お手伝いさんの章 其の九 ボクの居場所とのんちゃんの気持ち

 着替え、スマホ、『ななイル』のグッズ、壊れたサイリウム……これだけ。ボクってば、たったのこれだけを持って上京した。運良く、杜宮もりみや家にお世話になり、仕事まで貰えて……。推しメンのあぐちゃんは、こんなボクを受け入れてくれた。のんちゃんは優しく接してくれる。ボクってば、今まで女子に嫌悪されてきたのに……いや、寧ろ男子にだが。初めて親以外の人に愛情を貰った。それが、どうだ?


 ボクってば、それを裏切った。


 あ、そうか。ボクってば、嫌悪されて当然の人間だったんだ。何をひとりで被害者ヅラしていたのか。


 もう、この温かい場所にいる資格は無い。


 ふと、市松人形の『お松ちゃん』が目の端に見えた。ボクは無意識に、その綺麗な黒髪を撫でた。愛着、湧いてたんだけどな……。何か、ごめんなお松ちゃん。

 双子ふたりが帰って来る前に出よう。


「さてと、どこへ行こうか……」


 ボクってば、大邸宅にお辞儀をして、あてのない、先の見えない暗闇の中へ溶け込んでいった。

 いつも行くスーパーとは別の方向。こっち側は全く知らない道。暫く歩くと、川沿いの土手に出た。川下の方角に、煌びやかなネオンやビルの明かりが沢山見える。まるで、そこだけ別世界のようだ。都心はボクには合わない。ボクは、暗闇の続く川上の方角を選んだ。


斗威とうい君!」


 土手の下からボクを呼ぶ声。毎日聞いている、優しいのんちゃんの声だ。ボクは振り向きもせず走り出した。合わせる顔も、交わす言葉も無い。暗いし、息苦しいし、涙で眼鏡が曇る。


「待って!逃げないで!斗威君!」


 来るな、追って来ないで!クソゥ、ボクってば、足は遅いし体力も無い。もしかして、文才も無いのかもしれない。ボクってば……何にも無い人間なんだ!


「ぐっ!」


 ボクはリュックサックを掴まれて、不格好に転んだ。のんちゃんまで巻き込んで。


「あ!ご、ごめんなさい!のんちゃん、大丈夫?怪我し……え?」


 のんちゃんは、ボクの胸に抱きついた。いや、逃げないようにしがみついた……のか?


「全然大丈夫じゃないよ!怪我とか、そんなのどうでもいい!」


 のんちゃんは大きな声をあげて、もっと、ギュッと、強くしがみついてきた。


「は、離してよ!杜宮もりみや家はボクが居て良い場所じゃないんだ!離してくれよ!」

「イヤだ!!」


 どこからそんな力が溢れてくるのか?のんちゃんは決して離れない。でも、そのカラダは震えている……ボクってば、また女子を泣かせているんだ。


「ボクなんかに優しくしないでよ!恩を忘れて、調子に乗って、迷惑かけて、んで……双子ふたりの事泣かして!最っ低のクズ男だ、自分自身大っ嫌いだよ!!」


 情けない……なんて情けないんだ。涙も鼻水も止まらない。しがみつくのんちゃんをどうしていいのかも分からない……


「わたし……わたしは、斗威君が……斗威君の事が好き!!」


 え……?


 ボクってば、一瞬にして涙も鼻水も止まった。


「斗威君が初めてなの……わたしの事、お姉ちゃんとは似ていない、別人だ。って言ってくれた人。だから、凄く嬉しかった。そんな男の人が、毎日毎日隣にいて、優しくて、笑顔をくれて……一緒にお料理したり、お掃除したり、こんなに一緒にいるのに『おやすみ』した後、部屋に戻っても斗威君の事ばかり考えてる……」


 ボクってば、ただただ困惑した。のんちゃんの言っている事が分からない……いや、分かるけど自分の解釈が間違っている?ひとつだけ確かな事は、このひと月ずーっと隣にいた事。なんか、こう、のんちゃんがいる事が当たり前になっていた。


 ボクは、今、どうしたらいい?

 何て言葉をかければいい?

 しがみついたカラダをどうすれば?


 ボクってば、何にも分からないよ……本当に、情けない。


「えっと、あの……」

「何も言わないで。わたしが斗威君の事を好きって伝えたかっただけ。わがままかもしれないけど、どこにも行かないで。それと、もう少しだけ……このままでいさせて」


 ボクってば、急に脱力した。何でかは分からない。でも、力が抜けたら……のんちゃんの温もりが伝わってきた。


 決していやらしい意味じゃないけど、女子の……のんちゃんのカラダは柔らかくて、そして……とても温かかった。


 その後、のんちゃんは急に我に返ったようにボクから離れ、赤面して口をつぐんだ。ボクたちは、妙な距離を保ちながら歩いた。


 家の玄関先には、落ち着かない様子で、あぐちゃんが待っていた。ボクを見つけるなり、気まずそうな表情で駆け寄って来た。

 ボクは、直ぐさま頭を下げ自分の無礼を詫びた……が、ボクよりも早く謝罪をしたのはあぐちゃんの方だった。レッスン中でアドレナリンが出ていたとはいえ、酷く攻めてしまったと。本当に出ていって欲しいワケでは無いと。


 ボクたちは暫くの間、玄関先で膝を突き合わせ、謝罪合戦をした。


 思わずクスリとしたのんちゃんの笑顔は、ボクたちを元通りにしてくれた。


 ボクは、改めて杜宮もりみや家のお手伝いさんを続けさせて貰える運びとなった。




















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