お手伝いさんの章 其の八 怪我より痛い……

 9月とはいえ、昼間から黄昏時にかけては、まだまだ暑さからは解放されない。けれど、空一面に広がる鮮やかな茜色は、ボクの憂鬱な気持ちを少しだけ和らいでくれる。だがしかし、もうすぐ『なな色イルミネーション』がレッスンスタジオに来るから、ボクの気持ちは、なんか、こう、発火しそう。デュフフッ


斗威とうい君!草刈りはもういいので、お夕飯の準備をお願いしまぁす!」

 おっと、ボクの心の妻のんちゃんが小走りでやって来た。やっぱ美しい!流れる汗さえも神々しいのだが。

「では、よろしくお願いします」

 のんちゃんは、手を重ねて軽く頭を下げると、レッスンスタジオの方へ向……え?

「ちょちょい、待ち!のんちゃんは……どこへ?」

「え、あ、わたしはスタジオのお手伝いがあるの。音響とか諸々……」

 ナンデストォ!『ななイル』にのんちゃんがあの蔵へ集合?!正にハーレムじゃあーりませんか!

「えっと……『ななイル』はいつ来るのかな?」

「もう10分前に入ったよ。どうして?」

 10……前?ちょっと待て!ボクってば、草刈り機をふかしながら、ずっと監視してたのだが?

「いつも、皆さんは裏口から入るんだよ。じゃあ、わたし行くね」

 あ……たぶん心の声が漏れたのだろう。のんちゃんは、苦笑いで小さく手を振り蔵へと入っていった。

 クソォオ!!不覚だった……そうだよな、トップアイドルが目立つバカデカい御屋敷に玄関から入るワケがねぇ。クソぅ、とりあえずキッチンで待機だ。陽が落ちるのを待とう。さっさと落ちろ、陽ぃ!茜色してんじゃねぇよ!


 夜の帳が下りた。

 ボクは、足音を○して蔵へ近づいた。流石に正面突破は無理。しかし、蔵の四方は壁……。唯一、中の光が漏れてくる部分……それは高窓たかまど。かなり高いな、アレを使うか。ボクってば、庭師の置いていった脚立はしごを拝借し、蔵の壁に立て掛けた。うーん、少しグラつくな……だが、これくらいの危険を覚悟しなければ、『ななイル』のレッスンなど見ることは出来んのだ!よし、イザ!!

 懐中電灯代わりの青色サイリウムを口にくわえ、一歩ずつゆっくりと登っていく。一段、また一段と上がれば上がる程、恐怖と興奮こうふんがあいまみえていく。少しずつ眩い光が近づく、よし!後一歩だ!あれ?

「えっと……何このよくあるパターン。必ずなの?これ必要?」

 ボクは、背中に風を浴びていた。口にくわえていたサイリウムは、先にしたようだ。そう、間違いなくボクは落ちてる……。でも、ボクの場合はお決まりでは無い。足を踏み外したワケでも、脚立が外れたワケでも無い。最後の一歩で興奮が恐怖にまさったのだ。

 あー、こりゃ完全に怪我するわ。

「え……ちょっ、待っ!おいサイリウム!で直立してんじゃねぇ!刺さる、刺さるから!のわぁぁっ!!」


 ……フゥー、幸い肩の脱臼とで済んだぜ。ポキっ


 ボクの悲鳴、脚立はしごが倒れた音、レッスンが休憩で音響が無かった事が重なった。蔵から双子ふたりが駆け出してきた。


「と、斗威君!大丈夫?!大変、出血が!」

「いやぁ、屋根の修理をしようと思ったら、落下しちゃった。テヘッ」

 のんちゃんとは対照的に、あぐちゃんは黙って手を差し出した。

 嗚呼ああ双子ふたりの優しさが身に染みる。ボクは、あぐちゃんの手を取り、立ち上がった。

「ありがとう、あぐちゃん!いやぁお恥」

艶島あでしま君、夕食の準備は?」

「あ、えっと……まだ、です。ほら!先に屋根の」


 パンッ!


 落下しても外れなかった青いフレームの眼鏡が、地面に落ちた。

 ボクの赤みを帯びた頬は、肩の脱臼なんかよりずっとずっと、何倍も何十倍も痛かった。


「『ななイルわたしたち』は、『けやきファン』のみんながいなきゃ、こんなに辛いレッスンを頑張る事が出来ない。『けやきみんな』の笑顔が見たいから辛い事も乗り越えられる。でも、今の艶島君みたいなはいらない!てか、艶島君はもううちのお手伝いさんでしょ?私とのんちゃんに1番近い人でしょ?いつまでも『けやき』の気持ちでいるなら、もう……出て行って、ください」

「あ、お姉ちゃん待って!」


 あぐちゃんは、目に涙を浮かべていた。ボクってば、今まで沢山の元気をくれた、大好きな推しを悲しませた。信頼を裏切り、心を傷付けたんだ。


 双子ふたりは、暗闇の中へと消えていった。まるで、夢だったように。











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