だ」

「……人間以外を?」

「体の一部が欠けて生まれたもの、多く生まれたもの、歩けないもの、話せないもの、聞こえないもの……それらを、人に非ずと定めて生贄にした。役立たずとして生まれた化け物が、人の役に立てるのだから喜ばしいってな」


 酷い話だ。

 けれど、今よりずっと昔の話。閉鎖的で小さな村では、それが「普通」とまかり通ってしまった。


 ここは、墓場。


 人として生まれたのに、人として生きたかったのに、世界がそれを許さなかった者たちの無念が眠る場所。

 積もり積もった憎悪と悲哀、同じく非ずとされた者への憐憫が、やがて化け物を生み出した。自らを普通の人間と称する者たちが非ずと定めた自分たちの姿を全て溶かし込んだような、異形の守人を。 


「悪い。……もう本部預かりになる件だ。忘れろ」


 和は話を打ち切ると、行こうと月乃をうながす。ミコが早くと急かすように一声吠えた。


 月乃はもう一度手を合わせると、先を行く彼らを追いかける。

 外に出れば、霧は消えており――それまで感じなかった風が、ふわりと吹き抜けていく。


 ここにはもう、誰もいない。

 ここにはもう、なにもない。


 波の打ち寄せる音を聞きながら、月乃は立ち止まって待っている和とミコの元へ駆け寄り、歩き出す。


 そして、二度と振り返らなかった――。

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