悪魔の記憶ⅱ

※時空名『アナザーアース』

 名もなき悪魔の、あったかもしれない可能性。


 黒百合のアトリエとはまったく別の世界の、別のリリルカの物語。

 ダークなお話です、ご注意ください。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 



「え? え?」


目の前に見えるのは、人間の、白い手。

左も右も、真っ白。

手のひらには、ての字がハッキリ見える。


心なしか、先ほどよりずっと、目線が低くなったように感じる。

視界の端には、ざっくばらんになってしまった黒髪が、しなやかに揺れている。

そして、声も――。



「もしかして、人間に戻った……?」

「いいえ」


期待とは裏腹に、その声は冷たい。



「その眼鏡は、ただの気休めよ。

 別に魔力的な効果もそこまでない。

 悪魔の魔力でも壊れないくらい、頑丈ってだけで」


さらっととんでもないことを言っているが、聞くしかできない。

女は一度区切って、こちらに振り向いてから、こう言った。



「でも、悪魔は眼鏡をかけない。

 視力が馬鹿みたいに高いから」


「あー……」


「悪魔になってから人間の理性にすがるなんて、

 本当に、本当に馬鹿馬鹿しい。

 更なる命を求め、人間の進化形を目指した結果なのにね。

 でも、何も力がないほうが、理性的なことだってあるの」


「な、なるほど」



さすが六千年も生きてた人は言うことが違うなぁ、

とぼんやり聞いていた。


根拠は全くないのだが、今のところ、

矛盾した言葉は一度も言われていない気がする。



「シャノワール」

「え?」


「名前」

「リリルカ。リリルカ・カスラです!」


「リリルカ……百合、か。

 じゃあ貴女は今日から『黒百合』ね。わたしは『黒猫』」


「あー……そういう」


「コードネームね。

 変な奴が来た時のための。

 自分の身分を隠したい時に、使えばいいわ」


「わ、わかりました!

 でも、この眼鏡はずっとリリがつけてても――」


「これ」

「あっ」


全く同じ黒縁の眼鏡を、

シャノワールは再びつけていた。



「不意の戦闘で破損はつきもの。スペアは当然持ってる」

「あー」


「おそろいになったね」

「た、確かに」


「でもこんなのつけてたら、クシナダに嫉妬されちゃうかもね。

 うーん、でもこっちのわたしは別人だし、

 向こうはそれを知らないし、

 うーん……


 ま、いっか。

 

 今更ねー」


「おばあちゃん……」



当然だけれど、その見た目は、全くおばあちゃんに見えていない。

こちらと同じ、十代の少女に見えている。


不老不死って、すごい。

自分も、いずれ同じようになるのだろうか。



「これから、どうするんですか?」

「ついてきて」


何も準備しないまま、

突然洞窟を出ようとする。



「凍えて死にませんか!?」

「死ぬわけない。だってわたしたちは……


 



「え???」

「いいこと……教え……あげるわ」


吹雪で声がところどころ途切れているが、

構わず話を続けるシャノワール。



「これは……仮死……実験……始まったの。

 ゾンビパウダー……粉があって……ね。

 ……ちょっとまって。雪崩が来る」


急にどん、と突き出され、

小さな洞窟の中に押し込まれる。

シャノワールも一緒に転がり込んできた。


その直後、数秒前に自分のいた場所に、

轟音が鳴り響く。



「やっぱ、吹雪が止まってからのほうがよかったかな……。

 しばらく、ここで話そうか」


「無謀……」

「だって、普通に降りても、つまらないから」


この人は、おもしろいかどうかで

人生を決めているのか。




「さっきの話、聞く?」

「うん」


「人造悪魔って、本来。

 ゾンビ――仮死の実験体から、生まれたらしいんだよね。


 ゾンビパウダーという猛毒。

 仮死状態にして、腐らないまま、

 身体に死んだと錯覚させることで、不死を疑似的に再現」



シャノワールが何かの詠唱を唱え、

炎を起こす。


洞窟に転がっていた、

湿って使えないはずの木片に火がつき、

それが焚火になる。


おそらくは、悪魔の炎。

もはや以前とは違うのか、

自分も寒さなんてまともに感じていなかったが、

何となく焚火の雰囲気を楽しんでいた。


ああ。

この人、完全にノリでやってる。

全体的に、フレーバーだけで生きてる感じ。



「でも、それって」


「実験自体は大失敗。

 ただの猛毒だから、不可逆の。

 当然だけど、被験者は全員廃人になった」


「じゃあ、どうして――」

「そこに目をつけたのが、本物の悪魔ってわけ」

「なるほど」


「一度死んだ人間に、

 魂を無理やり憑依させて動かそうとしたんだね。

 そのためにゾンビパウダーを使った」


「理性のない死体(ゾンビ)を操るだけの

 『ネクロマンサー』ではなく、

 人形に、強い意志を持つ霊体を憑依させる

 『コンジャラー』に近い?」


「そうね。ゾンビにするんじゃなくて、

 生きているかどうかに依存しない『壊れない人形』として、

 人間の死体を改造した。それが人造悪魔」


「ほえー……」

「普通だったら、ただの亡霊なの。そんなものは」


「でも、この世界には『エーテル』がある。

 魔力だけで生きている、精霊や妖精たちがいる」

「……あっ」


「本来の悪魔は、天使や精霊や妖精みたいに、物理的な実体がない。

 だけど人造悪魔も、腐らない死体の中で亡霊を飼いならし、

 魔力を喰らい続けることで、身体も精神も、

 本物の悪魔にどんどん近づいていく。


 それを六千年も繰り返せば、

 今のシャノワール(わたし)はもう、

 本物の悪魔と遜色がない」



「なるほど……?」


「知ってる?

 人間の肌って、一ヶ月で全部組織が入れ替わるの。

 栄養を取って、その栄養が新しい肌になる。

 取るべき栄養が、タンパク質ではなく、魔力に変わっただけ。

 大して難しい話じゃないわ」


シャノワールは、

どこを見ているともつかない表情で。



「魔法で自由に姿を変えられるなら、

 六千年前と同じ姿にもなれる。いくらでも嘘がつける。

 何だったら、クシナダにも、貴女にもなれる。

 見た目は、ね。


 でもそれは形がそっくりなだけの、

 全くの別物」


「……」



「だから、不可逆って言ったの。

 一度悪魔になれば、人間に戻ることは二度とできない。

 何らかの奇跡にでもすがらなければ、ね」


「……」


「人間に、戻りたい?」

「うん」


不思議と、迷わず答えが出た。

カスラの人たちはもういなくなったけれど、人間には戻りたい。

今のように、誰かと普通に会話していたかったから。




「そうね――これは、奇跡の一つなんだけど。

 別の世界のどこかに『アルカディア』という理想郷があって。


 そこの聖域には、あらゆる願いを叶える

 『大聖杯』が眠っていると言われている。

 

 ずっと昔の、

 妖精人アールヴの伝承。


 過去には、そんな馬鹿馬鹿しい伝承に命を懸けて、

 大天使にまで戦争を仕掛けて、滅びた天空の国がある。


 今現在も、魔導書の悪魔の力を借りて、数多くの冒険者を実験体にして、

 強化人間やクローンを乱造して。


 最終的には魔王の復活さえ利用して、

 聖杯を手に入れようとしている、馬鹿な国があったりするけどね。


 だけど、

 そんなものはいずれ滅ぶ。


 わたしは一度見ているから、

 行き着く未来はとっくに知っている」



「……」

「聖杯、欲しい?」

「……いらない」


「いい子ね」

「……」


「競争相手が多い聖杯(もの)なんかにすがるより、

 いい方法に心当たりがある」


「え?」

「体力に、自信ある?」


この人、いったい何をさせる気だ。



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