(つづき)【やってみた】SNS断ち

 実験を始める前に私はまず過去の経験を探してみた。

 いつだったか、印刷工場がストをやって東京じゅうの新聞会社が休んだことがあった(これに対応する現代版ストを知らないので、知っている人はそれを代入してください)。あの時に自分がどんな気持ちだったか思い出してみた。あまりはっきりと思い出せないが、少なくともあの時私はそんなにひどく迷惑を感じはしなかった。もちろん毎日見ているものが見られないという一種の手持ち無沙汰な感じはあったに相違ないが、それと同時になんだか世の中が急にのんびりしたような気持ちがなくもなかったと思う。もっとも自分のようなひま人はおそらく除外例かもしれないから、まず大多数の人はかなり迷惑したと考える方が妥当だろう。

 まず誰よりも一番迷惑を感じたのは新聞会社(もし現代にそういうストが起きればSNS運営)自身だろうが、ここではそれを考慮に入れるわけにはいかない。それと前述の投機者階級を除いたそれ以外に迷惑したのは誰なのかを考える。

 続きものの小説が肝心のところで断絶したがために不平だった人もあろうし、毎朝の仕事のようにして読んでいた演芸風聞録が読めないのでなんだか顔でも洗いそこなった暇人もいただろう(訳している私も、似たようなことが現代のSNSでも起こりうるとしか思えない)。

 こういう善良な罪の無い不満に対しては共感しないわけにはいかない。しかし現在の実験を遂行する場合にこの物足りなさを補うべき代用物はいくらでも考えられる。それにはいわゆる新聞小説よりももっと面白くて上等で有益な小説・アニメ・映画もあろうし、風聞録の代わりになるもっとまとまったものもあるだろう。そういうコンテンツを毎日のSNS記事を読む時間にひと切りずつ消費することにしたらどうだろうか。それが積もったら効果はかなりのものになるだろう。

 まとまったものを少しずつ小切って消費して、そうして前後関係を忘れないようにするということは必ずしも困難ということはない。事がらによってはかえって一時に詰め込むよりも小分けにしたほうが効率的に理解し記憶できるということは実験心理学で明らかになっている。私の知っている範囲でも、毎日電車に乗っている間だけ英語を勉強したり、哲学書を読んだりして、それが相当に効果的だった人もいる。仮にそういった人が例外的だったとしても、ともかく、毎日youtubeやインスタ、X、TikTokを見たり聞いたり読んだりというのと、まとまった作品あるいは書物を消化するのと比べてどちらが頭脳の足しになるかということは、はじめから議論にならない気がする。

 それでも多くの人の中にはyoutubeなら毎日見る気になるが書物と名が付くものは肩が凝ってとても読む気になれないという人がいるかもしれない。そんなものは習慣の養成で簡単にどうにかなる。どうしても書物が嫌いならば、そういう人向けの代用品となるものは日本にはいくらでもあるはずである。

 歌が好きな人はその時間に1番から歌うもよし、推しを愛でるのが好きな人はその推しの新たな魅力の発見に努めるもよし、何かのコレクターはコレクションの整理をするのもよいだろう。

 朝から晩まで忙しい人は出勤前の僅かな時間までも心いそがしく倍速でyoutubeを見る代わりに、めったに口をきくことのない家族たちとよもやまの会話をかわすのもよいだろう。あるいは特にそういう人たちはこの時間を利用して近所の公園まで散歩に行き、高い大空を仰いで白雲でもながめながら無念無想の数分間を過ごすことができれば、その効果は心身ともに意外なほど大きなものになるかもしれない。私はむしろ、大多数の人にこの方法を勧めたいような気がする。そういう僅かな事によって人々の仕事のコスパ・タイパが現在よりいくらか高められ、そして人々の心がより安息し、行き詰まった心持ちと知恵とがなんらかの新しい転機を迎えるのではなかろうか。


 そして私は、youtubeやXやTikTokやインスタ等に転がっているありとあらゆる記事が、全人類にとって絶対に必要と仮定した場合にも、それを否定することができると思う。

(つづく)

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